ひょうすべの誓い 節十一

文字数 809文字

 秀吉の生涯にはなぞがおおい――織田家に仕え、頭角をあらわすまで……そのころにつちかった人脈が、ほかの武将にはない異彩を縅す――たとえば、蜂須賀小六でゆうめいな川並衆(かわなみしゅう)。これは濃尾国境の木曽川流域をねじろにする野伏(のぶせり)――国人衆(こくじんしゅう、地侍)なのだという。秀吉は美濃攻めに際して、この川並衆と協力することで、世に言う墨俣(すのまた)の一夜城を築き上げた。この川並衆に、三輪吉高という人物がいる。その名の通り、後に大神(おおみわ)氏と表記される大和三輪氏で、尾張の宮後(みやうしろ)八幡社の社家。
 秦氏にとっては、有力な糸口となる――
 川並衆自体にも、なにか、渡来人――秦氏の色合いがつよい。一夜城の逸話にもみられるとおり、建築土木技術に秀でていて、木曽川を利用した水運や治水にも長じていた。かれらの弓術は日置(へき)流であり、これは高句麗系鍛冶渡来人である日置氏の弓術だ。小笠原流にくらべ威力や命中に重きを置いていて、騎馬民族に由来する。
 そして三輪吉高の弟吉房(よしふさ)は、秀吉――木下藤吉郎の姉

を妻としている!
 
 秀吉は、この姉婿をつてにして、川並衆に接近したのだ――かつて、鎌倉、鶴岡八幡宮を中心として日本の中枢を占めていた大神氏と秦氏の紐帯が、尾張の片田舎で再現されているあたり、感動ともいたましさともつかぬ、おかしみがある――
 すっかり、零落した……
 日のあたるところから、日の射さぬ暗闇へ……
 
 それでも、いる――
 
 八幡神のおみちびき……こうしてひょうすべどもは、織田家傘下のはしたもいいところで、ふたたび、うぶごえのごとき雄叫び(ウォー・クライ)をあげた。
 赤貧洗うが如し――すかんぴん、わらしべ一本からのやりなおしだ……
 また、長者にのぼりつめる……と。
 なにもかもうしなって――更地にかわって……なんでそれが、絶望する事由になる?
 
 われらは、いつも、そこからはじめたではないか。
 
 秀吉と川並衆――いともささやかなひょうすべの一団は、またぞろ、はじめたのだ。
 
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み