まつろわぬ民 節百五拾六

文字数 1,028文字


 農、そして、武……このふたつは、文明史の必然ではあるものの、ともに秦氏がにない、はたじるしとしたものだった――
 開拓農民――無法者からの自衛……
 そのどちらにも、かれらが採掘し、精錬加工した鉄器が用立てられる……
 フロンティアの前線には、いつも、かれらがいた――かれらがかかげ、朝廷とのアジャスターとして機能する八幡信仰ともども……
 そうやって、開拓民のくらしによりそい、一体化しつつも、八幡神自体の特性で、異端たる由緒は――異邦人である一面は、うけつがれていく……
 伝わるものはある――
 そうやって、すこしだけ、ほかの開拓民とは、武士とは、いろあいのちがう、「秦」なり「波多野」なりが、成立する――平安中期を過ぎてからは、秀郷流に融けて、もう秦姓さえくらましてしまっている……奥州藤原氏、蒲生氏、内藤氏と名を変えた秦氏が、他姓の秦氏――薩摩の島津氏! 土佐の長宗我部氏!――ともども、動乱の時代に、どこの馬の骨ともしれぬ馬頭の鬼どもにまぎれて、進出する……!
 
 秦氏の血脈そのものもみゃくみゃくと……
 
 だが、まことにうけつがれていったのは、その精神性――
 
 スピリット、というよりも、文化遺伝子(ミーム)だ。DNA(ジーン)が、塩基であり、肉体や生態の特徴としてうけつがれていくものである一方、ミームは、情報であり、文化や文明、その産物、たとえば宗教といったかたちで伝播していく。
 ジーンが、生体というハードウェアの遺伝子なら、ミームは、その脳や意識に媒介される、ソフトウェアの遺伝子だといえる――
 
 秦のミーム……
 古墳時代から、営々と、この国の開拓戦線に身を投じ、寄与し、かがやかしい勝利をものしてきた……
 いつかその利器と技術が、フロンティアのメインストリームとなり、信仰さえもが主潮となって、中央の気づかぬ静穏な水面をたたえていく……盬盈珠(しおみちのたま)……おしつつんでいく……
 八幡大菩薩――
 この名とともに、仏教とも習合し、仏教のふきゅうにじょうじて、さらにその信条は拡散する――いや、むしろ、ぎゃくかもしれない……本邦の仏教を庇護した第一人者、聖徳太子のかたわらには、秦河勝(はたのかわかつ)がいた……仏教こそが、八幡大菩薩という、本邦最初期の習合を皮切りにして、いっきょに、つつうらうらにまで教勢をひろげたのかもしれない……聖徳太子の時代から奈良時代まで、百年強。八幡信仰が、またも調整役(アジャスター)として機能した可能性はある――
 八幡神というのは……その既往まで、氏子たちによくにている……
 
 
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