第2話
文字数 2,885文字
「私は、ここの大陸の人間じゃない」
沈黙を破ったのは、倒れたときに支えられるようにとロッティの背後を歩いていたガーネットであった。その言葉に転びそうになるロッティを、ガーネットがすかさず支えた。
目と目が合う。ガーネットの赤く変化する瞳は、すべての覚悟が閉じ込められており、これまでちらつかせていた迷いや心苦しさといったものすべてを振り切った清々しい瞳をしていた。
「続けてくれ。質問は最後にする」
ロッティの言葉にガーネットは静かに微笑んだ。ロッティはガーネットに支えられながら体勢を立て直し、再び前を歩き始めた。もう転ばないようにと、足元をしっかりと確認するが、案外足元は穏やかな地形をしており、意識していればまず大丈夫そうであった。
「私は……貴方たちが言う、未踏の大陸からやって来た。私は、普通の人間ではない……違う種族の生き物なの」
未踏の大陸。その言葉を交えて話すガーネットの告白は、神秘的な響きを持っており、ロッティの心にも抵抗なくすっと入っていった。
ガーネットが深く息を吸い込むのを感じる。ロッティは意地でも痛む足を前に運び続けた。なだらかな坂道に差し掛かり、足をぐっと持ち上げるたびに、銃弾を掠めた箇所と思われるふくらはぎが熱を帯びて小さな悲鳴を上げた。
「そして……それは貴方も同じ。ロッティ、貴方も未踏の大陸からこの大陸にやって来たの。私の百年後に、だけどね」
ロッティの足は、言うことを効かなくなったみたいに急にその動きを止めた。感情は追いついていないのに、理性では理解した頭が、その衝撃を受け止めるためにと足を止めさせたように、足が自分の意志に反して動かなかった。ロッティはすぐ傍に構えている樹に体重を預け、そっと上空を見上げた。木の葉から漏れて差し込んでくる光が、自分を慰めているようであり、ロッティも何とか呼吸を落ち着けることが出来た。口から吐いて出ていく白い息はとても冷たそうに宙を漂った。
「……ことの発端は、未踏の大陸で未曽有の大災害が起きたこと。私たちはそれを事前に知ったことで……貴方たちは実際に災害に見舞われて、逃げるようにこの大陸にやって来た。その航海途中で、何人もの同胞が荒れ狂う海に沈んでいった。何せ、大昔のどこかの誰かさんのせいで、未踏の大陸とこの大陸を隔てる海はまともに航海出来る状態になかったから。私たちは、生きるために命からがらこの大陸に逃げてきた」
何とか足が動かせるようになり、ガーネットの語りを聞きながら歩いていると、ふと視界が大きく開けた。いつの間にか丘のような所にたどり着いており、海を一望することが出来た。その丘にぽつんと置かれている大きな石に、昨日の老人が座っていた。
「私が知っているのは、これから起こること……それを話す前に、貴方の頭を整理するためにも、この世界のこれまでのことについては、あの人から聞きましょう」
ガーネットは、まるで老人がここにいること、もっと言えば先導して歩いていたロッティがあの老人のいるところまで歩くことを知っていたかのように、何でもない口振りでそう言ってのけたことに、ロッティは鳥肌が立った。
ロッティの足は勝手に動いていた。何かに導かれるように老人の前に立つと、老人は眠たそうに顔を上げてロッティたちの顔を見た。赤くなる瞳を逸らそうともせずに真っ直ぐに向けられて、ロッティは背筋に悪寒が走った。
「どこから話せば良いものか……そうだな、君は、リュウセイ鳥の伝説は知っているな」
老人の試すような口調に、ロッティは頷くことしか出来なかった。老人は芝居でもしているかのようにわざとらしく頷き返し、ガーネットの言う『これまでのこと』を語り始めた。
「リュウセイ鳥の話は実話だ。遥か昔、未踏の大陸に渡った者が未踏の大陸から次々と自分たちのいる大陸へと色々なものを持って帰ったのだ。まともな文明すら拓けてなかった当時の彼らにとっては、まさに宝の山に見えたのだろうな……リュウセイ鳥の話は実話だ、そしてこの話には続きがある。当時の彼らが持ち帰ったのは、リュウセイ鳥だけではない。この大陸で希少とされ、冒険家を含め世界中の人々が求めているような鉱石や植物、魔物、馬車に利用されている馬……それらすべてが、未踏の大陸から持ってこられたものだったのだ。そして……私たちや君たちの先祖もな」
老人は唐突に指を四本立てた。
「それこそが、この世界の人類の歴史の始まり。そして、その歴史の黎明期に立ち会ったのは、四種族……一種族目が、エルド族。今では純粋なエルド族は絶滅しており、人とのハーフしか残っていない。ここの人間はそのハーフをエルフ族と呼んでいるようだがな」
ロッティはそこで唐突に、ブルーノがエルフ族であったことを思い出し、雷に打たれたような感覚に陥った。よく自分でも思い出せたなと自分に驚くと同時に、遠いところにあった点と点が結びつくような出来事に、まるで創作された物語を見せられているかのような出来過ぎたものを感じて、薄ら寒さすら覚えた。
「二種族目が私や、そこにいるお嬢さんの先祖……ミスティカ族だ。三種族目が、アインザーム族……ロッティ君、君のことだ」
老人はロッティの胸を人差し指で指した。
「そして四種族目が、幻獣族だ。この四種族は、たちまち人間の文明レベルを引き上げ、歴史の創世に手を貸すことになったのだ。しかし、こうして連れられた私たちの先祖は、残念なことにほとんどが滅ぼされた。純潔のアインザーム族もエルド族も滅び、生き残れたのはわずかな幻獣族とミスティカ族のみ……私は、そのミスティカ族の末裔だ」
老人の声は、最後の方はほとんど消え入りそうなほど小さかった。その後、老人は立ち上がって海の方へ近づいた。老人は海の向こうにあるはずの未踏の大陸を見ようとしているかのように、ずっと遠くを静かに眺めていた。
「ロッティ君。何故ここの人間たちは現代に至るまで栄え続けてきたのに対して、私や君たちの先祖はここまで減らしたり、滅んできたりしたのだと思う」
話をすべて理解できているか自信のないロッティであったが、何故かその理由だけは、分かる気がした。それはロッティがずっと感じてきたことと関係なくないことだと、ずっと昔から確信していたかのように不思議なほど自然にその言葉は出てきた。
「俺たちに……普通の人にはない能力があるから、か」