ひょうすべの誓い 節廿

文字数 667文字

 この状況を「信長の代、五年、三年は持たるべく候。明年あたりは公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候」と評した毛利家の謀僧安国寺恵瓊(あんこくじえけい)は、卓越した見識のもちぬしとされている。たしかに、みごとに時局を切り取り、予言を的中させた。一方、織田政権にも目に見える程度に危うさはあったのだ。
 秀吉は、きづいていたか、どうか――ひょうすべという連中の生理として、なにか、いったん

ときめた神輿に対しては、みもよもないほどにうちこむところがある。聖徳太子につくした秦河勝、聖武天皇の大仏建造に対する寄進、長岡・平安京造営……
 おそらくは、平将門そのひとにも……秦氏は、ほれこんでいたのだろう。
 そうやって、地方野党であるおのれらの立ち位置を確保する――ということもあろう。それとともに、もしかすると、
 国造り、
 という渡来人がやって来て、ヤマト政権がうけいれていたとき以来の、切なる大志に、おのれらの足跡をのこしたい、という熱情があったのかも知れない。松尾大社、伏見稲荷、春日大社の造営にも協力し、都城そのものも……闇に消え入るものたちが、日のあたる場所に足跡をのこそうと……
 歴史の沈黙に消え入るものたちは、ときの声(スローガン)をあげた。
 ひとつひとつを、金字塔として……へんくつな技術畑の人間にとって、仕事以外のなにがのこる?
 織田家のひょうすべどもは、無我夢中だっただろう――そして、信長は、仕事のできる人間が好きだったのだ。
 だが、ついに、その苛烈さが、人心の離反をまねき、本能寺の変が起こる――
 
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