ひょうすべの誓い 節十二

文字数 1,351文字

 竹中半兵衛重治(しげはる)は、むろん、羽柴秀吉時代の股肱(ここう)だ。
 ただ、彼の功績はまぎれもないものながら、やや、諸葛亮孔明に似た潤色があるようにおもわれる。秀吉が半兵衛を招く際、それこそ三顧の礼どころか七度にわたって半兵衛の庵をおとずれたという――おもしろいことに、川並衆の蜂須賀小六と前野長康が関羽・張飛の役回りになっている――
 そもそも、草履取りの逸話からはじまって、一夜城だの七度通いだの、太閤秀吉にはこういうエピソードが多い。それは、貧農からはじまって天下人になったからには、いくらでも神話化される余地はある。なにか、こういうエピソードばかり聞いていると、秀吉の人生行路というのは、まるで創作物のようだとかんじてしまう――これは、むろん、秀吉当人が、意識して、自分の出自や道程を装飾していたということもあろう。賤ヶ岳の七本槍といって、大して功もないともまわりの少年たちを栄達させたように、そうやって、みずからが駆け上がる栄光の階段を、みずから虚空からつくりださねばならない、くるしい立場にあった。
 その点、劉備玄徳のエピソードなど、好適だったのだろう。劉備も、一介のムシロ売りから皇帝になった人物だ。しかも尊貴な出自を暗示することもできる。
 実際のところ、竹中家は、秀吉夫人ねねの実家杉原家に縁があり、そのつながらりから秀吉の謀臣になったらしい。また、美濃竹中氏は、豊後の大友氏庶家戸次(とつぎ)氏の末裔だという説もある。
 前も言ったが、大友氏は、源頼朝とその側室とのあいだにうまれた子が祖となっている。側室を出したのは、相模の波多野氏だ。
 藤原秀郷の秀郷流、千常(源氏)の系譜に、地主の立場からそっとまぎれこんだ

である――
 
 こうやって、秦氏は、連綿とした歴史の(たていと)に、(よこいと)を縅してきたのだ……

 相模から豊後、そして美濃へ……
 秦が、(はた)織られてゆく……日本史の裏側で壮大に展開する、古代から現代までつづく織物(テクスチャー)だ……
 
 そして、戸次氏は、宇佐八幡宮大神(おおが)氏の支流でもある。――つまり、半兵衛は、大神(おおみわ)氏ともつながっている。
 伊豆から美濃へ……
 
 これは、不滅の一族(イモータルズ)であろう――秦は、亡びない……日没する処、歴史の裏側で、雌伏するのみ……
 兵主部なのだ。
 兵主(ひょうず)蚩尤とともに、八幡神とともに、この一族も、沈黙する……まつろわぬもの(ドーントレス)が、日の沈まぬ王国(ドーントレス)のかたわらで……いや、周防にて。
 こうなると、川並衆の三輪吉高・吉房兄弟は、秀吉の縁戚の中でおおきな存在といえる。宮後八幡社、大神氏の末裔という郎党がいたからこそ、半兵衛も積極的に秀吉に投じたのであろう。
 ちなみに、三輪吉房は、やがて、「殺生関白」となる悪名高い息子秀次を得る……その家老になったのだから、人臣としてはこれ以上はない出世だろう。天下人の宰相なのだ。秀次切腹の後、関係者はのきなみ処刑されている。そんななか、吉房は讃岐に配流。兄吉高も秀次の臣だったが、死罪になった記録はない。「あの兄弟にはかりがある」というところか。およそ、計算できる賃借ではないが、「川並衆ヘの縁故」「竹中半兵衛を得た」というメリットから、「殺生関白の身内」という瑕疵を差し引けば、たしかに、「命だけはかんべんしてやる」あたりがおとしどころにおもえる。
 まだまだもうろくしていなかったらしい。
 
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