まつろわぬ民 節八拾八

文字数 1,339文字

  (かれ)、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛(ぬぼこ)を指し下ろして、()きたまへば、
 妙薬(アムリタ)を得んと乳海を攪拌(かきまわ)す……
 いずれも、天地創造の逸話だが、そこまでさかのぼるまでもない――森の妖婆が大釜(コルドロン)にかがみこみ、呪詛と呪文をふきこみながら、ポーションをへらでかき回す……
 白黒、陰陽が尾を引きつつ、互いを追い回す渦が、太始であり、太極だ……
 かくあれかし(アーメン)――運命(さだめ)が、宇宙を廻転させ、秩序(コスモス)が組みかわる……そういう、混沌の流れ(カレント)をひとは運命と呼ぶ……
 
 鉄のさだめ……(くろがね)の意志。
 
 文明史をかき回したこの激流が、無数の自由意志を呑み込み、旋回させる……
 早良親王も――うすうす、この作用をかんじていたかもしれない……おのれをひたし、おのれをみちびき、
 必然が偶然を包摂するプロセスを……
 (踊らん――なるほど、予は道化よな)平城の聖徳より(うつ)ったこの新京で、旧態依然と奈良仏教に義理立てし――
 あげく、新京を造営するごたごたにまきこまれ、憤悶のなかで死した鬼……そういう、桓武帝の実弟――親王だ。
 (大枠のさなかでのれんに腕押し、からまわりしつづける道化師よ――兄上、ご憫笑あれ)
 宮廷の外に宮廷道化(ジェスター)あり――大枠(パラダイム)に空転しつづける、その移動(パラダイム・シフト)

に忠実であらんとする……体制の枢機――親王だ。
 忠節。
 なれば、節あらたまりしみぎりには、その切りかわる節目には、伏してたおれるのみ……
 
 そしてここでも。
 
 もそっと、巨大なパラダイム・シフトの潮流に、からまわりしつつ、歯車として利用される……
 吼えろ――
 マクロの事情なぞ、知ったことか……おのれが、ミクロの情念のとりこであるのなら――静慮と諦念の虚空へ、おのれを呑み込む轟然たる混沌のただなかで……
 ちいさきものの怒号をなりひびかせる――目にもの見せてやると!
 拳ふりあげ、いどみつづけるのだ――それが、鬼の王の節度なのだから!
  分別諸佛刹 眞實無差別  (……もろもろの仏寺を分別する、真実にして無差別)
  能善分別知 一切諸世界  (善を分別する知恵、一切諸世界)
  於彼十方國 無有分別想  (彼方の十万王国において、分別なしと悟る)
  如是正觀察 十方諸世界 (このように正しく観ずる、十方諸世界)……
 数珠をもみ、鬼の王は、読経した――おのれの呪文……呪術――
 火車のなかで命じるのだ――鬼に……秦の鬼に。
 きたれ(ヴェニ)
 きたれ(ヴェニ)
 わがもとへ(ヴェニアス)
 
 ……呪術は、元来が、エモーショナルな本能(インスティンクト)の表出、世界を説明づける古風な世界観を、どう表現し、おのれの望む方向に、どうやって書き換えるか……それを言葉でえがききり、ひつようならば、そのほかの動作(モーション)物品(オブジェ)を駆使して描出する――望む仮想を、創出する……そういうアートだ。
 『金枝篇』のジェームズ・フレイザー曰く……魔術はすべからく共感、相似するものは、(あい)つうじる……
 早良親王は、中性子星のごとき引力を惹起し、時空をへこませ、自らへ傾斜させる……鬼どもの界隈を……
 応える地上の鬼ども……
 だが、秦は応えず……
 
 鉄の都合、鉄が都合する運命のなか、早良親王の呪術が、ばくばくととどろき……
 
 そして、ついにおよぶのだ……
 秦の中核へ――
 そしてはじまるのだ。

 おわりが。
 糸巻きの廻るように……
 
 
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