第1話
文字数 2,938文字
早く帰りたかった。寒いを想いをしてじっとしているのは思いの外辛い仕事だった。寒さでかじかむ手を合わせて、身を抱きながら熱が逃げないように身体を縮こまらせた。今日は特に雪が強く、目や口、耳に勢い良く飛び込んできて、それを払うのも煩わしかった。しかし、隣に立つガーネットは何一つ文句を言わずにじっとその瞬間を逃すまいと見守り続けていたため、ロッティも大人しくそれに従った。
寒さと雪が降りかかるのを振り払おうと、立ったりしゃがんだりを繰り返していると、やがて洞窟の下からハルトとルイ、遅れてブラウが出て行くのが見えた。そのまま雪の向こうへと消えていくのを見届けて、ロッティはほっと一息ついてその場に座った。
「これで……ハルトたちは大丈夫なのか?」
「まだ大丈夫ではないけれど……少なくともフラネージュでひと悶着起こることはないと思う」
ロッティの疑問をガーネットはやんわりとしか否定しなかったが、それでもロッティはいくらか安心していた。
「今度は俺たちの番、か……本当にイグナーツを死なせて良かったのか」
「…………そのことだけど」
ガーネットは意外そうに見開いた目でロッティを見つめたまま、そこで一度黙ってしまった。自分でも信じられないというような、驚いた様子に、ロッティもガーネットを急かすことなく、話してくれるのをじっと待っていた。
「彼は……転生、したみたい。この耳で聞いたわ。何年後、何十年後になるかは分からないけど、またきっとどこかで会えるよ」
「……それは、本当のことか?」
「こんなことで嘘言わないって」
「そうか。それじゃあ、団長たちが何か言ってくれたんだな……それは良かったよ」
ロッティは死ぬと言い張るイグナーツに対するブラウたちの反応を想像してみた。どんな風に、どこまでのことをイグナーツは話しただろうか。その内容によっては、いくらブラウたちとは言え、イグナーツの覚悟を止めることは容易ではないように思えた。それでもイグナーツを転生に思い止まらせることが出来たのなら、イグナーツはそこまで多くのことを話さなかったのか、それともブラウたちが自分の想像よりもずっと肝の据わった強い心の持ち主だったか、そのどちらかだったのだろう。
これでまた一つ、イグナーツという幻獣族の中でも特に力を持つ者がリベルハイトに手を貸す、という最悪の未来を防ぐことは出来たが、それならば自分たちに協力して欲しいという想いが湧いてきた。しかし、ロッティはそれをすぐに取り下げた。かつては思想を同じくし、苦楽を共に過ごしてきた同胞や、そんな彼らを慕う者たちと戦うことを強制させるのは、きっと死ぬよりも酷なことであるはずであった。イグナーツが、今この時代を切り抜くためには転生が一番良い方法であると改めて認識した。
それでもまだまだ自分たちのやるべきことが山ほどあるということをエスのいた孤島にて教えてもらっていたロッティは、気を緩めず次のことに思いを巡らせては、思わず溜息を吐いた。
「これからあの子らを連れて行くのか……イグナーツがいなくてもついて来てくれるかな」
ロッティの愚痴が白い息となって雪に混じって消えていくのをぼんやり見つめていたガーネットは、急にロッティの手を掴み急かすように引っ張っていく。突然のことにロッティは前のめりに転びそうになりながら、手の平に感じる感触にドギマギしていた。
「弱音吐いてないで、行こう」
ガーネットの話し振りや声のトーンは、相変わらず素っ気なく温度をそんなに感じさせない平坦なものであったが、仕草や反応が以前までと異なり、どこか吹っ切れたように思いがけない言動をしてくるようになった。それが、地図にも載っていない孤島にて隠していた秘密全てを話した反動からなのか、それとも別の理由があるのかは、ロッティには予想もつかなかったが、それを気味悪く感じたり居心地悪く感じたりはしなかった。
ガーネットに引っ張られてイグナーツの立てた小屋に戻ってきたロッティたちは、子供たちに今からここを出発し、エルフ族が隠れ住む森に向かうことを簡単に説明した。子供たちは、イグナーツがこの大陸の人間から庇うように連れてきた、エルフ族やミスティカ族の子供であった。たいていが親を亡くしていたため、イグナーツが親代わりに育てており、子供たちもイグナーツを本物の親のように慕っていた。ガーネットにはもちろん、ロッティにもそれなりに懐いてくれてはいたが、それでもイグナーツと子供たちとの絆には程遠い関係であった。
そんなイグナーツがいない状態で旅に出ることに子供たちがどんな反応を示すか、いくらガーネットの予知夢の保証がついているとはいえロッティは不安しか感じなかった。
案の定、ガーネットがロッティ自身も見たことがないと思うほど優しく、丁寧な話し方で説明しても、子供たちはどこか不安そうな表情を浮かべるばかりであった。
「ねえ、イグナーツのおじさんは?」
子供の一人がそう訊いてきた。その言葉が波紋となって広がり、他の子どもたちにもその不安は伝染していき、一斉にガーネットたちの方に視線が集まる。流石のガーネットも、元々会話が苦手と自称するほどあってこの状況に困惑していた。ロッティは、子供たちの不安そうにガーネットを眺める様子に、胸が苦しくなった。
その子供たちは、かつて大好きなピリスのいる孤児院を発たねばならない自分自身だった。好きな人と別れる不安に目の前が真っ暗になったような恐怖が、まさに子供たちに襲い掛かっていた。ロッティには、その痛みも、そしてその好きな人と過ごすことが叶わないと分かったときの苦しみも、胸が痛くなるほど分かっていた。ロッティは自然とガーネットと子供たちの間に割って入るように立っていた。子供たちと視線を合わせるためにしゃがむと、口が勝手に動いていた。
「イグナーツは後から皆を迎えに来るはずだ。何年経とうとも、皆がそれぞれ自分の人生を歩み始めていたとしても、イグナーツは皆に会いに行く。だから今は俺たちと一緒にその森に行こう」
子供たちとロッティとで違うところがあるとすれば、ピリスはもう亡くなったがイグナーツは転生に留まったという点だった。それ故、イグナーツがその気なら、子供たちの未来のために自分の命すら投げ出そうと決意を固めたほどのイグナーツなら、たとえ転生した後にでも子供たちに会いに来るだろうとロッティは確信していた。
子供たちからしてみれば、つい最近知り合ったばかりのロッティの言葉など信じられるものかどうかまだわからなかっただろう。それにもかかわらず、ロッティがあまりにも言い淀みなく断定したからか、めいめいにリアクションを示しながらも不満げな空気はなくなっていた。
その様子に満足したロッティは立ち上がると、頭がふらついて足がもつれそうになったが、瞬時にガーネットが駆け寄ってきて支えてくれた。ガーネットの方を振り向くと、とても穏やかで、優しい微笑みに出迎えられ、ロッティは頬が熱くなるのを感じ視線を逸らしてしまう。初めはガーネットから視線を外すことが多かったのに、今ではすっかりその立場が逆転しているなと、ロッティは少しだけ情けなくなった。