第13話
文字数 3,796文字
「……ガーネット」
ロッティが静かに呼びかけると、まるで呼ばれることを見越していたかのように、寒気を覚えるほど丁寧に、ゆっくりとガーネットはこちらを振り返った。ロッティを見つめる瞳は、冷たそうに光るが、その奥に何かしらの感情を潜ませているかのように、中央の瞳孔がゆらゆら揺れていた。
「ガーネット……俺は、あのときのこと気にしてないから」
ここ数日のガーネットは、落ち込んでいるからなのか別の理由があるのか、その話題には触れようとせず以前までの事務的な態度を貫こうとしていた。そのことから、ロッティはこの話題に触れたらガーネットはもしかしたら聞く耳持ってくれないと予想していたが、それに反して、ガーネットは静かに耳を傾けてくれていた。
「お前があのときのことをどう思っているのか、俺はガーネットと会ってまだそんなに時間が経ってないから分からないけど……でも、あのときのガーネットの様子を俺が気にしていると思ってるんだとしたら、それは違うって言っておくからな」
ガーネットは相槌こそ打たないものの、時折目線を合わせるも基本的に静かにテーブルに視線を落としていた。空気が張り詰めてしまうほどロッティの話に集中している気配を、ロッティは肌で感じ取っていた。
「俺はまだ、ガーネットのことをよく知らない……でも、だからこそ、あのときの変わりようを見ただけで、ガーネットが暴力的だとか、そんな風に決めつけたりしない。それに言ってくれたじゃないか……俺とは、まともに会話がしたいって」
ガーネットの長い睫毛が、ふと小さく揺れた。
「俺とまともに会話したいって思ってるなら……あんなことぐらい、気にするなよ。俺も、見も知らないガーネットについていくって決めた時点で……覚悟、決めてるんだからな」
ガーネットはそのまま視線を落としたまま、返事をする気配はなかった。かすかに揺れている瞳は潤んでいるようにも見えたが、ロッティには判別つかなかった。返事はいつでも良い、そう気長に待つことにしたロッティは、風呂の準備を進めた。その間、一瞬だけ小さく呟かれる声が聞こえたような気がしたが、あまりにも小さすぎてロッティは聞き取れなかった。水道管を通じてびしゃっと出てきた水が冷たく、火照ったロッティの身体から熱を奪っていく。
あれからもガーネットは明確に何か言葉を返してくれたりはしなかった。初対面のときの他人を寄せ付けない雰囲気を保ったまま、事務的な会話以外しようとしなかった。しかし、ガーネットは依然としてロッティを遠ざけようともしてこなかった。明らかに何かを知っていてそれを隠すという、不思議と謎に満ちたガーネットであるが、ロッティに示すそんな曖昧な態度にこそ、ガーネットの本質が現れているような気がロッティはしていた。
穏やかな気候でありながらも、初めて訪れたときと比べて着実に暑さを増した気温を感じていると、着実にリュウセイ鳥の伝説の日が近づいてきていることを認識させられ、ガーネットが真剣に臨んでいることから、妙な緊張感が高まってきていた。そんな緊張感を意識させられてる中、未だに奴隷のようでいて平和に鉱山に赴いて発掘作業をするのが何だかちぐはぐな感じがして、こんなことをしてていいのかと焦燥感に駆られそうになる。
その鉱山発掘も、今でも愚直にやっているのは、ロッティ以外にはトムとシャルルだけとなっていた。一日だけ二人が来ないことがあり、風邪でも引いたのかとロッティがぼんやり予想していると、先日トムの賢者の石を狙ったと思しき輩たちが再び現れた。帰り道にロッティが背後からの音に振り向くと、ちょうどその輩たちが鉱山内に侵入してきているところであった。ロッティがその姿を認識すると同時に、どうやってか向こうの方もロッティに気がついたようで、みるみるうちに顔を青ざめさせそそくさと撤退していった。それっきりその輩たちは姿を現さなかったが、ロッティを見たときの反応を思い返し、彼らはロッティが先日夜に撃退した連中と同じ人たちであるとロッティは確信した。
その翌日からはロッティの心配も杞憂に終わり、トムもシャルルも来るようになり、不審な輩たちも姿を現さなくなった。すっかり人数も減り、いい加減になってきた鉱山発掘であったが、ロッティはもちろん、トムとシャルルもどこか心ここにあらずのように妙に緊張しており、鉱山内では自然と空気がひりついていた。二人はどうしたのだろうかとロッティは半分心配半分疑惑の目で二人を見ていたが、目が合うと二人とも何かしら言葉は返してくれ、その様子に何か変わった雰囲気は感じられなかったので、ロッティも疑問が解消されないまでも、さほど重要視しないことにした。
それから一週間後、リュウセイ鳥の伝説の日を二日後に控えた日、実質最後の鉱山発掘を終えて帰っているときだった。
「なあロッティ」
シャルルが神妙な面持ちで、緊張した声で話しかけてきた。改まった雰囲気を感じ取ってロッティも「なんだ」と反応するが、自分で話しかけておいてシャルルは返答に窮していた。しばらくして、シャルルは重苦しい様相でゆっくりと口を開いた。
「…………これは、たとえ話なんだが、お前は大切な人のためだったら……何を捨てられる」
「……急にどうしたんだ」
「ちょっとした雑談だ。それより……どうなんだ」
雑談と称す割には、シャルルに面白がっている様子はなく、冗談ではない真剣さが確かに滲み出ていた。ロッティは思わずトムの方を見るが、トムには聞こえていないのか、俯いて草の根を眺めながらぼんやりと歩いている。
シャルルの真剣さに押され、ロッティは想像を巡らせてみようとするも、今はもういないピリスや両親、セリアやブルーノの顔がちらついてしまう。それらはロッティの心の奥深くに刻まれていて、前向きな想像を妨げていた。
「ごめん……ちょっと考えてみたけど、俺には思いつかない」
「思いつかない……?」
何かしらの答えが返ってくると予想していたのか、シャルルが意外そうに訊き返す。その顔には純粋な戸惑いと困惑が表れていた。
「俺は……自分の気持ちを押し殺しても、その人との繋がりを捨ててでも、まだ俺の場合は足りない気がするんだ。でも……」
そこでふと、ハルトたち『ルミエール』の顔が思い浮かんだ。一緒にいても共有できない気持ちを持て余し、ピリスや両親を失ったことで自分と関わった人間が不幸になってしまうんじゃないかという呪いのような思い込みから、ロッティは『ルミエール』から離れた。しかし、もしそれでも『ルミエール』の人間に命の危険が差し迫ったとき、そしてその原因が多少なりとも自分にあるとしたら、自分ならどうするのだろうかと考えてみたとき、答えは一つしか思いつかなかった。
「それでも足りないなら……そのとき俺は自分の命すら顧みないかもな。というより、俺がそれぐらい投げ出すことで救われるものがあるなら、俺はそうする……かもしれない」
想像を巡らせ、ゆっくり言葉を選びながら話しているうちに、ふとガーネットの顔が思い浮かんだ。当初の目的通り、すぐそこまでリュウセイ鳥の伝説の日が差し迫っており、その日に邪な願いをしようと企んでいる連中に願いを叶えさせないように何とかせねばならない、らしい。ロッティも初めは意図の見えない旅だと考えていたが、ガーネットが指示したことに従っていると、不気味なほどガーネットの発言内容が現実になっていき、リュウセイ鳥の伝説を巡って何かが起ころうとしているのは、ロッティにも何となく理解できていた。
しかし、目的を果たしたところで一体何がどうなるのかは、結局ガーネットは何も話してくれていない。ロッティにとっては未だに、あの日初めて出会ったときの印象から抜け出していなかった。初めて会ったときに抱いた想いを未だに少ししか消化できず、やり場のない想いから膿が生じるような居心地の悪さを感じながら、自分の不甲斐なさに呆れていた。そんなガーネットのために自分は何をどこまで出来るだろうか、それこそロッティには見当もつかなかった。
「悪い……変なことを聞いたみたいだな」
シャルルの声に現実に引き戻され、そちらの方を振り向くと、シャルルは気まずそうに頭を掻いていた。自分の行いを恥じているような乾いた自嘲に、ロッティは申し訳なさを感じた。
「いや、そんなことない。気にしないでくれ、シャルル」
シャルルを慰めようとロッティはそんなことを言うが、シャルルはどこか上の空で地面に視線を落としながら小さな声でぶつぶつ呟いていた。まるで思い詰めるような顔に、ロッティは胸がざわついた。
「……おーい、早く行こうぜー!」
すっかり歩くのが遅くなっていたらしく、いつの間にか随分前を歩いていたトムがシャルルたちを振り返り大きな声で呼びかけた。その声にシャルルは弾かれたように顔を上げ、「慌てんなって」といつもの調子で返しながら駆け足でトムの方へ向かう。