習合 節卅六

文字数 1,865文字


  かしこまる四出(しで)になみだのかかるかなまたいつかはとおもふあはれに
 鬼火が燃え、百鬼が進み、蝙蝠が舞う。早良親王の一行は、京洛の雨空を進んでいく。蒼や(みどり)の鬼火に照らされて、雨が染まる。その凄愴さが手伝って、というわけでもないが、敗勢の感があった。大伴(おおとも)の鬼どもは、依然、昔日を忍び、すすり泣いている。
 (孤児だ)と、鬼どもの神輿に担がれながら、早良親王はそう思う。われらは、切り離されている、世の(ことわり)に、あるいは、それ以上に、世間の情に。つれなく離れられて、かつて、そのおそば近く仕えることが誉れであった御方からすら、遠ざけられ。(今ここに、この忠勇武烈の臣すら、悲嘆慷慨し涙に溺れておる)なにかがおかしい。と、(ほう)をまとい、蝙蝠扇を口許に寄せ、目を閉じる。報われるべきものどもが、なぜ、このような因果応報をこうむっている? (因果そのものが)と、思わざるを得ない。す、と、目を開ける。闇と鬼火の下、長岡京は、寝静まり、五月雨に黙りこくっている。緘黙。そして、三川の流れる水音。闇のより濃い輪郭に没している家々。あの、大和の山中に整然雄渾と築かれた平城京に比べ、条坊が入り組み、水勢が盛んなぶんだけ、どうにも、雑然とした印象がする。(変わったのだ。因果の掟そのものが)美徳と悪徳、その価値基準が。
 時代(パラダイム)が。
 古代的な、諸豪族の最たるものとして、大君が君臨する時代。その相剋と角逐のために、ひしめくライヴァルを退けるために、大軍(おおとも)の武勇は必要だった。だが、朝廷(みかど)の実力と権威が歴然とし、天皇が、「日(いず)るところの天子」になり、諸民諸豪を(まつろ)わせる絶対性と至当性をお手にされた。それこそが、本朝の栄光の嚆矢だが、国内戦争の終結は、大伴氏の没落を意味している――「軍事」の氏族は、性格を変えた。大伴家持をはじめ、万葉歌人に富むまでに。
 太平の時代に、軍隊の発言力は低下する。替わって、藤蔓(ふじかずら)のごとく繁栄した、蘇我氏にもつながる祭司の一族、藤原氏が、宮中の筆頭格に台頭する。
 蔓延(はびこ)った。大伴氏は、追いやられた。
 時代は変わる――変わらぬものは取り残され、変わったものすら、落魄は免れぬ。
 時代が変わるとき、その節目に、取りこぼされるものは出るのだ――容赦なく。
 (仏法も、そうぞ)かつて、仏教はきらきらしく、輝かしく、王朝鎮護の威風を以て迎え入れられた。時代が、それを求めていた。大君の治世が盤石のものとなり、豪族との間に日の本が開ける。国家の体制を定め、文化を興すため、大陸から、仏法をはじめ、さまざまなものが招来される。天地と仏国、来世の真理を説く仏教は重んじられ、その頂点が、聖武天皇の遷された平城京であり、奈良朝で、天平時代だ。聖武天皇は、上皇になられてから、自ら「三宝の(やっこ)」とまで称された。仏・法・僧の奴隷に過ぎない、ということだ。
 しかし、天平時代は終わった。
 延暦(えんりゃく)となった。
 奈良の京は、ここ、長岡の地に。その主な事由は、他ならぬ、仏法諸寺と距離を取るためだという。
 (終わったのだ)大陸から、その文物を取り入れる期間が。依然、遣唐使はおくられるし、彼らは、きらびやかな文物を持ち帰るであろうが、それを無批判に重んじた段階ではなくなっている。
 もっと主体的に、自らに役立たせ、包摂するために。
 (呑み込むために)
 早良親王は、口の端から、毒煙をたなびかせる。嘆息、したのかもしれない。
 望下、長岡の京を見る。時代と時代の変わり目に口を開けた深淵――とめどなく、呑み込んでいく……
 「秦も、呑まれたな」その氏神と習合したからこそ、分かる。相次ぐ習合、ここに至るまで強いられた折衝の数々が、あの乱神の骨子を折り、換骨奪胎してしまった。
 下手をしたら、おのれも。
 ((かたき)であるわしですら、敵として、必要とするかよ)
 延暦(えんりゃく)御代毒虫の宴。この天平時代の遺物こそが、祟り神に廻ることで、新京は、光り輝く新時代に立っている。
 そういう、端境(はざかい)期の首都なのだ。時代と時代の境目に、ポッカリと口を開けた間隙。大陸から渡来した思想を、文化を、仏法を、氏族を。
 貪欲に包摂して、それらの向こう側に、国風(わがくにぶり)を打ち立てんとする……
 旧きよきものを、新しきものへ。
 新しきもののことごとくが、光り輝くものとは限らぬが。
 「長岡よ。おぬしを言祝ごう」日の本はここから生まれる。古代世界は幕を閉じた。「わが愛着と愛執の限りを過去(こしかた)へ押し流した怒濤よ。その愛憎の(ほむらい)を以て、うぬに淫し、うぬを呪い抜こうぞ」
 長雨の中、百鬼夜行が行く。魔王はそっと、つぶやいた。
 
 「この、化け物め」




 















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