第6話
文字数 3,382文字
気がつけばロッティはそんなことを言っていた。何となく手が物寂しく感じられ、樹以外の感触が恋しくなったがすぐそばにあるガーネットの手には伸ばせなかった。
「私にも、分からない」
ガーネットが寂しそうに呟いた。ガーネットの手も物恋しそうにそわそわしていたが、ロッティの手に伸ばすことはなかった。
「もし恐ろしい未来を変えられても、シャルロッテの言う通り私や貴方には生きる場所がないかもしれない。ううん、それ以前に……私はまだ、この世界の人たちとの間に溝を感じている。貴方も、そうなのかもしれないけど……そんな私たちは、どこでどんな顔をして暮らせば良いんだろうって……もしこのまま変われなかったらどうなるんだろうって、とても怖くなるときがある」
ガーネットの言葉は淡々としているはずだったのに、ロッティにはガーネットが泣いているようにしか感じられなかった。しかし、ガーネットの表情を盗み見ても涙は零しておらず、どこか悟ったような顔つきで目の前に広がる世界を眺めていた。その横顔は、もろくて、ちょっとしたことで崩れてしまいそうなほど繊細だった。
「それでも……それでもロッティになら、きっと自分たちの生きられる場所を見つけられるって……そんな未来にしてくれるって、私は信じているから」
ガーネットがふっとロッティの方に顔を向けた。頬に受ける視線が恥ずかしくなったが、それをしっかり受け止めロッティも言葉を選んだ。
「まあ、シャルロッテにもそう啖呵切ったからな……シャルロッテたちにその決意を見せつけるためにも、しっかりしなくちゃな」
ロッティは同意を求めるようにして、ロッティを見つめるガーネットの方に顔を向けた。てっきり、ロッティの言葉に何かしら賛同する反応を示すだろうと予想して待っていたロッティだったが、ガーネットはひたすら赤い瞳を潤ませながら、繊細な面持ちで、ロッティの瞳を熱っぽく見つめてくるだけだった。そのガーネットの様子に、ロッティは気恥ずかしさと戸惑いを感じながら、それでも何かを期待してガーネットの言葉を待つように見つめ返していた。しかし、ガーネットはときおり目を逸らし躊躇いながら何かを言おうと口を開きかけるも、結局何も言うことなくロッティのことをひたすら見つめてくるだけだった。傍から見ればロマンチックな光景だったかもしれないが、ロッティは次第に嫌な予感を覚え、ふとすれば淡く消えてしまうようなその表情から目を離すことが出来なかった。
その後、夜が訪れ宿で眠ろうとするときも、大樹の上で見せたガーネットの表情が脳裏に焼き付いていなくならなかった。明日に備えてひたすら目を瞑って眠ろうとしても、ついガーネットの見せた表情について考えてしまっていた。
☆
雪が降りそうな雰囲気を肌に感じながらも、それまでとは違う街の空気をハルトは目一杯吸い込んで堪能した。その様子をルイにからかわれ、ハルトも仕返しにルイにナンパは成功しないからやめとけと毒づいた。それらのやり取りを見守るジルの優しい視線を感じながら、ハルトは内心ほっとしていた。フラネージュを去るとき、ジルは何度も名残惜しそうに馬車で後ろに過ぎ去っていく風景を見送って注意散漫な状態であったが、今ではそんな素振りももう見せなくなっていた。
久し振りに訪れた帝都は相変わらず賑やかで、色んな恰好をした人たちで溢れ返っていた。不思議が満ちているこの世界においては冒険家が成立する時代であるため、自由を求めて冒険家団体を立ち上げたり、そんな冒険家と街の人間を繋ぐような商売をしている人もいたり、我が道突き進むと言わんばかりに専門の道を究める人もいたりするが、帝都はそういった人たちすべてが暮らしている都であった。もちろん騎士団学校もあり、そこを出た人間は帝都を守る騎士となったり、故郷の街に戻ったり違う街に訪れたりして警備隊として街を守る存在になったりしていた。そんな多様な人間を包括する帝都を、以前までのハルトはこの時代の世界を象徴するような都だと認識しており、憧れに似た想いを抱いていたのだが、今のハルトは単純にそう思えなくなっていた。帝都を行き交う人々を眺めていると、イグナーツやロッティとの出会いがふと脳裏をよぎり、自由を彷彿させる空気も、どこか胡散臭さが滲み出ているような気がした。
『ルミエール』は自分たちの拠点である建物へと向かい、その道すがらで軽くすれ違う人たちに、エルフ族やミスティカ族について遠回しに聞いてみても、予想通り色よい返事はなく、エルフ族やミスティカ族を発見することがそう簡単なことではないことを予感させた。
『ルミエール』の借家に到着し、滞りなく馬を停め休めさせ、一同は一番大きな居間に集まってこれからのことを話し合った。
「んで、どうやってその人たち探してみるよ」
軽い調子で切り出したのは、ソファで胡坐をかいたルイだった。疲れていなさそうなのに、すっかり背もたれに寄りかかってだらけていた。
「やっぱり手当たり次第に訊いて回るのか? そいつらの特徴とか知らないしな、俺たち」
「……いや、それはやめておいた方が良いだろう」
アベルの意見に、壁に寄っかかって腕を組んでいるクレールが即座に否定した。クレールの考えが気になってハルトは手を挙げた。
「なんでダメなんだ? 直接訊く以外にその人がなんちゃら族ってのが分からなくないか?」
「考えてもみてくれ。団長の書物を狙っている連中は、それを手に入れて一体何をすると思う?」
「いや、そんな目的とかは分かんねえけど……」
アベルが困ったように天井を見上げるが、クレールがやんわりと首を振った。
「いや、そんな難しく考えないで欲しい。普通に自分が、ある日一冊の本を手にしたときのことを考えてみて欲しい。皆なら何をする?」
「まず……中身を確認するかな。あ、そうか……」
「そうだ、普通はまず、どんな内容の本なのかと、その本の中身を読むはずだ」
クレールの言わんとしていることが段々と分かってきて、ハルトの身体が椅子の上で前のめりになってきていた。
「まあ、話があまりにも今までの常識から外れてて実際はどうか分からないが……連中が狙っているとすれば、やはりその本の中身に用があると考えるのが自然だ。だとすれば、連中の中にもその文字を読める奴がいるはずだ」
「だからその相手の中にも、エルフ族やミスティカ族がいるかもしれない……それで、訊いて回ることは危ないって言ったんだね。間違ってもその相手に本を読めるのを探し回っているなんて知られたら、一気に他の仲間も引き寄せちゃうもん」
クレールの話を、ハルトと同じように椅子に座って机にへばりつくようにしているジルが補足してくれて、ハルトもようやくクレールが先ほどアベルの意見を否定した理由に納得がいった。しかし、それならどうすればいいのだろうか。ハルトは考えてみるも、良い案など浮かんでこなかった。
「ああもう、じゃあどうすればいいんだ」
ハルトが音を上げるのを、ジルがそっと「落ち着いて」と諫めた。
「じゃあ、この本の文字を一部抜粋して、それを読める人を探すとかは?」
「…………確かに直接聞いているわけでもないし、もし読めればそいつが俺たちの探している種族であると分かるが、それも危険だな。わざわざ学者に頼めばいいような内容を一般人に訊いて回る行為は不自然に思われるし、それに結局その読める奴が敵かどうかも分からなければ、本そのものを見せて全文を見てもらうことなど出来ないだろう」
ルイの意見にもクレールが難しい顔をして否定した。ルイの意見もハルトは一瞬良い案だと思いかけたが、ルイの説明を聞いてそれももっともだと感じ、それではどうすれば良いのかとますます頭が混乱してきた。
頭のキレるクレールまでもが難しい顔をして頭を悩ませており、部屋に静寂が訪れる。ジルががさごそと鞄に手を突っ込んでいたかと思うと、例のブラウの書物を取り出し、机の上に広げて頬杖をついて気怠そうに眺めていた。ハルトもジルと一緒になってその本の中身を見てみるが、相変わらず何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。それでもジルは一生懸命に書かれている文字を見つめており、まるで解読しようと試みているようであった。