まつろわぬ民 節百五拾九

文字数 3,495文字

 そして技術……
 技術集団である秦氏の性格は、かくじつに、武士とわれわれに継承されている……それが手工業の段階だったから、あまり歴然としていないものの、平安後期から鎌倉時代にかけての諸技術やリアリズムの進展はいちじるしい――肥料の使用や二毛作がふきゅうし、経済的な余裕をもたらした。これとおなじ文脈のできごとが、室町戦国期にも発生する――
 つまりは、たえまない研鑽という、日本人の常態に入ったのだ……
 熱中する――あるものは生活のためにしぶしぶと……
 あるものは、あきらかにその域をこえて……
 もっといいものを――
 もっと、なにか――!
 それが、技術者の執念でなくて、なんなのだ……?
 美術に目をむければ、この時期に、あきらかに、リアリズムを追究する段階に入ったとわかる……さすがに、遠近法(あれはじつは世界的にも特殊な技術だが)は誕生しない――が、三次元のものを三次元に活写する彫刻の分野ではまちがいなく世界最高レベルの写実美にとうたつしている……運慶快慶のものした筋肉の躍動、上人や菩薩を彫った際の輪郭線や表情の明瞭さ……木製の人間が、金剛力士が、菩薩がそこにいる……そこにいながら、人工物(アーティファクト)ならではの徳や神徳をたたえている……!
 かれらに生彩をあたえ、仏を彫って魂を入れて

ものの代表例は、玉眼(ぎょくがん)という技術だろう……これは、彫刻の眼のぶぶんに、水晶の板をはめこむものだ。われわれの眼のうるおいや光を再現する……真綿や紙で白目をつくりだし、水晶に直接描き込んで毛細血管まで表現する!
 これは、美術なのだろうか――? この活写と生気と再現性への情熱は、むしろ、工学や学術の厳密さに相似しているように思えてしかたない……一部の仏像愛好家は、奈良や平安ごろのものを重んじ、鎌倉時代のものを倦厭する――古拙さがない、あまりに真に迫りすぎて、かえって、神秘性がなくなってしまっている、というのだ……
 かれらがみがいたものは、芸術ではなく――技術だったのではないだろうか……?
 「こんなことができるようになった」「こんなものを表現することができるようになったんだ!」
 ――その無邪気なよろこびが、てらいもなく、くどいほどに、圧倒的なリアリズムとなって、のしかかる……
 それが、このころの木彫がたたえている力感だ……!
 
 刀剣など、戦国期には、何本でも携行して刃こぼれするそばからとっかえひっかえした実用品だというが――それでも、武家にとって、なんらかの精神性を象徴するものだったのだろう……刀工は鎌倉時代の作品をして至上とし、いまにいたるも、これをうわまるものはないとされている――完成されつくしている……!
 鉄がちがう――このころは、まだまだ、出雲の砂鉄から、玉鋼(たまがね)をつくりだしていた……草薙剣とおなじ材料が手に入ったのだ――
 そのうえに、鎌倉期の刀工はそばの生地のように、いくえにも鋼をかさねてそれを延べ、おどろくべき硬度と鋭さを獲得する技法を確立した……つい、このはなしにふれてしまうのだが、あるバラエティ番組で、日本刀にピストルの弾丸を撃ち込み、その硬度ときれあじを検証するという企画があった――使用されたのは、コルトM1911A1、四十五口径オートマチックピストル……結果、日本刀は、直撃した銃弾を両断している。後年、同じ番組で、今度は、ブローニングM2重機関銃、戦車への攻撃にも使用される兵器をもちだして、日本刀の限界に挑戦している――結果、日本刀は、六発まで切り裂き、七発目でくだけちった……そのさいにもちいられたのは、まあ、文化財やゆいしょある美術品を、実験というより暴挙に供することができるはずもない――現代の刀工の作品である。
 
 そして、鎧――
 武士という階級が日本をせっけんしていくにしたがって、甲冑の様式がかわっていく……奈良朝の軍隊のものより、ずっと自己主張がつよくなる。金属の札を糸で縅し、可動範囲を確保しつつあざやかなグラデーションをつくりだした……あきらかに、官給品の画一化された規格ではない。武具を自弁するからこそ、すきなだけ、数寄(すき)をこらして、心胆と魂と命を誇示する装束を用意する……オーダーメイドの、特注品ぞろいだったのだろう。 当時の具足師たちが、狂喜したであろう――東国なれば、皮革や羽毛といった材料も豊富で、後の戦国乱世当世具足までつうじる、絢爛華麗を演出することができる……そして、「大鎧」という、武者を決定的に印象づける装備が完成する……
 奈良朝のものにくらべて、あきらかに荘重になった兜……よもや、頭部にまで札を縅す「挂甲(けいこう、うちかけ)」の形式を採用し、頭頂に鉢をのせ、そのぐるりを(しころ)で巻いて、装飾性を保持するとは……
 あるいみ、いたましいまでのおしゃれをかんじてしまう――地方が、中央にあこがれるあまりに発奮し、中央をこえる奢侈華麗を実現する、という現象がある――十九世紀のロシアが、フランスの雅致にあこがれ宮廷をエルミタージュ美術館でみられる贅美の極致でかざったように……
 きっと、坂東武者たちが――武士という、がんらいが卑賤のイナカモンが凝らしたこの奢侈には、そういう一面がある……
 兜など、固いもので頭部をおおえばよいではないか――「ヘルメット」でじゅうぶんではないか……
 かれらは、(がえ)んじなかった――草摺からつづく上体の挂甲形式のグラデーションを頭部まで至らせることで、全体をあざやかにかざりたてる……武士は、軍兵……
 そうすることで、中央におとらぬ(つはもの)がいるのだと、喧伝する……実用的でじゅうぶん、というのは、自分たちの立場に自信があるからこその態度なのだ。そうでなければ、「馬子にも衣装」だ……馬頭の鬼どもは、せいぜい、けんらんにかざりたてるほかない……
 
 まして、かれらは命をたまとちらせる……
 
 まこと、草深く、土臭い場所から、現代のわれわれにまでつづく美学は出発したのだ――身命ひとつしか、賭場にはりだせるものなどありはしない……
 無明の闇から、われわれはやってきた……
 どうも、兜のはなしをしていると、筆がとまらなくなってしまう――ようは、武士という戦士階級にとって、戦場こそが、最高の自己表現の舞台であり、そこに集約していく武具というアイテムにこそ、当時全国をひたしていた、八幡に暗喩される秦氏のミームが、根づいているようにおもえるのだ。
 「武」は、秦氏にとっても、特別な舞台だった――そこでは、けれんや虚飾はけしとび、存亡を賭しているがために、ひとは合理主義者にならざるをえない……がんらい、はずれものの、へんくつものであるはずの技術者が、一挙、起用される……
 だからこその兵主であり――弓矢八幡……
 武の盛事……
 
 

――

ここにきて、秦氏の武への献身は、一周回って、合戦場を祭事(フェスティバル)のようにかざりたてる方向に旋回している……それでも、実用合理の姿勢はくずさず、誤解されているが「(シールド)」に該当する防壁ももちいて、戦場の理にそったまま……
 
 合戦の戦法は、軍陣から、個々人の一騎打ち……その総和へ、ふしぎな変遷をたどる……
 
 まあ、そもそも、合戦の目的が、攻伐、相手方を絶やすような徹底的なものではなく、土地争いにもとづく押領である……そこは彼我の武勇のたけくらべであり、恥と名誉の極致として自害殺害にいたることは多々あれど、底部の意識はスポーツにも相似するものだったのだ。そのせいか、鎌倉時代以降の文献には、どう考えても合戦としかおもえない規模のたたかいを「喧嘩」と表記していて、首をひねらせるものがある……
 
 喧嘩、その延長線上にあるものが、当時の合戦だったのだ……高度な政略や、絶滅を正当化させる権力意識などない……ただただ、土地争いの必要性と、中古から中世へ軸足をうつしつつある人民の烈しすぎる感情があるだけだ……
 
 こういう依頼主の意識もあり、武と合理性にたいする秦氏のこだわりは、実用的な武具の荘重華麗へと転化していったものとおもわれる……
 
 そう思えば、大鎧というよそおいは、武具というより、美術工芸品として評したほうが、より、秦氏の精神にちかづけるかもしれない……だいたいが、秦氏は兵主部ではあるものの、自身、戦争や武術にはうとい……兵士ではなく技術者なのだ。
 ころすことに効率性をもとめるような意識は、元来持ち合わさない――それは日本史の幸福でもあったろう……八幡大菩薩が、華夷秩序のような峻烈な差別を容認しない……たやすことを(うべな)う権力意識を是認しないあたり、真事、武神にして大慈の菩薩だ。
 
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