ひょうすべの誓い 節二

文字数 4,864文字

 ……ここからは、いささか、こわい話をしたいと思う。「秦」というなまえでだいひょうされる渡来人は、その古朝鮮の風貌を、全国の武士に遺伝させ、そのまま、全国の武士に化していった――
 武家(アイアンサイド)……
 鉄の陣営は、日の本に扶植(ふしょく)され、あたりまえのように席巻する――その底部でまどろむ魔物とともに……
 無法の時代――ちからがものをいう時代……
 鉄の時代がやってくる――それまで、権威(オーソリティー)こそが、万民を慴伏させていた時代から、覇権(ヘゲモニー)という、なんともたけだけしい概念が、しもじもにまでねづくようになるのだ……
 実力主義――
 それは、発展の呼び水ではあるものの……
 
 そうして、平安末期、豆州(ずしゅう、伊豆)に版図をもつようになった武家がある――
 北条氏……
 やがて、流人の頼朝をいただき、源平時代の主軸となる――幕府を開いてからは、三代で源姓を排し、みずからが執権として日の本を宰領した、運命の一族だ。
 いちおう、平氏ではあるものの、どうも、これも、どれだけ素姓がたしかかわからぬ馬の骨らしい――一説では、北条氏のあの有名な「()つ鱗」(小田原北条氏にも大略継承されている)は蛇の鱗であり、その祖は、大和の大三輪(おおみわ)氏なのだという……三輪は、白蛇の神大物主(おおものぬし)が鎮まられている三輪山が有名だが、大三輪氏は、その大物主を祖とする神別姓だ。三輪は、古来、焼き物の里としてもしられているが、大三輪氏も、須恵器(すえき、古墳時代の陶器)をやく陶芸集落の首長だったらしい。崇神(すじん)天皇(第十代天皇)の御代、天下に疫病がはやり、おおいに国がみだれた。崇神天皇は、白蛇の神大物主から霊夢をさずかり、大物主の子である大田田根子(おおたたねこ)におのれを祀らせれば天下はおさまろうと託宣を得た――この大田田根子が大三輪氏の祖であり、代々、大物主をまつることとなった……
 今さらながら、本邦と、古朝鮮の縁のふかさ、(こま)やかさに、息を吐いてしまう――
 崇神天皇は第十代天皇、漢氏や秦氏をむかえた応神天皇が第十五代、五世紀の天皇である――崇神天皇は、それに先立つこと一世紀……神武天皇および欠史八代といわれる、実在を疑問視される九人を経て、実在する可能性のある最初の天皇だという……別名、御肇国天皇(はつくにしらしめすみこと)、つまり、
 初国治(はつくにしらし)めす天皇(みこと)――はじめて、国を治めた天皇……
 その司祭として、大三輪氏はひかえていた――崇神天皇の宮殿は三輪山の西麓におかれ、大三輪氏は、須恵器のうつわに神饌(しんせん、神にささげる食物)を盛ってそなえていたという……
 この大三輪氏は、その後朝鮮外交を担当し、九州や半島まであしをはこび、三韓征伐にも同行している――
 この事情通の様子、くわえて、朝鮮は、古来から陶器の国であり、須恵器も、朝鮮から伝来したものだ。
 それを作成するかれらも、神別とうそぶく渡来人だったのだろう――
 初国治(はつくにしらし)めす天皇(みこと)のそばには、すでに、渡来人がいた……
 大三輪氏は後に、大和国城上郡大神郷の地名をとって、
 大神(おおみわ)、と、表記するようになる……

 その子孫は九州に入り、宇佐八幡宮を建てたという――
 とんでもない。
 崇神天皇と応神天皇、御肇国天皇(はつくにしらしめすみこと)と渡来人のちからで開発をすすめた誉田天皇(ほむたのすめらみこと、応神天皇の別名)、大三輪氏と秦氏の接点(ノード)が、大神氏なのだ。
 大神(おおみわ)氏は、大神(おおが)氏と発音されるようになり、宇佐八幡宮を建立した――
 作者は、当初、大神、などという、いかにもな名字の一族が、八幡宮を建立し、その大宮司におさまる、というのは不自然で、八秦神(やわたのかみ)をまつるべく、秦氏のだれかが大宮司となり、大神氏、というそのままの名前をなのるようになったのだとかんがえていた――
 どうも、大和から豊後へ、大神氏というのは、渡来人の(よこいと)であるらしい……
 飛鳥朝では、大三輪氏は最高位の氏族だったという――フロンティアの最前線にいる秦氏が、この渡来人の大先輩をむかえいれて、自分たちに箔をつけようとしたのではないだろうか……
 大三輪あらため大神氏ならば、皇祖神をまつるのにも不足はない……そして、その皇祖神の名を、
 八秦(やわた)
 というのだ……
この連中は……
 渡来人は、やはり、異邦人なのだろう。本邦でやっていくうえで、馴染みのない土地で成功している先達と手を結ぼうとする……この文化遺伝子(ミーム)が、源平藤橘の末裔であふれかえる戦国大名にうけつがれているのだろう――
 それにしても、「漢」「秦」「大神」だ……むかしの渡来人の箔のつけかたは、けばけばしい――このくらい露骨にやらなくては、倭人相手にはつうじないよ、という笑い声がきこえてくる……
 この大神氏が、北条氏の祖なのだ――つまり、北条氏は、秦の司祭に属している……
 古代では神官兼外交官として鳴らした大三輪氏も、奈良時代のおわりにはすっかり存在感が希薄になってしまっている――馬の骨が馬頭の鬼として勃興する平安期、大神氏、秦氏の神官として伊豆で売りこみ、潜在する秦の開拓民や、八幡の信徒を糾合し、北条氏として立った――そういう風景も見える。
 かんがえあわせると、伊豆というのは、神祇官の卜部(うらべ)のメンバーを輩出した土地だ。亀卜……アカウミガメの甲羅を焼いて、生じたひび割れで未来をうかがう――三輪山の大物主といういかにも古代的な権威が通じなくなると、大神氏のなかには、この亀卜の道に手を出すものもいたのかもしれない――大物主も、よく託宣をもたらす神で、そのため、事代主(ことしろぬし、大国主の息子、託宣と漁業の神)と混同される……事代主は、国譲りののち、伊豆の三宅島にわたって三島明神になったとされる。
 伊豆の大神氏である北条氏が、秦氏を糾合し、名主として立つのは至極自然だ。そして、この北条氏が、娘政子を嫁がせ、源頼朝を取り込んだ。
 すでにふれたとおり、秀郷流の奥州藤原氏が、源義経を保護している。
 そして波多野氏は頼朝に側室を送り、その血を取り込んでいる……
 秦の一族が、秦氏と大神氏がとったこのムーブメントは、なにか、源氏に接近するどころか――
 後世の歴史の推移をしっているものからすれば、まるで、親鳥が、おさないヒナをそのつばさでつつみ、はぐくむようにして、源氏の主役となるこの兄弟をまもり……
 自分たちの側へ、だきこんでいた……
 そんなふうにさえ見えてしまう――
 「次代の政体を形成するのは、この兄弟だ」
 そう見定めていたかのように……いや、かれらが主体的にそう決定しなければ――もし、北条氏も奥州藤原氏も、源氏にたいして無関心だったのなら……
 その後の日本史は、われわれのしるものではなかっただろう――ターニング・ポイントにひかえていたのだ……秦、というより、八幡宮の教団は。
 八秦(やわた)の主導するながれのなか……
 そして、平家は亡び、兄は弟をころし、幕府が成立する……その筋目と根拠であろうはずの源姓の将軍は、三代で絶える……
 北条氏が――大神氏が、秦氏とともに、日本を主宰する……承久の乱を勝利し、中央から独立した政権をかちとった……
 そのお膝元である鎌倉の地に、石清水八幡宮にならぶ、八幡神の大聖堂を建立する……鶴岡八幡宮――武家の聖地!
 八幡神は、アマテラスと対立しつつ、自己主張する……後世、朝廷の皇祖神を意識したある将軍家の祖は、みずからを、
 東照大権現(アズマテラス)、となのった……
 しかり、中央の栄華からはずれた闇の底――日没する処だった東国(あづま)が、日出ずる処(アップライズ・ランド)となった……
 技術……開発……労働――!
 フロンティアの叡智(ミーム)はまことたけだけしく、国内の開発はすすみ、リアリズムが追究される……
 公家は、ほかに、すでにあるものを追及しようとする。秦氏は、みずから体系の新境地をもとめる追求者へ、さらに、偏し、淫して、ひとつごとをきわめんとする追究者にまですすんでいく……
 こうなれば、「鬼」と称してもよかろう――馬頭の鬼、技術の鬼。
 この鬼の軍団が、二度の世界帝国の侵攻をしりぞけた。
 さぶらふものは、あだやおろそかにはいたしませぬ!――
 鎌倉武士、というのは、ほんとうに、気性の激しい、烈しい連中だったらしい……中世という時代の一特徴だろう。
 烈しいのだ。
 それまで畏れ、自然界に慴伏していたいにしえの世とはちがう――
 鉄がある――自然界に拮抗し、神々をころす金属がある!
 かつて頭をたれていた世界に対し牙を剥いた、それは当然の、必死さであり、苛烈さであろう……従者(フォロワー)ではない……
 かりに、あの「神風」と称される、二度の台風がなかったとしても、蒙古軍が、日本を服属させられたか、どうか……無骨と悍気(かんき、精悍さ)で鳴る、薩摩の島津家は、秀吉の朝鮮侵攻時には石曼子(シーマンズ)と悪鬼のごとくおそれられ、その名をしたためて札にすれば破邪の霊験をしめすとさえいわれていた――島津の武勇は、積極的に、鎌倉武士の烈しさを保存する方針の結果、いうならば、鎌倉武士を希釈したものなのだ。
 島津の原酒を聞こし召せ……蒙古(ムクリ)馬乳酒(アイラグ)にはなき強さ……
  硝煙(さかな)団子(だご)会釈
  だごは何だご 鉛団子(だご)
  それでも聞かいで来るならば
  首に刀の引き出物
 この、ただでさえ苛烈勇猛な中世人(なかつよびと)が、もし、蒙古軍が九州を抜こうものなら、鎮西の水城(みずき)が、白村江以来の対外防衛圏、防人(さきもり)の領域がぬかれたのだ……日本人の感覚として、日本史を総覧したかぎり……
 どこかで、
 尊皇攘夷(そんのうじょうい)――という、あの酒精分のつよい観念が発揚する……
 この四字が、幕末日本をかきまわし、ついに文明開化という凱歌とともに三世紀にわたる歴史ある江戸幕府をも終焉にみちびいたのは、ごぞんじだろう――
 水戸学という注釈など、必要としないであろう――尊皇・攘夷……上を尊び、国土を侵犯する外敵を()ちはらう……あまりに――本能だ。
 「尊皇攘夷」を御旗にする「南無八幡大菩薩」だ……そんな鎌倉武士など、かんがえるだにおそろしい……人口一億にはほどとおいが、ほんとうに、総火の玉のようになってたたかうことだろう……
 神風が吹いたのは、まこと天佑であった……
 この激越な連中を御家人とひきいて、北条氏は、大神氏は、日本を経営した――ただ、幕府の勃興期と、衰滅期をのぞいて、承久の乱の後、実質的に北条氏がトップに立っていた期間は、実は、一世紀ほどだ。正応六年(一二九三)、関東地方に、鎌倉を震源とするM7以上とかんがえられる地震が発生している――鎌倉大地震……頼朝が幕府を開いてから百一年……どこか、鎌倉時代というのは、一世紀を節目にした感がある。
 全国に守護、地頭を設置した一一八五年からかぞえて、百四十八年……その間、五十回もの改元がおこなわれている。
 激動の時代だったのだ。
 それはそうだろうという気がする――元寇という有事をのぞいても、八幡という理系と現実主義と異彩をよろこぶミームが、政権の機軸となっていたのだ。
 諸事、改革や革新がおおく、発展するにぎやかさがあるにせよ、いつか、ひとびとは

しまうだろう。
 百年――理系としては、よく保った。
 数理にせよ工学にせよ、一代限りの業績であり、世襲するものではない。
 政界は、元来化け狸の巣窟なのだ――京の夜、江戸の陰、霞ヶ関の霧……鎌倉の海は、晴朗に過ぎる。謀殺も謀略もあったものの、いずれも烈しく、文の情念より理の厳酷さが表立っていた。
 大神氏は、秦氏に比べれば、まだ、古代の大神官だった実績がある。教団経営に長けていただろうが、それにしても、応神天皇と神功皇后と比売神を八幡三神とする皇祖神は、毛色がちがいすぎる。北条執権は十七代におよぶが、その間、宰相(ナンバー2)の位置からはずれず、京から将軍となる筋目をむかえつづけた。
 どうも、渡来人の宿命というのか、哀しさをかんじてしまう――崇神天皇のそばで、神官長であった時分から……和人のかたわらで、野党や外郭団体というのか……蕃(まがき、垣根)の立場にあまんじる、蕃別の、周防なのだ。
 北条氏は、秦氏とともに、周防の立場をまっとうした――海外からの侵略というあまりに即物的な外圧を、防ぎきった。
 
 
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