ひょうすべの誓い 節廿八

文字数 2,771文字

 輝元と秀吉の再度の対峙は、天正十一年(一五八三)五月になる。この時期の秀吉は、ややヒステリックなくらい、毛利氏に対して強硬に出ている。それもしかたのないことで、すでに、小牧・長久手の戦いの狼煙が上がっている。徳川家康と織田信雄が同盟しており、この巨大な東側の連合と決戦する前に、毛利と講和しておかなくてはならない。この講和条約自体は中国大返しの際に、とりいそぎ締結されたものだが、そこに、美作、備中、伯耆の三カ国を割譲する条項がある。毛利は、これに、難色をしめした。むろん、秀吉の窮境を見てとった上で、足許を見ているのだ。
 秀吉は、折れなかった。
 ここで強気に出られるあたりが、やはり、秀吉は秀吉――限りなく個人芸で、天下人にのぼりつめたのだ。
 断固として三カ国割譲をもとめ、毛利家が渋っていると、条件を五カ国割譲まで引き上げた――これを容れなければ、直々に毛利を成敗するとまで激語した。
 (猿め)毛利家家中は色めき立った。こたびは両川家がそろって戦うべしと気を吐いた。ただ、安国寺恵瓊のみ、秀吉と戦えば十中八九とは言わずとも七八は負ける、と、予言していた――この時期の恵瓊は、どうも、秀吉に傾きすぎているきらいがある。その後の豊臣政権下で栄達を思えば、もしかすると、内応していたのかもしれない。
 (爺)冷めた目で恵瓊を見ながら、輝元は、状況を観望したであろう。
 勝てる、と、踏んだ――
 中国大返しでは追わず、賤ヶ岳の戦いでは、中立をつらぬいた。それでも、まさか秀吉ずれに、中国の覇王がゆずってやるつもりにはなれず、現に今も、割譲をもとめられている地域で抵抗の気運が高まっている。美作では秀吉麾下を撃退しているのだ。加えて、四国の覇者となった長宗我部元親は一貫して反秀吉の気炎を上げている。
 大毛利のうごきひとつで、秀吉は地獄の底に落とされるであろう――
 秀吉の強気は、要するに、向後の外交戦略を踏まえたポーズなのだ。ここで譲歩すれば、関東や北陸まで巻き込んだ、諸大名を抱き込む外交戦にさしつかえる……ならばこそ、ここは譲歩して大毛利との同盟をアピールすべきなのだが……
 (大気ものよな)
 すでに、五月の時点で、信雄は家康と同盟して、戦いが勃発している。家康は小牧山城を補修して大軍を籠もらせている、秀吉は犬山で陣を張り、土塁や砦を築いて、戦線を要塞化――あの有名なにらみ合いが発生している。
 この状況で、あくまで三カ国割譲を強要し、おのれの親征までほのめかしている……
 (とほうもない男だ)
 呆然としてしまう――信雄はともかく、家康という男の外交能力は卓絶している。右府信長存命時は篤実な同盟者であり、天下への野心など毛ほどもみせなかった。本能寺の変が起こると、甲信地方を切り取り、さらに北条氏と同盟して、大勢力に成長した。信長が死んだ、いわばドサクサだ。
 そしてそれだけの石高と影響力を背景に、今、天下人の座を秀吉と争っている……紀州に名高い根来衆や雑賀衆が、秀吉のいない大阪を侵略している――ほどなく関東の北条も味方し、日本中が、小牧山城という尾張の一拠点を中心に、鳴動することとなろう……乾坤を一擲する賽の目であるはずなのだ。大毛利を味方につけるか否かという、この局面は……
 (この情勢でよ)
 すでに、天下分け目の状況が構築されている。そうである以上、秀吉のこの大見得は、大舞台で、しゃにむに踊っているようで……
 くす、と、輝元は笑ってしまった。それから、卒然と思う。
 ……自分にはできない真似だ。
 (猿)
 秀吉という男は佐波多氏の末裔(すえ)らしいが、およそ、身分なぞといえぬほどの貧農の出なのだという……
 赤手、空拳……なにひとつ持たずに生まれてきた。持てるものと、持たざるもの(ザ・ハブズ&ハブ・ナッツ)――大毛利の後継者であるおのれと、こうまで対照的か。
 秦氏とは――
 
 ひょうすべとは、そも、

……
 
 徒手空拳で異邦にわたり、わらしべ一本からはじめて長者となる……
 あれも、懸命に、天下という夢にとっついている……
 
 今、大毛利が馬蹄を轟かせれば、秀吉の夢見は終わる……
 
 それは、きっと、ひょうすべの天下が水泡に帰す、ということでもあるのだろう……土佐から出てきたとんでもないいなかものの長宗我部が秦氏を呼称しているが、ああまで露骨に秦の素姓を押し出していては、天下を望むのにさしさわりがあろう。同盟者である惟宗(これむね)姓島津が大友氏をおびやかしているが、この大毛利を抜かして上洛を果たすのは絵空事だ……
 (ああ)
 (ひる)んでいる、と、そう思った――大毛利の看板には、なんらはじるところはない……
 だが、おのれは、ひょうすべなのだ。
 ――渡来人なのだ。
 ……ヤマトを治めることを、そのことに、引け目を感じている……!
 (楽園よ)
 われらは、なんなのだ――? 異邦より渡り、本邦を富ませた。もう、十分、貸し借りは清算されている……!
 そのはず、なのに……
 
 ――さぶらふものは、あだやおろそかにはいたしませぬ!
 
 ……それは、ひょうすべの呪いなのだ――渾身の祝福で、
 
 決してないがしろにはできない誓約で……!
 
 (~~~~~~~~~~)輝元は、おのれの額を押さえ込んだ。過去が氾濫する――由緒が叫ぶ!
 異端として栄えよう――大いに蠢動し、正統をゆりうごかそう……
 
 だが、立つな――(くあー)
 
 地方の野党であるからこそ、朗々と正論と正義をのべられる――詭弁と偽善を駆使する中央で、周防の無骨が通じるというのか……?
 
 正論と正義だけでまかり通るのが、まつりごとだとでも言うのか?
 (……弱い)
 矜持はある――われわれこそが正しく、それゆえに結果も出せる……
 
 だからこそ、けむたがられるのだ……!
 (ああー)
 
 そういう場所ではないのだ――ひとのこころというのは!
 (くそ)
 それでも――いくどもいくどもやり込められながら、結句、この結論に至らざるを得ない……
 
 われらはちがう。(あー)
 
 異なっている――異邦のものが、王になれようはずもなく……!
 去にし方(いにしえ)の祭祀王である大神(おおみわ)氏すら、そのうえに戴く筋目を必要とした……
 われらは、引き立て役なのだ――
 
 天下が――
 
 それでも、おのれにのこっていたのであろうか野心が……
 遠のいていく……
 
 「猿め!」
 くれてやる。
 おのれが最後だ――
 
 貴様が、最後のこころみなのだ!
 
 (きらびやかな舞台を夢見てきた――いつだって、中央の風雅に恋い焦がれてきた)なのに――また。
 地方が呼ぶ……
 闇の中へもどるときだと……
 ふたたび必要とされるときまで……
 
 われらは、日没する処の天子でありつづける……
 ――さぶらふものは、あだやおろそかにはいたしませぬ!
 
 周防国をも領する中国王は、決断する――
 
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