まつろわぬ民 節卅七

文字数 561文字

 兵主神は、八千矛神(やちほこのかみ)、スサノヲといった武神とも習合している――後の八幡神の、武神としての発展を考えれば、この変転は至極自然だ。
 ――まあ、きたんのないことを言わせてもらえば、八幡神の成立は六世紀、この物語から遡ること、さらに二世紀の昔だ。その時点で、これだけ入り組んだ習合を遂げているのだから、もう、わけがわからない――
 後世、武家の神とされ、今日われわれが「八幡様」の名前で親しむこの神は、出発からして、実は武神である。神功皇后の三韓征伐(新羅、百済、高句麗の征伐)が史実かどうかはわからないが、どうやら、出兵し、一定の戦果を収めた、くらいは言い得そうである。当時の本邦は地理感覚的に朝鮮半島とゆるやかにひとつづきだった印象があり、日本で勢力を蓄えたものたちが、朝鮮半島へ攻め上る、というのは、十分ある話だ。八幡、の、幡の字は旗のことであり、これは仏寺の装飾物だということだが、この時代の日本語は、先に「やはた」という音があり、これに「八幡」という字を当てている。つまり、「たくさんの旗」という意味であり、なにも仏教に即して考えることはない。八幡神は神功皇后であり、彼女が三韓討伐後に対馬に(はた)を奉納した、という伝説もある。八幡、は、つまり、「数多くの軍旗」であり、三韓征伐の盛観を祝した神号と捉えてもいいように思われる。
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