軍囃子 節十一

文字数 1,309文字


 上古から中古。ひとの世が、依然、神話時代の伝説と、分明になり切っていない。神別の素性持つ貴族らが、おのれらの家祖を記紀神話に置き、それを誇りとする。
 秦氏がおのれらの祭神として、日本へ持ち込んだのは、兵主神(ひょうずのかみ)
 その実体は、はるけきいにしえに黄帝と世を争った乱神、蚩尤なのだという。
  夕立のすぎにし池のはちす葉に涼しくのこる露のしら玉
 「易伝を正し、春秋を継ぎ、詩書礼楽の際に(もと)づくるもの有らん」と、高々と謳い、聖代の五帝から漢の武帝まで、歴史や政治、諸侯や人物まで巨細なく記したものが、司馬遷(しばせん)の『史記』だ。「易経を正しく解釈し、春秋戦国の心を継承し、詩、書、礼、楽の基盤となるものを出そう」ということだ。占事から、歴史と政治、文芸文化と、その筆は及ぶ。
 そこに、「封禅書(ほうぜんのしょ)」がある。
 「封禅」と、刷雄は言う。
 「秦の始皇帝も、これを行ったそうじゃのう。泰山にて、天地の神々を祀り、帝王の即位とその至徳を言祝ぐ。地鎮祭の、とくにめでたいもの、鳳凰と麒麟が慶賀を述べるがごとき至尊の天子が行う、社稷を祀る儀式、そんなところか」
 「知った風な口ぶりをのぞけば、まあ、大意は、肯けよう」
 徐福の軽口を無視する。
 「泰山の頂にて、円壇を築く。そのふもとにて方壇を。天円地方、天は(まる)く、地は方(四角)く。そして、天地の神々と、八神を祀る。八神とは、天主、地主、

、陰主、陽主、月主、日主、四時主」
  三曰兵主、祠蚩尤。|蚩尤在東平陸監鄉、斉之西境也。〈史記〉つまり、
 三に(いは)兵主(ひょうず)、蚩尤を(まつ)る。
 「兵主神は、封禅にて天子が祀る、八神の一柱、

」(主上が重んじられるはずよ)刷雄は思う。
 桓武帝のお心が、唐様(からよう)を嘉される、というのは、上下共通の認識だ。そも、国母が和氏(やまとうじ)(渡来人系)であらせられるし、ご自身がたびたび郊祀(こうし)を執り行われている。これは、封禅から来た祭祀だ。しかも、その場所は、この長岡京の南郊。
 (長岡京の郊祀を完全なものとして、至徳の帝が執り行う封禅に昇華する。そんな風にでも、売り込んだか)
 成る程、通すべき筋を通している。かくて、こなたに、兵主神、蚩尤が佇立している。
 彼方(あなた)の神が。
 蕃神(ばんしん、異国の神)。
 蕃は、蛮。
 (蛮族の神だ)と、思った。
 蛮の字には虫偏が入っているし、それは、蚩尤も同じだ。もろこしでは、王化に浴さぬ西戎北狄の類いには、容赦なく「(えびす)」と、虫を当てて、人間あつかいを止める。
 これを氏神として持ち込んだ秦氏は、そもそもが、中華にとって、蛮族にあたる、まつろわぬ民だったのではないか。蚩尤は、反乱の神であり、兵器に鉄を用いることをはじめたとされる、鉄の神でもある。これはうがち過ぎかも知れないが、春秋戦国を終わらせた秦は、鉄製兵器の豊富さで、諸国の優位にたった。鉄を背景にした一族、ということで、秦氏が、秦の始皇帝を祖としたとも考えられる。
 さらに、こじつけのような話をつづけるのなら、秦氏の出自はともかく、百済経由で日本に渡来したのは間違いない。蚩尤は神話時代、黄帝と涿鹿(たくろく)という場所で決戦している。これは現在の河北省涿鹿県であり、ざっと言って朝鮮半島よりだ。
  
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