軍囃子 節二

文字数 1,283文字


 兵主神。
 (なんじゃい)その名を勅書で確認しても、いまいち、素性が分からない。どうも、建御名方尊(たけみなかたのみこと)八千矛神(やちほこのかみ)にくらべると、唐様の名のような気がする。
 (兵主神)
 呆然としてしまう。自分がこれまで励んできた、女神の勧進はなんだったというのか。あれだけの実地検分と、呪詛の嵐を経て、こんな、得体の知れぬものに、地鎮の祭壇を譲らねばならない。
 (やり切れぬ)と、暗然とする。世道など、若い分、憤然としていた。
 「伏魔殿から、新たなぬえが顔を出したことよ」と、罵った。「どうも、武神や軍神の類いのようじゃが、ならば、建御雷尊(たけみかづちのみこと)経津主神(ふつぬしのかみ)を祀れ。藤原氏の春で良かろう」春日神(四神の総称)に数えられる面々だ。
 (分からぬ)刷雄は、ガリガリ、前髪の生え際あたりを擦る。(いずれで、道を違えた)
 ことの本質は、どこまでも、水質管理であり、下水処理だ。だから、土工司(つちたくみのつかさ)の活躍は無論、神事においては、水神であり、不浄を清浄へ転じる功徳が肝要となる。罔象女神で間違いない。かわやの女神を下水道に祀るのだ。
 (兵主神)
 なにゆえ、そうなった。
 武神、兵事の神であろう。


 口にすれば、どこかおかしさがある。兵を「ひょう」と発音するのは呉音だが、本邦では、「いくさ(軍)」「つはもの」であり、それらのものものしい響きからすれば、外来語にありがちな違和感ながら、「ひょう」の音は、むしろ「ひょうきん」につながるものに思える。
 少し、この点を掘り下げる。そもそも、「剽軽(ひょうきん)」自体が外来語で、もともとは、身軽で素早い様子を意味し、しばしば戦闘者の形容に使われた。それが、本邦では、身軽な様子から、どちらかといえば、軽佻浮薄な、おどけた様子に転用される。どうも、「ひょう」という、口から空気の抜けるようなこの音にこっけいさを感じるようにできているらしい。
 ともあれ、ひょうずのかみ。そういう耳慣れぬ事情もあって、どことなく異様に感じられる。「ひょう」という武神。
 みずはのめのかみ(罔象女神)が、
 ひょうずのかみに、とってかわられた。
  いにしへのくちきのさくらはるごとにあはれむかしとおもふかひなし
 (無駄であったか)正道を通さんとした。悪所の魍魎に罔象(みずは)の影を見、曖昧模糊としてつかみどころのない蹉跌と齟齬の末路から、それでも、ひとすじの清明ななにかを見出し、紡ぎ出せたと信じて。だが、この迷宮は、そんな、ひとすじの光明をたよりに脱するには、あまりに複雑怪奇に入り組み、他者の思惑が絡まり合ったぬえのごときありさまで。いつの間にかおのれも、そのぬえの一部に化していたと気づかされるばかり。魍魎で、徐福で、ぬえで、早良親王で、その一条として、自分達もいる。ひとすじの縄が、二筋、三筋とあざなわれ、最終的に、出雲大社のそれのごとき、太々しき綱となったとき、それはもう、最初のひとすじの縄と、同じものだと言えるのだろうか。
 ひょうずのかみ、という、わけの分からないものになり果てて。
 初期の理想は失われ。妥協と折衝と競争と狂騒が、最初の正道を見失わせた、魔所へと導く。
 船頭多くして船山を上る。
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