第29話
文字数 3,138文字
ブルーメルがフルールの肩に手を添えたまま、ロッティを見やる。そこに、今までの冷静で毅然とした態度はどこにもなく、まるでそれは仮面の姿だったとでも言うかのように、優しく、どこか愛を感じられる微笑みを浮かべていた。
しかし、ブルーメルの話し方にいよいよ不安を抑えきれなくなったロッティはいてもたってもいられなくなったが、まるでロッティの心を読んだかのようにブルーメルが先に口を開いた。
「フルールのことに関する質問なら、今口にしないで。この子に対するメッセージはすべて、手紙に残してきたから」
ブルーメルはそっとフルールを抱きしめ頭を撫でた。それはまるで母親が娘を溺愛するように優しく、愛のある動きであったが、しかし、長くは続かずブルーメルはすぐにフルールを離した。フルールは名残惜しそうにブルーメルの服を掴んだが、それでもブルーメルはフルールの仕草に応えようとはしなかった。
「ブルーメルさん。貴方は……いや、貴方とガーネットは、何を知っているんですか」
ブルーメルが小さく「もう敬語じゃなくて良いのに」とぼやきながらフルールの方をちらりと見た。フルールは肩で息をして瞳を潤ませていたが、何とか唇をきつく結んでじっとブルーメルのことを見つめていた。
「それは長い話になるから……詳しいことはガーネットに聞いて」
「……ブルーメル様!」
フルールの悲痛な叫びが、静かな港に響いた。ブルーメルは面食らったように驚いていた。
「私は、私の生まれを疎ましく思っていません。どんな存在であろうと、私を心から認めてくれる人たちに巡り合うことが出来ました。その事実こそが、私が生きているうえで私にとって一番大切なことなのだと、気がつきました。そして、そんな世界に導いてくれたブルーメル様が、私にとっては何より大切な人なのです」
「……フルール」
その声は、もうすっかり弱り切ったように小さく、情けなかった。そして、フルールを愛おしそうに見つめた。
「ブルーメル様……私は、私の生まれた意味は、貴方からいただきました」
「……フルール、私も、貴方に出会えて本当に」
ブルーメルが最後まで言い終えたか否かというタイミングで、静かな港に銃声が鳴り響いた。
ロッティは咄嗟にフルールを抱えてしゃがんだが、それをすぐに後悔した。ブルーメルは驚いたように目を見開き、胸元から赤い血飛沫が舞わせながら、力なく倒れようとしていた。不本意ながらそういう光景にも慣れていたロッティは、瞬時にブルーメルが撃たれたことを理解し、フルールの目元を覆った。ブルーメルがスローモーションに倒れていく中、ふと、その真っ赤に輝く瞳と目が合った。その瞳は、今までのどの瞳よりも力強かった。
「ロッティ、後ろの建物、すべて壊し、てっ」
ブルーメルの弱々しい叫びに、ロッティはすぐさま振り返り能力を駆使して視界に入った建物を片っ端から壊していった。派手な崩壊音と共に崩れていく建物にちらほらと慌てふためく人影がいくつも見えた。その人影を見た瞬間、ロッティは今までに感じたことのない激しい感情に支配され、脳が沸騰したように熱くなるのを感じた。
「ロッティぃ、次はフルー、っルを、安全な場所まで、運んで、あげてっ!」
「で、でも! あいつらを!」
「早く!」
弱々しい、それでも不思議と耳に響くブルーメルの声に、ロッティは正気に戻った。腕の中に抱えたフルールが懸命に何かを叫ぶが、ロッティにはよく聞き取れなかった。
ロッティは自分でも残酷だと感じた。ロッティは無駄に判断の早い自分を恨んだ。ロッティは瞬時にこんなことが出来る自分が嫌いだった。ロッティはフルールを銃弾も届かないぐらい遥か空高くまで『浮かび上がらせ』、次に無事に着地させる場所を探した。港の近くにある船の全てが疑わしく見え、途方に暮れかけたが、細い路地のずっと先に見える大きな通りに見慣れた人影が通るのが見えた。銃声を聞いて駆けつけてきたのか、それとも建物が突然崩れる音を聞いてなのかは分からなかったが、ロッティはこの好機を逃すまいと、フルールを見慣れた人影のところまで『送りつけた』。フルールは最後まで何かを叫んでいたが、最後までその叫びを聞いてやることは出来なかった。
ロッティは急いでブルーメルを連れて行こうとして振り返った矢先、足に熱い衝撃が走った。刺激に堪えきれず足がもつれ転び、倒れていく視界の先では、痛みに蹲っていたブルーメルが肩を撃たれて倒れていくのが見えた。
唇を血の味がするほどきつく噛みしめ、ロッティは気力を振り絞ってもう一度背後の建物を、もっと多くの建物を巻き込む形で徹底的に崩壊させた。そして、足の痛みを堪えながらブルーメルの傍に駆け寄った。
力なく手足を投げ出し横たわるブルーメルは虚ろな瞳で空を見上げていたが、ロッティの存在に気がつくとわずかに瞳に光が灯った。
「ロッ……ティ」
「ブルーメル、あんた、こうなることが分かってたならどうしてここに集めさせたんだ」
フルールの代わりにせめてもと、ロッティが問い詰めるが、ブルーメルはごほごほと血を咳き込みながらも、不敵にふふっと笑った。
「馬鹿、ね……シリウスの皆に、めいわ、く……かけられない、でしょっ。それより、も……フルール、は?」
「ああ、安心しろ。ちょっと馬鹿な所もあるけど絶対にフルールを守り切ってくれるような奴がちょうどいたからそいつに託してきた」
ブルーメルは心底安心したように痛みを感じさせない笑顔を浮かべた。
ロッティはブルーメルを何とか刺激しないようにと、これまでにないほど集中してゆっくりと能力でブルーメルを『持ち上げ』ようとした。しかし、ゆっくり浮かび上がるブルーメルはそれを制止させるかのように弱々しい手でロッティの手を掴んだ。
「ロッ……ティ、貴方に、頼みがっ……」
「もう喋るな! 無事に生き残って、俺の言いたいこと散々聞かせてから聞いてやるからっ!」
咳き込みながら訴えるブルーメルを黙らせようとしたが、ロッティの言葉も聞かずブルーメルは顔を苦悶に歪めながら必死に何かを伝えようとしていた。
「貴方はっ、この先……大きな選択を迫られ、る……そのとき、が来たとき……どうか、フルールをっ、守る選択を、してほしい」
これほど弱ったブルーメルのどこにそんな力があるのかと思うほど、ブルーメルはロッティの手を強く握った。
「そし、て……貴方も、貴方自身が、信じるせんた、くを……して……貴方の幸せを、願ってっ……る……」
ブルーメルはそこで激しく咳き込み、ロッティの手を握る力も弱くなった。ロッティは慎重にかつ急いでブルーメルの身体を持ち上げた。横たわった状態で空中に浮かび上がるブルーメルはどこか神々しかった。ロッティは自分の足の痛みも我慢しながら、慎重にブルーメルを動かしながら港を後にしようとした。そのときだった。
激しい爆発音と共に、足場が一気に崩れた。バランスを崩したロッティは思わずブルーメルから意識が逸れそうになるが、何とかブルーメルがどこかぶつける前に再び能力で宙に留まらせることに成功した。しかし、それも一瞬の悪あがきでしかなかった。爆発は断続的に起こり、自分たちが先ほどまでいた足場周辺が、ロッティの壊した建物ごと崩れ落ちていった。ロッティは激しく身体をぶつけながら、足元でもう一度大きな爆発が起こり、海に飲み込まれた。その後も防波堤のあちこちで爆発が起こり、その勢いと共にロッティは海の遥か彼方まで運ばれていった。