魍魎の街 節七

文字数 1,745文字

 卯月十日の夜は、そのようにして過ぎていく。四角祭の結界が敷かれ、季節外れの方相士が、四角四隅を清めていく。
 これで良くなるのか、と、言えば、刷雄も世道も、そんな風には考えていない。
 (成る程。四角祭は疫病を封じ込めるための結界じゃが、それは、外からの侵入をはばむもの)
 裏返せば、内側から沸くものをそのまま留めてしまう結界でもある。
 (下手をすれば、悪化する)
 と、見ている。いっそ、その旨を奏上し、中止を乞おうか、とも考えたが、取りやめにした。
 中止されるはずがない。
 陰陽寮が疫病封じに動いた以上、ことは、官庁の威信を賭けたものになっている。陰陽の術を買われ、疫病対策に参加しているものの、二人は図書寮だ。陰陽頭高橋御坂(たかはしのみさか)の面子が立たない。
 しがらみだ。
 (しがらみ)
 と、その字を思えば、人世間の生きにくさに、ぞっとする。正道が見えていても、柵で区切られた、その余地を進む他ない……
 果たして、日を追うごとに、上京や下水工事が行き届いている地区と、そうでない場所との差違が浮き彫りとなった。前者は、清気がみなぎり、青葉の照り返しが、大気を鳴動させている。浄化が進み、一瞬一瞬が結晶のように輝かしい。
 一方で、悪所は、ひどい。
 ぷん、と、鼻をつく異臭がする。これは、季節が進み、暑くなりつつこともあろう。わんわんと蠅が舞う。その悪神の舞の向こう、痩せ犬のごとき小鬼が駆ける。さらに獰悪なものが、物陰で、のっそりと蠢くこともある。
 五月蠅(さばえ)なす、という言葉がある。陰暦五月の蠅のようにうるさく、煩わしい、という意味だ。
 日本書紀で、天孫降臨以前の葦原中津国(あしはらのなかつくに)は、こう言及されている。
 「(さわ)に蛍火の(かがや)く神、及び蠅声(さばえ)なす()しき神あり」
 天孫降臨以前、つまり、未明の暗黒時代。そこでは、蛍火のように怪しく輝き、五月蠅(さばえ)のごとく跳梁する悪神が満ちていた。
 神徳至らず、王化及ばず。
 その荒廃。
 「五月蠅なす」は枕言葉でもあり、「騒ぐ」「荒ぶる」などにかかる。
 ()んでいる。
 日の光の下、蛆が沸き、蠅が(かえ)る。
 物の怪が踊る。
 ついに、病者の遺骸が腐り、その臭気に耐えかねて、これを遺棄するものが出た。それも、小泉川に捨ててしまう。
 ますます、汚染が進む。
 死穢(しえ)が色濃くなる。
 のさ、もそ、と、黒々とした影が、川辺を這うのが目撃されるようになった。くちゃ、くちゅう、がりりりりー、と、なにかを頬張り、囓り、(くら)う――
 その黒き影が懐に引き込み、のしかかっているものが、人の輪郭をしているとあれば、ただごとではない。
 この異様なモノに夜陰出くわしたものがいた。小泉川のほとりに住んでいるものなのだが、ぱしゃあ、ぱちゃぱちゃ、と、なにか、子供が動き回っているような水音がする―― (誰ぞ、沐浴(みずあび)でもしているかよ)と、思ったものの、最近の小泉川の臭気と汚染だ。まさか、好んで、下水混じりの川水でわが身を洗うものもおるまい。
 ぱちゃり、ぱちゃり、ぱちゃり。
 水音は誘うが如く――こうなると、夜であっても気になってしまう。戸口のむしろをどけて、そっと、川辺に出た。
 川水に浸かっている仏が、もう、珍しくなくなってしまっている。命が去った後の、一回りしぼんでしまったような女の躯体……その上にかぶさっているのは、三歳の嬰児ほどの、三尺余の背丈しかない――
 (赤ん坊?)と、某は思った。女の遺骸にすがりついている、というのは、それは、異様な状況ではある。ただ、もしや、この女の遺児が、母をすがって……そんなことを考えたのだ。
 中国の淮南子(えなんじ)に曰く、
 「罔両(もうりょう)(すがた)は三歳の小児の如く」
 次の瞬間、
 ((けだもの)!?)
と、思った。赤子が面を上げると、その耳は、豺狼(やまいぬ)のもののように長々と伸び、両目が、月下にある同類のように、テラテラ輝く。婆娑と伸びた黒髪のみが、女のもののように、豊かで、艶めいている――その髪の下、けだものが、
 くちゅり、もずず、ごぐり。
 ガチュ。むしゃ、もづ。
 と、一心不乱に、なにかを囓り取り、咀嚼し、嚥下する……
 ――「色は赤黒く、目は赤く耳は長く、美しき髪を持つ」
 罔両。罔象(もうりょう)
 魍魎。
――また、本草綱目より、「罔両は好んで亡者の肝を食す」――
 「あ、あなやあああぁあぁあああああー!」
 男の悲鳴が、悪所に響いた。
 
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