第16話
文字数 3,199文字
アベルの声にブラウも頷き、「行くぞ皆!」と声を掛けながら部屋を出て行く。カミーユとルミアもルイとジルを引きずりながら部屋を出て行った。それを阻止しようと男が立ち上がって追いかけて来ようとするが、アベルが目の前に立ちはだかった。ブラウはアベルの覚悟を受け取ってそのまま医者宿を出て行った。
「アベルさん、大丈夫っすか」
「アベルの想いを無駄にするな! 帝都に戻るぞ!」
躊躇いがちに振り返るルミアとカミーユを叱咤してブラウたちは、この建物にすでに医者たちがいないことを確認してから、停めてあった馬車へ向かおうとした。しかし、道を曲がったところで予期せぬ人物にブラウたちの足が止まった。
「おい、早く乗れ! こいつら、お前たちの馬だろうが」
「え、え? どういうこと? なんでニコラスさんが……」
「馬車でのんびり帝都目指すなんて甘い考えは捨てて、さっさと馬に乗りな!」
ブラウたちを待っていたのは、ブラウたちの馬を引き連れてきたニコラスだった。戸惑うルミアをよそにニコラスは鬼気迫る表情でブラウたちに馬に乗るように急かしてきた。その馬たちは紛れもなくブラウたちの愛でている馬たちであり、皆がもう準備万端とでも言いたげに鼻を鳴らしていた。
「アベルはまだ残ってるんだな。よし」
ニコラスは先日出会ったときにも持っていた金属の塊を手に携え、ブラウたちがやって来た医者宿の方へと走って行った。
「え、え、これって、どうすればいいの? 団長はニコラスのこと知ってるの……?」
「良いから馬に乗れ! 早くしろ!」
戸惑うルミアをブラウが怒鳴り、ルミアはその言葉に押されるようにルイを背負って馬に乗った。ジルを背負うカミーユとブラウもそれに倣って馬に乗った。
「アベルと……出来ればニコラスってやつのことも、任せたぞ」
ブラウは残った馬にそう声を掛けてから、自身の乗る馬を帝都へ向けて走らせた。背後で馬の高らかに嘶く声が聞こえてきた。ブラウはしきりに後ろを振り向くが、次第に万全ではない体調がブラウの体力を再び奪っていき、振り向くのも辛くなり、アベルたちのことを信じて前を向くことにした。
日も暮れてきて辺りは夕闇に包まれつつあった。馬が草根を踏みしめる音と穏やかな風の音とが、ブラウたちの緊張を少しだけ癒した。点々とそびえ立つ樹を避けながら、ブラウたちの馬は猛スピードで平原を駆けていった。
「どうして……僕を庇った」
カミーユの背で呆然と平原を眺めていたジルがぽつりと言った。その声は、ジルにしては珍しく感情的なもので、ルイのことをどこか非難しているような響きを孕んでいた。
「ジルの、復讐を邪魔しちまったのは、謝るが……俺には先約があったんでね。あんたを危ない目に遭わせるわけには、いかなかったんだ……もう、ダチの約束を破るのは、ごめんだからな……」
ルイは苦しそうに息を乱しながらも、はっきりと意志の込められた言葉を紡いだ。馬の上でルミアが器用にルイの足を縛って止血してくれているが、ルイのズボンはすっかり凄惨な暗い赤色に染まっていた。それを見てジルは申し訳なさそうに視線を落とした。
「そうか、ルイも昔…………ごめん、ルイ」
「謝らないでくれって。俺はむしろ、ダチとの約束、やっと守れたって、嬉しいんだから、よ……」
話していくにつれ力を失っていくように声の小さくなるルイをルミアが制止させ、応急手当てに努めていた。ルイは安心したように穏やかな顔で目を閉じてルミアと馬に身を預けていた。
後方から何かが駆けてくる気配にブラウが振り向くと、馬に乗ったアベルが先ほど襲ってきた男に捕らわれていた女性を抱えて必死の形相で追いかけてきていた。ブラウは馬のスピードを落としてアベルに並走した。
「アベル、よく戻ってきてくれた。ニコラスは?」
「それより、森に入るぞ。馬には先に『ルミエール』のアジトまで行くように言うんだ」
「ん、どういうことだ」
「説明は後だ。とにかく、とんでもなくでかい魔物が俺たちを追って来ようとしている。森に紛れてやり過ごすんだ」
アベルの説明には納得できない部分が多かったが、アベルの必死で、焦っている様子から、ブラウは多くの言葉を飲み込んだ。再びルイとジルの様子を確認する。ルイは言わずもがな穏やかな顔つきではあるが、ルミアに支えられなければそのまま振り落とされてしまいそうなほど身体をぐったりさせており、ジルも意気消沈した様子で顔を俯かせたまま、完全にカミーユに馬の手綱を委ねていた。
ブラウはもう何度目か分からない覚悟を再び固めた。
「ルミア、カミーユ、お前たちはこのまま全速力で、俺とアベルの馬も一緒にルイとジルを連れて帝都に戻れ。アベル、それでいいな?」
「な、何言ってるんですか!」
高い声でカミーユが抗議しながらこちらを振り向いてきた。
「そんな調子で、いくらここから帝都まで近いとはいえ、馬もなしであの人から振り切るなんて無茶です! 置いてなんていけませんよ!」
「いいから早く行け! シルヴァンには上手く言っておく!」
「団長に上手く言うって……」
カミーユがブラウの勝手な物言いに戸惑い、納得のいかない様子でこちらを見つめているが、ルミアがそっとカミーユの隣に並び、諭すような目で頷きかけた。カミーユがルミアのその仕草にはっと息を呑んで、黙って頷き返した。
「……帝都に着いたらすぐに団長に訳を説明しますから、それまでどうか、ご無事で」
カミーユは泣き出しそうな顔でブラウたちにそう告げると、ルミアと一緒に馬のスピードを上げていった。ブラウはその背中が豆粒ほど小さくなるまで見送ってから、馬の進行方向を切り替えさせ、帝都近くの森へと向かわせた。
「アベル、何があった」
「あの後、俺とあの男との間にニコラスが割って入ってくれた。ニコラスが何とか隙をついてくれて、俺はこの女を抱えてニコラスと一緒に出て馬に乗ったんだが、それを見たあの男が、いきなり現れたとびっきり大きい狼みたいな魔物に乗ってニコラスと俺を追いかけてきやがった」
「とびっきり大きい……か。把握した」
ブラウはそのとびっきり大きい魔物とやらを想像しようとして、古き日のことを思い出して感慨深げにため息を吐いた。感傷に浸っている場合ではないとブラウは余計な考えを振り払うように頭を振りながらアベルと顔を合わせた。
「アベル、覚悟は出来ているな。ここまで来たら俺たちは一蓮托生だぞ」
アベルは、それまで緊張したように強張っていた顔を綻ばせ、豪快な笑みを浮かべてみせた。
「当ったり前だ。それより団長は、病み上がりだからあんま無茶すんじゃねえぞ」
森に到着したブラウたちは、そこで馬から降りて、馬に帝都に先に戻るように指示した。初めは悲しそうに鼻を擦りつけて来たが、ブラウがもう一度先に行くことを頼んで、頭を撫でてやると馬も人間がするのと同じように頷くように顔を上下させた。アベルは女性を馬から落ちないように馬の腰に巻き付けて、それからブラウたちは馬を旅立たせた。その馬が猛スピードで自分たちを置いて去っていくのを見届けてから、ブラウたちは森の中へと入っていった。
帝都近くの森は綺麗な湖があることで有名で、魔物の出ないこの平原においては帝都の人たちの散歩のコースの一つとして好まれたり、他の街からやって来た人が観光しに来たりする湖であった。その湖を囲うようにして植わって森を構成する樹々は、何か特別な木の実をつけたり特別優れた木材となったりするわけではないが、他の生態系と比較しても背の高い樹々で、それも一層多くの人を魅了する要因となっていた。
ブラウたちは方向感覚を失わないように意識させながら樹々の間をすり抜けていき、帝都の方へ向かって行った。次第に後方が騒がしくなってきたかと思うと、激しい轟音が樹々の間を駆け巡るようになった。