第12話
文字数 3,163文字
ハルトが新しく飛び込んでくる光の眩しさに手をかざした合間から、悲痛な叫び声が届いて来た。あまりにも悲壮に満ちた叫びだったので、その声の主がジルのものだったことに気が付けたのは、トンネルが明けて、遺体に駆け寄るジルの姿を確認したときであった。
「アラン! どうした、アラン! 何こんなところで寝てるんだよ、アラン!」
普段は無口で、一歩引いたところで『ルミエール』の皆を穏やかに見守っている姿からは想像もつかないほどジルは取り乱し、アランを抱き寄せるその姿はあまりにも痛ましく、必死の形相でアランの名前を呼び続けているのを、黙って見ていることしか出来なかった。頭が麻痺したように、今目の前で起きていることにいまいち現実味が持てず、ハルトは息をするのも忘れて呆然と立ち尽くしていた。
はっと息を呑む音がしたと共に、そんな状況で一番初めに動き出したのは、イグナーツとブラウだった。
「皆、クレールを中心に一旦固まれ! イグナーツ!」
「分かっている」
イグナーツはハルトの横をあっという間に抜けていき、弾かれたようにブラウの一歩先のところまで飛んでいった。ブラウの指示にはっとしたクレールが、歯が欠けるのではないかと思うほど歯を食いしばりながらジルを見つめ、やがて「アベル、ジルから目を離すな、ハルトとルイは俺と一緒にジルたちの周りを警戒するぞ!」と声を荒げつつも皆に指示を与えた。
ハルトはルイと並んで後方を警戒した。背中にクレールたちの警戒している空気を感じながら、ハルトは感覚を研ぎ澄まし、意識を自分の持つ剣と、視界全てに集中させた。
「犯人がまだ洞窟付近にいたとしたら、俺たちが入ったのを見て再び洞窟に入ってきて襲ってくる可能性がある。気を抜くなよ、ハルト、ルイ」
初めこそ取り乱していそうだったクレールも落ち着けたのか、すっかり普段通りの落ち着いた声が、すっと頭の中に入ってきた。クレールはどんな状況でも冷静に分析して、指示を出してくれる。それが頭に血の昇ったハルトにはひどくありがたかった。
しかし、突如として、空間全体がひび割れるような激しい音と共に地面が大きく揺れ始めた。地面をも震わす振動にハルトは立っているのも辛くしゃがみ込んでしまった。続いて、どんどんと頭上から激しい轟音が聞こえ、揺れる岩場を見つめながら、ハルトは何故か、自分の、人間の無力さとはこういうことを言うのかと悟った気持ちが浮かび上がってきた。誰かが「岩が降ってくる、お前ら逃げるんだ」という声に、ハルトは弾かれたように跳ね起き、トンネルの方へ向かおうとするが、揺れ続ける岩場に足を滑らせ、躓いてしまう。ハルトはルイたちを気にする余裕もなく、逃れられないと覚悟して目を瞑ってしまう。
直後、ひと際大きな、何かが砕けるような音がその空間に鈍く鳴り響いた。耳が痛くなるほどの音に思わず手を当てて身を強張らせるが、覚悟していた痛みは一向に来なかった。ハルトが恐る恐る目を開けると、宙で小石程度の岩がぱらぱらと散りながら大きな土煙が舞っているのと、皆が自分と同じように蹲っている中、ブラウがイグナーツのすぐ後ろで珍しく尻餅ついているのが見えた。
「お前たちの目当ての例の魔物だ。ここはいつ崩されるか分からん。早く外に出ろ!」
そう怒号を飛ばしたイグナーツだったが、何故か自分はその場から動こうとせず、未だに揺れ続ける足場を何とも感じていないかのように堂々と立ちながら、轟音の鳴る天井の方を睨み上げていた。その顔には、とても自分たちの入り込む余地のない激しい怒りが現れており、近寄るのも憚られるほどの集中力で天井を一点に厳しく睨んでいた。
それでも置いていくことに躊躇いを覚えたのはハルトだけでなかったようで、イグナーツの叫びに反して誰もが動けていなかった。その状況で、一番初めに動いたのはまたしてもブラウだった。
「分かった、ここはイグナーツに任せる。皆早く行くぞ!」
ブラウの号令に、他の者もやっと動くようになったが、ジルは道のど真ん中で地面ごと揺さぶられているアランの遺体を見つめたまま動けないでおり、ハルトもイグナーツの大きな背中とジルの視線の先で眠るアランの遺体との間で視線が往復していた。しかし、ジルがその遺体に手を伸ばそうとしたとき、それを阻むかのように再び洞窟内が激しく揺れ始めた。アベルは咄嗟にジルの背中を押し、そのままよろめいたジルを抱えて出口に向かって走った。それを見てルイも弾かれたように動いてハルトの肩を強く掴み、ハルトはルイに引きずられるようにその空間から去ることにした。
トンネルに入って、違う空間に抜けても、洞窟を激しく揺らす揺れは収まらず、何度も足を踏み外してよろめきそうになるが、無我夢中で出口を目指した。その間ハルトは、激しい無力感に苛まれながら、ロッティのことを思い出していた。
ロッティは自分の能力のことを好ましく思っていなかった。それはハルトにも分かっていたし、その能力があったことで受けた心の痛みは、自分にはそう簡単に推し量れるものではないことは十分に承知していた。しかしそれでも、もしこの場にロッティがいれば、ジルの心を救えたかもしれない、アランの遺体を運ぶことなど容易いことだっただろう、と考えてしまっていた。胸がむしゃくしゃするほど自分の無力さを痛感し、その無力さに腹が立てば立つほど、ロッティの能力にも誰かを救う力があるということを伝えたくてしょうがなくなった。誰かを救う力があるのに、その能力を理由にロッティを傷つけた存在がこれまでにいたという事実が、どうしても許せなくなった。
そんなことを考えている間に、光が再び見えてきた。まるで夜明けのようだとハルトは感じ、先ほどまでに起きたことはすべて夢であったような気がしてきて、視界がぼんやりと滲んできた。
☆
イグナーツの帰りを待っている間にうたた寝しそうになっているところを、子供たちに頬を引っ張られロッティは目を覚ました。子供を恨みがましく睨みつけるも、怒るのもおかしくロッティは曖昧にその子供の頭に手を乗せた。その直後、わずかに青白くさせた顔のガーネットが小屋の扉を開けて入ってきた。
「最近イグナーツが連れてきた子がいなくなってる!」
血相を変えたガーネットのその説明だけでロッティは事態の深刻さを察し、傍らの子供に頭をぽんぽんと撫でた後すぐに飛び出して、小屋を出た。ガーネットがいながらこんな不測の事態が起きるということは、この件にもリベルハイトにいるミスティカ族の誰かが絡んでいるに違いなかった。
相変わらず雪は降り続いており、一面銀世界で気を抜けば方向感覚すら失いそうだった。
「すまん、ガーネット、子供の行方に心当たりあるか」
「ええ。こっち、来て」
ガーネットも慌てているようで、言葉足らずな説明だけしてそのまま勝手に走り出そうとした。ロッティは自分の羽織っていたコートをガーネットの肩に掛けながら、横に並んで走った。
道中魔物をいくらか退治しながらガーネットに連れられ辿り着いたのは、大きな雪山の上で巨大な狼のような生き物が暴れているところだった。遠くから見てなお大きく見えるのだから、実際の大きさはどれぐらいになるのかと、雪山の上で暴れる狼を眺めながら推測しようとしたが、そんな悠長なことをしている場合ではないと止めた。
「ロッティ、あの雪山の中に恐らく」
ガーネットは慌ててはいるが脅えの類は一切ない声で、雪山の中にある小さな洞穴を指差した。冗談だと思いたかったが、ガーネットは、その狼にも怯える素振り一つ見せず冷静に雪山を見据えていた。そのガーネットの落ち着きようを見て、ロッティも腹を括り、雪山の中にぽつんとある洞穴に向かって行った。