第2話
文字数 3,457文字
ブラウはそれだけ告げると、再びハルトの方を振り返り、力強く頷いた。ハルトも頷き返し、一緒に瓦礫の方へ向かった。騎士と思しき人の呻き声が近くなり、手当たり次第に瓦礫をどかしていく。汗のせいか瓦礫を持つ手が滑り、中々動かせないことにもどかしく感じていると、背後から手が伸びてきてそっと力強く瓦礫を掴み脇へと押しやった。
「昔、ある青年の言っていたことを思い出した」
背後から聞こえてくるシルヴァンの声は、カインに見せた怒りの混じった敵意もすっかり鎮まり、いつもの落ち着いた声に戻っていた。
「その青年の友人は、自分の選んだことで足が動かせないほどの傷を負おうとも後悔せずに前を向こうとしていたと話してくれた……ニコラスも、きっと同じだった。だから俺は最後までアイツの好きにさせたし、アイツも俺や……君に、後のことを託してくれた……なのに俺は、もうすぐでアイツのその想いを踏みにじるところだった。ありがとう、ハルト君」
シルヴァンは手際よくすっかり焼け焦げた煉瓦や木材をどかしていく。ハルトもシルヴァンの手の動きに合わせて瓦礫を掴んでいく。いくらか瓦礫をどかしていくと、奇跡的なバランスで建物の破片同士が重なり合い、その下に気絶した様子の騎士が何人か倒れていた。ハルトは意気揚々とその騎士を抱え引っ張り上げた。
次第に『シュヴァルツ』の二人も共に瓦礫をどかす作業に加わり、怪我した騎士や、わずかに逃げ遅れていた住人たちを助け出していった。そんな様子を、カインは黙って座って眺めていた。そうしていくうちに、地上での轟音が気になったのか、ぞろぞろと地下に避難していた人たちが地上に出てきて、いつの間にかその人たちとも一緒になって作業に協力してくれた。きっと皆同じ気持ちなのであると、ハルトは胸が熱くなった。
瓦礫の下から救出した人の中には、騎士や住人問わず、もう助かりそうにない瀕死の重傷を負っていたり、もう息を引き取っている者もいた。しかし、それでもハルトが予想していた以上の多くの人が息のある状態で発見され、その一命をとりとめることが出来た。徐々にハルトとブラウは帝都跡を登っていき、その活動範囲を広げていくと、向かいから予想外の人物に出くわし、ハルトたちは驚きのあまりその足を止めた。
「良かった、皆生きていたんだな」
そう言って随分と余裕そうに手を挙げたのは、クレールだった。その横で、見覚えのある女性を抱えたジルが心細そうな浮かない顔をしていた。
「クレールもジルを見つけてくれてたんだな、良かった。しかも、もう人の救出も行なってくれているみたいだな」
「いや、実はな……俺もなんかよく分かんねえうちに気絶させられてよ」
嬉々として近寄るブラウに対して、クレールがばつが悪そうに答えて、そっと女性を見つめる。
「俺もジルも、ハルトから聞いてたところとは全然違う地下に閉じ込められてよ。しかも、俺とジルだけなら良かったんだが、何か見知らぬ女性までいて、俺にも何が何だか……」
「この人は……確か、ガーネットさん」
ハルトもクレールたちに近づき、間近で女性の顔を見つめたことで、ようやく、この惨禍が起こる直前にロッティと親しげに話していた女性であったことを思い出した。ハルトがそのことを皆に話すと、複雑な表情になりながらガーネットのことを見つめていた。ガーネットの腕と脚に巻かれた包帯が痛々しく朱色に染まっており、深い眠りに落ちたようにその瞳は固く閉じられたままであるが、かすかに上下に膨らんでは沈む胸を見て、確かに生きていることは確認できた。
「とりあえず……一人にさせとくのは危ないかなって思って、他の人たちが避難しているであろう地下の方に連れて行こうって話になったんだ」
ジルが沈んだ声でそう説明した。すっかり夜も更けり、街灯も何の灯りもない暗闇の中でもはっきりと分かるくらいジルの表情は曇っていたが、ハルトはひとまずそれには触れず、ジルの説明通りガーネットを皆のところまで連れて行くことにした。緩やかな坂道を下っているうちに、疲労がたまった足はわずかに震え始め、足取りが覚束なくなっていった。それでもハルトは何とか転ばないように細心の注意を払いながら、重心を意識しながら慎重に下っていった。長い『ルミエール』生活の中でも、これほど疲労した日はないだろうとハルトは感じていた。
下っていき、夜空の向こうから次第に明るみが見え始め夜明けが近づいてきているのを感じていると、シルヴァンたちの姿が見え始めてきた。ハルトたちの足取りも自然と軽やかになっていった。シルヴァンたちもハルトたちに気がつき、新たにやって来たクレールとジル、そしてジルが抱えるガーネットに視線が集まった。
「そういえば、肝心のロッティはどこかで見かけたの?」
ジルが何気なしに放った言葉だったが、その言葉にハルトは思わずはっと息を呑んだ。どこかで、ロッティなら何とか大丈夫だろうと勝手に思い込んでいたが、目の前に広がる凄惨な光景を見ると、流石に胸がざわついた。一度嫌な想像をしてしまうと、その予感が胸の中を大きく巣食っていき、息が苦しくなった。
思わず飛び出しそうになるハルトの肩をブラウが掴んだが、ハルトがブラウを振り返っても、ブラウも辛そうな表情を浮かべるだけだった。縋るような思いでハルトは他の人たちの顔も見渡してみるが、気の毒そうな視線をハルトに向けたり、申し訳なさそうに顔を俯かせるだけだった。言い出したジルも泣きそうな表情になって黙っていた。皆の様子が、誰もロッティを見かけていないことを示していた。
「ロッティっていう奴が生きているかどうかは知らないが……生きていたならどちらにせよ、ここには戻ってこない方が良い」
気まずい沈黙を破ったのはカインであった。ハルトはその発言の意図が掴めずにカインの顔を見るが、カインも予想外に気の毒そうに表情を歪ませながら、ガーネットのことを見た。
「その女性も、ロッティっていう奴も、帝都の法に則って今朝指名手配されたはずだからな。ここに戻ってきても、生き残った騎士たちや城の人間どもに処刑されるだけだ。まあ、こんな風になったこの帝都に、そんな力があるかは分からないけどな」
カインはつまらなそうにそう吐き捨て、もう今はすっかり崩れ去っている城の方を忌々しく見つめていた。ハルトは、ロッティがアインザーム族であることを知っていたはずだったのに、種族の違いという重みをようやく実感を伴って知れたような気がした。そもそも生きているかも分からないロッティだったが、もし生きていても、もう自分たちの前には姿を現さないかもしれない。ハルトは絶望に打ちひしがれそうになっていた。ブラウたち『ルミエール』のメンバーも何も言うことが出来ず、シルヴァンも気の毒そうに『ルミエール』の面々を見つめ、他の『シャイン』のメンバーも口元を手で覆ったり、顔を俯かせたりしていた。住人たちも、話の全容は分かっていないだろうが、無言のまま何も言わないでいるブラウたちを見て何かを察したように、自分たちも気を落とした様子でいた。
気まずい沈黙が場を支配した。皆で協力して、何とか立て直そうと持ち上がりつつあった希望が、崩れそうになっていた。ハルトは、自分たちのせいで皆の空気まで悪くしたことを申し訳なく感じたが、それでも、どうしても気を明るく持つことが出来なかった。今もどこかで苦しんでいる人がいるかもしれないと分かっていながらも、身体が嘘みたいに動かなかった。
遠くから、近づいてくる足音が聞こえてきた。夜も明けてきたのか、足元に光が徐々に差し込んできて、その光が明るくなるにつれてその足音が静かなこの辺りに響いていた。また誰か住人が地下から駆けつけてくれているとハルトは予想したが、とてもそれに取り合う気力が湧いてこなかった。ハルトたちにつられて静まり返っていた住人たちがにわかにざわつく気配が感じられた。そのざわつきは、その足音が近づいてくるにつれて大きくなっていった。
「おいハルト。どうしたんだよ、らしくないじゃないか」
その声に、ハルトはばっと顔を上げる。きっと幻聴だろうと、ハルトは考えた。しかしそこには、たった今話題になってハルトたちを絶望に堕とさせた張本人のロッティが、いつの間にかいなくなっていた馬たちを引き連れていた。