ひょうすべの誓い 節十七

文字数 587文字

 秀吉が中国攻めに入った天正五年(一五七七)には、元就は没し、当主輝元の体制になっている。輝元の母は、内藤興盛(おきもり)の娘――内藤氏である。
 

……
 
 


 
 ほんとうに、千晴の母、秦氏娘とだけ記されている人物は、武家社会に秦氏が打ちこんだくさびなのだ。要所要所で、この異彩が活きる……
 輝元は元就の孫で、優柔不断な人物だったらしいが、元就は彼と二頭体制で政治にあたり、大内や大友とのたたかいにも参加させている。もしかすると、内藤氏という「筋目」の秦氏を立てることで、西国の秦氏まで服属させようとしていたのかもしれない。参考までに、先の、毛利は八幡大菩薩の「神敵」だと非難した事件は永禄五年(一五六二)、輝元が家督を相続したのは、永禄六年である。
 永禄七年、大友宗麟は足利将軍に依頼し、毛利氏との和睦を仲介してもらっている――
 どうも、輝元を立てたのは正解だったらしい。
 
 なんというのか……秦氏と同僚のような大内氏からはじまって、源氏をよそおう秦氏である大友氏、その大友氏が大内氏へ猶子をおくりだし大神氏由来の家臣団をひきいて毛利とあらそう、毛利氏さえこれらの連帯を無視できずに秦氏を当主にする……
 やはり、西国は、秦の(よこいと)が繁く行き交っている。
 異邦人の機織(はたおり)をなしている……
 そして、この渡来人の織物に、羽柴秀吉という尾張の糸が縅される……
 
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