まつろわぬ民 節六拾六

文字数 2,003文字

 契約――
  (かれ)ここに天照大御神見(かしこ)みて、天の岩戸屋を開きてさし籠りましき。
 おぬしに、日没(ダウン)は似合わない。
  天の(やす)(かは)の河上の、
  天の堅石(かたしは)を取り、
  天の金山(かなやま)(まがね)を取りて、
  鍛人(かぬち)天津麻羅(あまつまら)()ぎて、
  伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)(おほ)せて、
  鏡を作らしめ、
 暗闇にあって、おのれの尊貴を見失うのなら――その闇の片隅には技術の民(われら)がいる。
 幾度でも、鏡はおぬしと向き合おう……
  於是(ここに) 天照大御神 (あや)しと思ほして、
  天の石屋の戸を(ほそめ)に開きて
  内より()りたまはく、
  「()(こも)りますに()りて、天の原おのづから(くら)く、
   葦原中津國(あしはらのなかつくに)も皆闇けむと思ふを、
   何由(なにゆえ)にか
   天宇受賣(あめのうずめ)(あそび)し、
   また八百萬(やほよろず)の神(もろもろ)(わら)ふ」
   とのりたまひき。
  ここに天宇受賣(あめのうずめ)白さく、
  「(いまし)(みこと)(まさ)りて
   (たふと)き神いますが故に、
   歡喜(よろこ)(わら)(あそ)ぶぞ」
  と(まほ)しき。
  かく言ふ間に、
  天児屋命(あめのこやねのみこと)
  布刀玉命(ふとだまのみこと)
  その鏡をさし()でて、
 
  天照大御神に見せまつる時に、
  天照大御神
  いよよ(あや)しと思ほして、
  やや戸より()でて臨みます時に
 
 異彩に触れ、幾度でも、おのれを取り戻せ――正道よ。
 われらは依然、
 ひとつのものだと、夢見ることができるのだ。
 
 (ち)刷雄は、心中舌打ちする――天照大御神に八咫鏡(やたのかがみ)を差し出して、おのれの光輝と直面させたのは、天児屋命(あめのこやねのみこと)――藤原氏の祖だ。(乗せられた)
 刷雄は、ひょうすべたちとともに、鏡を支え、罔象女神(みずはのめのかみ)へ、差し出した。
 
 「水走(みずは)よ――罔象(みずは)よ」
  かがみよ かがみ かがみさん
 神がいる――鏡がある。
 このまぎれもない神事の一時(ひととき)に、徐福が言う。
 「罔象(もうりょう)よ」
 ――それでも、清澄さは、揺るぎなく……
 「全般にして、一般たり得ぬものよ――普遍であるが故、(かたよ)りを定められたなにものかよ」
 ――偏屈(へんくつ)もの、であろうな……われわれは――
 「どうか、われわれの社に(うつ)られませ――その神明のかがやき()て」
 顔を上げる――女神がいる。

 これと同じ場面(シーン)を、知っているような気がした――だれが?
 おのれではない。
 きっと、秦のだれかが、(けみ)してきたのだろう。
 渡来人が……
 
 本邦との邂逅、その端緒(はじまり)にでも……
 
 「異境の闇にあっても、(もとい)を見失わぬ、しるべとしてあらされますよう」
 女神――
 輝ける……
 あたたかく。
 その名は知っていた――ずっと、

……
 だからわれらも――かくも、絢爛たる異端であれたのだ……
 
 「日女神(ひめかみ)よ」
 
 
 ……ありがとう……
 
 
 (たれ)が言ったのか――
 彼が――彼女が――その両方が……
 矛と盾が。
 矛盾もなく――
 最初から――二律背反などというよそよそしさは、さらさらなく……
 貧しく――(とぼ)しく――
 だからこそ、ともにあれた。
 それは、栄光の時間だったのだ。
 
 それは、本当に、幸せなときだったのだ!
 
 そう、両者が言う……
 
 一二三四五六七八(ひふみよいむなや)(ここの)(たり)……
 経留部(ふるべ)
 由良由良止(ゆらゆらと)
 経留部(ふるべ)……
 
 全般――それ故、定まらぬ……一般たり得ぬ……
 それは「水」の、あり方だ。
 罔象が――蔭が。
 罔象が――水走(みずは)が。
 由良由良止(ゆらゆらと)……
 止まる。
 止水――
 明鏡(かがみ)
 
 

――
 
 微笑(みしょう)――
 遠神(とほかみ)
 笑賜(えみため)……
 

……

 ご照覧(しょうらん)あそばされていた……!

 (われらの――

も)
 もって瞑すべし――秦の鬼どもが、声を上げる……随喜の、報われたと!
 そして、武の民らしく鬨の声(ウォー・クライ)を……凄絶に。
 忠勇の声を――まつろわぬ民が。
 永遠に背きながら――それでも、護持して止まぬその一条。
 八幡と日女神(ひめかみ)のごとく……
 さぶらふものは、

にはいたしませぬ――!
 手を差し伸ばすものは、数知れず……それに応じる手もあらたかに――
 
 両者が、結ばれたかはわからねど――
 
 罔象女神は、もうおられない――遷御(せんぎょ)された。
 神霊は、物実(ものざね)へ……
 ひょうすべが、そっと、(きぬ)をかける――
 神輿へ戻す……
 神は、渡られ給う……
 
 上善水の如し――それは、神徳にも似て。
 上より下へ――人の(いと)う方へ、自ら向かう……
 下野……
 朝より、野へ――
 日出ずるところより、日没するところへ……
 
 それが、秦氏の総意だった――

 (大丈夫だ)徐福は、思う。
 われらは、あの日を知っているから――
 在りし日に――先祖の上にも照ったであろう、あの陽の輝きを……

 暗闇の底まで、持ち越せるから……

 (見失わぬ)
 手を合わせ、小泉川へ――みなぎる清澄の水面に、祈る……水鏡……明鏡……
 鏡の、日のごとくに照り輝く……
 そんな媒介を経るまでもなく……そこにおられる。
 陽の沈んだ闇の底にあってさえ……
 秦の老人は、ほほ笑んだ。――長い……長い重責から解放された……そういう歳の男だけが浮かべることのできる……どこか、透き通った……人生の濁りがことごとく沈殿した結果――上澄みのような、澄んだ笑みだった。
 
 
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