軍囃子 節三

文字数 1,214文字

 さすがに気落ちして、二、三日を、うつうつと過ごす。そろそろ、五月雨の予兆か、ぽつぽつ、雨粒が下るようになっている。
 (湿気や暑気が高じるようになれば、疫気も広まってしまう)それでも、気になってしまった。
 ここは、大伴氏と藤原氏が暗闘した果てに建てられた新京。
 乙訓郡長岡京は、いわば、藤原刷雄の弟ではないか。陰陽の、その前者……
 ひょいと、図書寮から出て、下京を目指す。「また、お一人で」と、世道が伴をした。
 日照雨(そばえ)じみた雨が降っている。薄く広がった雲から、しとしと、雲間から射す日に輝く雨粒が落ちてくる。相変わらずの殷賑。水路を行く廻船。「兵主神(ひょうずのかみ)と」「兵主神神社(ひょうずのかみじんじゃ)だそうな」などと、漏れ聞こえてくる。兵主神を祀る、その祠廟として、官営の神社を建立するのだ。水路を下っていく船の幾艘かは、その材を運んでいるのかもしれない。「くどいわい」と、だれかが笑う。「兵主神社(ひょうずじんじゃ)」などと、早くも、呼び名をあらためている。
 「存外、変わらぬものですな」世道が、どこか、隙間のある声で言う。「われらは、血まなこになって、罔象女神を勧進しました。しかし」「世人の知るところではないわい。それに、今は無事でも、後々になって、障りが出るやもしれぬ」「十年一日」(そんなものだ)虚無感、は、ついて回る。あれほど尽力した所業が水泡に帰しても、世の中には、なんら、差し障りがない。それは慶賀とすべきだろうが、なにか、自分達とはなんなのか、という無力感がある。
 (微塵)それが、からっけつの空虚が、救いなのだと仏者は説く。
 それが韜晦に過ぎぬのでは、という程度の娑婆っ気は残っている。大きなものが過ぎていく。季節とか、時局とか。
 砂粒でしかない。
 (だからこそ、わく勇気もあるわい)後背は無で、前途もまっさらな無で――それで、勇み立つのが、禅の心。だが、一方で、それこそが、人の気概だとも思うのだ。
 枯淡と諦念から、ふつふつと進発する。そんな、空元気を吹聴するのが関の山だが。
 枯れ木も山の賑わいだ。
 「おい、憤怒はどうした」世道が、陰のあるまなざしを向ける。(くくくく)しょげていやがる、と、この部下を見て思う。ばしん、と、世道の背中を叩く。「気焔を上げよ。愚痴くらいなら、聞いてやる。(ささ)ならば付き合おうぞ」「お(かみ)こそ、気落ちしていたのでは」「若いのがしょげかえっているのを見ていると、しっかりせにゃならんと思うのよ。この際、貪瞋痴(とんしんち)の三毒を喰らってもかまわん。毒喰らわば皿まで、じゃ。毒を吐け。天をも焦がす怪気炎を上げよ」「ふ」大男が、片頬(かたふ)を上げる。天狗が戻ってきている。不敵なものがある。
 刷雄は、ずるい。
 他人を励ますことで、自分もそうなることを知っている。
 「それに、これより、わしらは敵陣に向かう。敵情視察じゃ。鋭気は入り用ぞ」「まして、兵主神なる軍神の膝元ですしな」「応よ。図書寮の先槍の鋭さ、見せてくれようぞ」雑踏と船影に富む、長岡の道を下る。
 
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