軍囃子 節八

文字数 1,373文字

 二人は、なおも悪所を見回り、兵主神の武威が、りんりん、魔も疫も降伏(ごうぷく)させているのを確認する。刷雄は肯く。「取りあえずは、これで良かろう。地鎮、まさに、地を鎮める功徳はありそうじゃ」「(ふみ)を鎮めるから文鎮、(つち)を鎮めるから地鎮、と」「まあ、どうも、神異にして妖異のおもむきもある。地異(ない)(大地震)が起こらぬよう、祈るとしようぞ」「この神に、ですか」世道が、蚩尤を見上げる。(そのことじゃ)と、刷雄には、依然、ひっかかっている。
 一体、誰が、蚩尤なぞを守護神にして、得をする。
 「世道よ。も一度、普請現場に戻ろうぞ」「はて」二人は、兵主神神社が建立されつつある現場に足を運ぶ。工匠、力夫、車馬の響き。喧騒と槌音。刷雄は、雑踏を、漫然と見渡す。
 (なんじゃ)なにかが、気にかかる。人、人、人。その装いや、人相。(うーむ)
 「一度、図書寮(ずしょりょう)へ帰りましょう」「む」「蚩尤、などという、とんでもないモノが出来したのです。なぜ、これが、兵主神(ひょうずのかみ)などと呼ばれ、この長岡京に勧請されたのか、調べることができるかもしれません」「うむ」二人は、悪所を離れる。
 世道が、図書寮で調べものをしている間、刷雄は、独り、座禅を組み、おのれの心象と向き合う。止観――心の中の事物に意識を止め、それを、観相して、内々まで暴く。心に浮かぶのは、あの、普請の現場だ。木工、荷役、それを監督するものたち。なにが、こうも、心に懸かる。
 罔象女神を勧請する企図は、最初から、妨害されていた。赤い道服の方士。徐福。
 徐福が、あの方士を雇ったなにものかが、蚩尤を、兵主神という名で勧進したのか。
 なぜゆえ。
 たっぷり、半刻(一時間)も迷走した後、刷雄は、目を開ける。ムクリ、と、身を起こすと、そのまま、図書寮官衙を飛び出し、西堂(朝堂院での位置)の大蔵省へ駆け込む。
 「おい、節部(せつぶ)の」と、旧知の友を呼び出す。「おぬし、心臓に毛が生えているやからよの」と、節部こと、漢某(あやのなにがし)が、顔を出す。大蔵省は、一時期、節部省と名称が変更されていた時期がある。その時期に知り合ったため、大蔵省に戻ってからも、節部、節部の、で、通している。
 この名称変更をしたのは、刷雄の父であり、反乱し敗れてからは、旧称に復した。よくもまあ、藤原南家の古傷をほじくり返す呼び名を連呼する、ということだ。
 「何用かな。図書頭殿」「ぬしに、ちょいと、ご教示願いたいことがある」「仏具典籍を保管し、その司書をするおぬしらに、ものを教えることなぞできるのか」「文物は、われらが管掌」(あや)氏の友を見る。「財物は、おぬしらの領分であろう」「予算については、しかるべき部局を通せ」「いや、確かに、国庫についての相談なのじゃが」忙しなく、単衣の袖に腕を入れる。声を低くした。「悪所の官幣社(かんぺいしゃ)(官営神社)、聞いておるか」「ああ。兵主神神社」「あれを建立する費用は、国庫から出たのかえ」「おやおや」節部が、刷雄を見る。「なにやら、怪しいにおいを嗅ぎつけたな」「ここ最近、悪臭ばかり嗅いでおるが、まだ、鼻はばかになっておらぬ。費用の出所を知りたい」「猟犬を気取って、つっつきすぎるなよ」かぶりを振る。「金品の流れを追っていれば、さまざまなことが見えてくる。いや、百鬼夜行じゃ」「火の車よりはましであろう」「だれが、そうではないと言った」うらめしそうな目つきになる。
 
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