ひょうすべの誓い 節五拾三

文字数 1,246文字

 倭寇には、前期倭寇と後期倭寇がある。前者は、南北朝の戦乱に端を発する――この戦いで治安が悪化し、私掠船が横行を取り締まることができなくなる。また、実際に、南朝方の西国武士が食糧の確保などを目的に朝鮮を襲った――つくづく没義道な時代だ――
 海賊ではなく、軍隊だったのだ。実際に、倭寇の装備が日本の精鋭部隊とおなじだったことが確認されている。大鎧をまとい鏑矢を射かけ、日本刀を抜きさらして斬り込む軍団……えらいことである。
 南北朝時代というのは、精神的な美学がなく、戦乱に参加したものたちは我利我利の動機でやっている――合理主義の裏返しで、損得勘定と利己主義にこりかたまっている。
 それなのに、鎌倉時代から引き継いだ、野獣のごとき精気をたたえている!
 ぜったいに、犯罪者になどなってはならない、そういう人種だ。
 

……!
 それは、こんな連中に攻めよせられれば、ひとたまりもない――朝鮮はおろか、山東省や黄海沿岸部まで荒らし回った――とき、おりしも元朝の末期だ。朱元璋ほか豪傑たちが、紅巾の乱で易姓革命を起こしている……この時期、海賊の数が増え、明朝の通弊となる海禁政策の原因となる。
 つまり、倭寇だ――ほかにも、海賊は大勢いただろうが、倭寇が元朝を傾ける一因になったことはまちがいない――この連中は、略奪行為に良心の呵責を覚えなかっただろう……ひとつには、南北朝時代の武士だ。我利我利で、冷徹……必要であれば、どんなことでもやる。ある意味、これ以上海賊に向いているものもいない、剽悍にして冷酷な野獣だ。
 加えて、倭寇は、「元寇の復仇(ふっきゅう、かたきうち)」をお題目にしていた。日本は、海の外から加えられた圧力には、強烈に反応する……幕末、蒸気船一杯が砲艦外交を行ったとき、どれほどの狂騒が日本中を掻き回したことか……ペリーは、別に侵略をしていない。
 元は、九州を襲った。
 子女を連れ去り、その手を貫き船へゆわいつけた……「壱岐対馬二島の男は、あるいは殺しあるいは捕らえられた。女を一所に集め、手を(とほ)して船にむすびつける。捕虜となったもので危害をくわえられなかったものはいない」……楽園の国土を(かす)められたときの激烈な怒りが、幾世紀も継承されているのは、空恐ろしくすらある――ただ、朝鮮征伐の恨みを、未だ朝鮮で昨日のことのように語り継いでいることを考えると、外敵に国土を踏まれた遺恨は、骨肉となり、遺伝していくのだとかんがえざるをえない……朝鮮出兵という言葉ではなく、朝鮮征伐という言葉を使ったのには、わけがある。
 朝鮮では、元寇のことを、「日本征伐」と言っている……正確には「麗蒙(れいもう)の日本征伐」、高麗と蒙古で、日本を征伐しに行った、ということらしい……
 やったりやられたりなのだ。歴史は。
 後世のものとしては、「いやあのときは派手にやったな」と笑い話にする胆力を彼我が持つ他ないのではないか――勝敗は兵家の常、というのは、いい言葉なのだ……
 つまりは、
 攘夷、
 だ。
 
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