魍魎の街 節十三

文字数 1,689文字


 「!?」
 二人は瞠睰(どうじゃく)して、突然の狼藉を働いた闖入者を見た。
 赤い道服をまとった、老爺……方士(道士)だ。どことなくだが、異相。面長で、目尻や鼻先が、少し垂れている。
 「じじい」刷雄が、声を荒らげた。
 仙道は、顔をしかめ、刷雄を見る。「ぬし様に罵られたくはないのう。道服を見よ。道者を敬わぬか」
 「言葉を忌む神聖な力場を、たった今、ぬしが破壇(はだん)したのじゃ」刷雄も、五十になってもまだ血気がある。方士へ、踏み出した。
 「なんのつもりじゃ。わしらの法儀をだいなしにしよる験力があるのなら、おのれのしでかしたことが分からでもなかろう」
 「自然(じねん)なるままに」ひょうひょうと、方士がうそぶく。「こなたの、人糞屎尿(じんぷんしにょう)が三川の水路を汚す人界の悪道が、ありのままのこの水道」その口角が、わずかに上がる。
 たったそれだけのことで、この、洒脱ですらある老爺の顔がどれだけ分厚い「奸悪」をのぞかせることか。
 「無為自然。悪にして汚にして臭ならば、穢らわしきままに」
 「皇城ぞ」
 「地鎮か」方士が、口ひげをいじくる。「成る程、宮城なれば、ふさわしきあり方というものもあろう。王道楽土」
 「横道を入れてくれるなよ」
 「ふむ。しかし、王います都城には、今ひとつ、あり方があろう」
 「む?」
 「金城湯池」
 ニタリと笑う。変色した歯が垣間見える。方士の杖が動き、その杖先が、小泉川を指す。
 「この汚濁紛々たる流れをして、王将を守るに足る、(たぎ)る湯の堀とせん。それこそ、天平太平の京を出た、新京にふさわしい」
 「なぜじゃろう」刷雄が、目を細める。「ぬしが、そのように言うと、血の池地獄が生まれるように思える」
 「地獄は常に現世(うつつ)にあると、そうは思わなんだか」
  こりもせずうき世のやみにまどふかな身を思はぬは心なりけり
 「わしと、ぬしらの目論見が争うておる。かるがゆえ、競いて、地獄が生まれる」
 「亡者なれば、湯地の煮え湯に浸かるより、楽土の清水に浴したいもの」
 「分相応というものもある」老爺が言う。「手を引け。さらば、あとは、わしらが請け負おう」
 (わしら)なにが動いているというのだ。たかだか、悪所の下水問題に。(功罪よな。これも、長岡の矍鑠たる混沌)こんな、汚いよりはきれいな方がいいという程度の問題ですら、正道を拒む、(たれ)かの目論見が伏在している。
 伏魔の窟。
 ならば、この方士は、その狸穴(まみあな)から出てきた狐狸に相違ない。
 「降って沸いた話で、おぬしは、女神を冒した天魔のごとく見える」
 「清濁を語るな。この悪臭汚穢の巷で」
 「だが、人里よ。人外魔境にはしとうない」
 「ほうか」
 方士が、ややうつむく。その大儀そうにかぶさっていたまぶたが、かすかに持ち上がる。
 そこからのぞいた、双眸。
 どう、というわけではない――だが、大蛇(おろち)か、太刀か。剣呑さが臭う。
 「王城を金城湯池にせんとする百年の計を、魔の所業呼ばわりされてはせんかたなし」
 「被害者面せんでくれんか、横入りした加害者よ」
 「この上は、術師らしく、競おうではないか」
 「応とも」と、世道が前に出た。大男の手には、抜き身が握られたままだ。
 「刃物はごめんじゃ」方士が言うと、また、ぴしゃりと水面を杖で叩く。
 どおおん、と、汚濁の水面が、一丈を超える派手な水柱を立てて、濁り水の黒緋(くろあけ)色から、それでも水泡の清冽な浪華(なにわ)が咲いた。
 「うおお」びしゃびしゃと、汚水が降り注ぎ、世道と刷雄がたたらを踏む。と、夢か幻か、再び、川辺に目をやれば、そこに方士はいない。
 (水遁(すいとん)
 「してやられた、のう」「無念」「術師は、雲か煙よ。なにを蔵しているか知れたものではないし、いたずらに刀槍でひしごうとしても、散るばかり」かぶりを振る。「おぬしも、法の花にも雲にもなれる技を教えておる。あれらとは、戦うな。競え」「は」世道が頭を垂れる。
 (それにしても)
 不気味なことだ。別段、怪しいとも思えぬやぶを突いたら、怪蛇が姿を現した。
 (うわばみかも知れぬ)せいぜい、呑まれぬように気をつけよう。
 それにしても、この悪臭の街へ足を運んで。あのうわばみは、どんな美酒の香を嗅ぎつけたのだろう。
 
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