第8話
文字数 3,323文字
「セリア。しっかりしろ、セリア!」
こういう場合は身体を揺らしてはダメなのかと、対処法が分からなかったロッティだったが、とりあえず動かさずに大きく叫んで呼びかけると、セリアは眉間に皺を寄せながら苦しそうに呻いた。どうやら生きてはいるようであった。ロッティはセリアを背中に担ぎ、なるべく揺らさないようにしながら慎重に『ルミエール』の借家を目指した。
次第に街の荒れ具合もひどくなり、火の影響で額から汗が流れるほど暑くなってきたところで、複数の魔物と騎士の遺体が横たわり、その奥で一匹の魔物に、倒壊した建物の前まで追い詰められている街の人たちを見かけた。恋人なのか、その女性を庇うようにして前に立つ男性や子供を後ろへ隠すようにして立つ夫婦らしき人や老人がおり、膝を震わせながらも懸命に魔物を睨みつけていた。魔物も手負いなのか、動きがどこかぎこちないながらも、じりじりと着実に街の人たちに近づいていった。ロッティはすぐに駆けつけ、能力を用いてその魔物の首と脚を折った。魔物は苦しそうな呻き声を大きく上げながらその場から動くことも出来ず、恨むように街の人たちに手を伸ばしながらやがてピクリとも動かなくなった。街の人たちは目の前の出来事に理解が追いついていない様子で動揺が走っていたが、やがて危険が去ったことだけは把握できたのか前に出ていた人たちはその場で腰を抜かしたように倒れ、後ろにいた人たちは前にいた人たちに泣いて抱き着いていた。
ロッティは恐る恐るその人たちに近づいた。その人たちはロッティに気がつくと警戒するような素振りを見せ、恐怖の感情を露わにして叫びそうになっている人もいたが、ロッティの背中に騎士の恰好をした人を認識すると、次第にざわつき始めた。ロッティもその人たちが落ち着くのを待ってから話しかけることにした。
「今から俺が皆さんを地下へ避難させます。地下なら魔物も入って来られないし、いつどこで火事が起こるか分からない街よりは安全だと思います」
ロッティの説明に、下町の人たちのときと同様、ロッティの目の前にいる人たちも困ったように表情を曇らせ、こちらを疑わしい目で見ながら近くにいる人と寄り添おうとしていた。ロッティはどんな言葉を付け足せば良いかと頭を悩ませていると、一人の男性がはっと息を飲んでロッティのことを恐ろしいものでも見るような目になって腰を抜かしそうになっていた。その男性の様子に気がついた傍らの女性が不安そうにその男性を見つめた。
「ねえ、どうしたって言うの、貴方」
「あ、あいつ、どこかで見た顔だと思ったら、つい今朝に指名手配された顔にあった、ロッティっていう奴じゃないか!」
「……え?」
頭を悩ませているときに唐突にそんな内容が耳に飛び込んできて、ロッティは一瞬耳を疑った。しかし、こちらを見つめる男性の怯えた様子は演技ではなさそうで、その姿は昔、子供にもかかわらず魔物の溢れる街を突っ走ってきたロッティに怯える街の人の姿に重なった。その男性の脅えが波紋となって周囲の人にも伝わっていき、皆も不安の色を一層濃くしたり、中には敵意をむき出しにしてくる人もいた。子供たちは理解が追いついていない様子でぽかんとしながらもしっかりと大人たちに抱き着き、老人たちは鋭い視線を向けてきた。
「ち、違います。俺は皆に危害を及ぼしません。信じてください」
「今の魔物が死んだのも、この人の仕業なのか?」
「おいおい、それってつまり、触れずに物を操れるってことじゃないのか?」
ロッティの言葉が届かないまま話が進んでいき、ますますロッティを恐怖の対象として見る空気が出来上がっていった。ロッティは、ガーネットたちミスティカ族が言っていた運命の日の過酷さを感じつつも、冷静に、取り乱さないようにしながら必死にどうやったら説得できるかを考えていた。
しかし、黙ったままでいるロッティの姿が却って不気味に見えたらしく、今すぐにでもそこから逃げ出そうとする雰囲気があった。
「おい、早く逃げるぞ。こんなところにいたら、あの魔物みたいに俺たちも殺されるぞ」
「で、でもあの人、私たちを助けてくれたんじゃないの? それに貴方、今朝はとっ捕まえてやるって言ってたのはどうしたの?」
「何も触れずに人を殺す能力がある奴なんかに敵うわけないだろ!」
「わ、わしは、腰が……」
「じいさん、しっかり捕まって」
ロッティが必死に言葉を探している間に、その人たちの間ではロッティから逃げるという方向にまとまっており、悲鳴をあげながらも互いに身体を支え合ってその場から動こうとしていた。その人たちの様子にロッティは、このままではこの人たちが助からないかもしれないという気持ちすら置き去りに、今まで何度も自覚してきた疎外感をひたすら味わわされ、自分とその人たちとの間を隔てる溝の深さに打ちのめされかけていた。
ノアたちは、今までにこんな思いを何度もしてきたのだろうか。ノアやレオン、グランとの会話が走馬灯のように脳内に駆け巡り、その会話の中から時折滲み出ていた苦しみの正体がこの思いなのであると告げてきていた。急に目の前の人たち遠くへ遠ざかっていく感覚に、ロッティの心は沈んでいきそうになった。
——人が生きることに違いなんてないんだから
凄まじい勢いでこれまでの出会ってきた人たちとの会話が呼び起こされては過ぎ去っていく中、その台詞は他の台詞と違って消えずに、まるで言った本人がロッティにもう一度問いかけているかのようにじっと頭の中に居座り続けた。真っ暗になりそうだったロッティの頭の中が、ぽつんと小さな光に照らされてようとしていた。
——ほんとうに生きていちゃいけなかったのは、ボクだと思う
唐突に浮かび上がった言葉が、鮮明に声を伴って蘇り、ロッティは反射的にそれを否定した。生きていていけない人間など、この世に存在するはずがない。
——私たちは生まれて、時に悩んで、時に喜んで、時に悲しんで、時に怒って……それだけは、絶対に違わないんだよ。理由は違ってても、そんな風にして生きることに違いなんてないんだよ
少年の死を無駄にするなと、最期まで理想を胸に抱いたままなくなった少女の台詞が訴えかけ、ロッティを叱っていた。ロッティはそれらの台詞が確かに自身の背中を押してくれているのを感じていた。そして、自分の理想をどこまでも願った一人の少女の想いは、確かに自身に受け継がれ、今も自身の心に宿っているのを確かめた。
「待ってください」
ロッティの声に、怯んだように足を皆が足を止めた。そのロッティの声音に何かを感じ取ったのか、不気味に皆が黙り、恐ろしいほど長く感じる沈黙が訪れた。ロッティは、今度こそ言葉を吟味し、どうにか自身の気持ちを伝えようとした。
「俺のことは、確かに信じられないかもしれません。こんな能力を持つ自分は、普通の人とは違うって、自分でも何度も考えたことがあります。でも……」
ロッティはしっかりと、その人たちの目を見た。それらの人の背後に、優しく微笑む少女の幻想が見えた気がした。その微笑みに押されるように、ロッティは自身の心の震えをそっと抑えた。
「それでも俺は、皆と同じように生きたい。俺を、普通の人間と変わらないと言ってくれた人がいる。どの人も同じように生きているからと、差別なく生きられる世界を最後まで願い奔走し続けてくれた人がいた。だから俺も、勝手に自分は違う人間だからと皆を避けるように考えるのではなく、俺も、皆と変わらない人間なんだって信じたい。そう思ったんです。だから」
ロッティはそこで深く頭を下げた。
「お願いします。今一度だけ、俺を信じてついて来てください」