第21話
文字数 3,404文字
フルールは身体を震わせ、自分の服の裾を掴む。俯いて話すフルールは、じっとテーブルの木目を見つめていた。
「そもそもブルーメル様は、本当に私のことを役に立たない機械人形だとは考えていないのでしょうか。ガーネット様は、ああいってくれましたが、役に立たないから暇を出された、という考えがつい頭をよぎってしまうのです」
「……それについては、心配いらないと思う」
フルールの掴んでいた裾がさらに歪んだ。
「大切だから……自分にとって大切な存在だから、たとえ自分から離させることになったとしても、危険から遠ざけたい……その気持ちは、痛いほど分かる」
ロッティの頭に、結局守り切れなかったかつての両親が浮かび上がっていた。フルールが小さく「そうだと、嬉しいです」と呟いた。
「だから、これからフルールは、無事でいればそれで良いんじゃないか」
ロッティのその言葉にフルールがゆっくりと顔を上げた。ロッティのことを不思議そうに見つめながら、その先の言葉を必死に待っていた。
「ブルーメルがフルールの無事を祈ってるにしても、フルールの不安が当たっていたとしても、ブルーメルと会えない間フルールが無事でいれば、また話が出来る。そのときに訊いてみれば良い。もしフルールの無事を祈っていたとしたら……きっと、また会えたとき、ブルーメルも喜んでくれる」
ロッティはそこまで話し終えて、紅茶を用意しに席を立った。慣れない手つきでたどたどしくも何とか用意してテーブルに戻ってくると、フルールの固かった表情も緩み、かすかに微笑みながらロッティから紅茶のカップを受け取った。フルールは愛しいものでも触るかのように、小皿に載ったカップを回していた。
「ロッティ様のお言葉、大切にしたいと思います。ありがとうございます……そうですね、私自身がまずはしっかりしていなきゃダメですね」
それからフルールは一度自分の頬を軽く叩いた。そして、ロッティに向けて優しく微笑んだフルールの顔にはどこにも不安の色はなく、いつもの街の人やブルーメルを支えてきた少女の顔が戻っていた。カップを持ち上げ、紅茶の匂いを嗅いだフルールはそのまま紅茶をこくこくと飲んだ。その表情にロッティも安心して、同じようにカップに口をつけたが、中々良い匂いに反して味は妙に渋かった。
翌朝、珍しく遅く起きたガーネットがフルールと一緒になってロッティの見送りをしようとしていた。やけに神妙な面持ちで見送るガーネットにロッティは失礼ながら少し嫌な予感がした。
「ガーネットがそうやって見送ってくれるってことは……やっぱり何かやばいことでも起こるんだな」
「……深読みはしなくていいから。気をつけてね」
ぶっきらぼうに言い放ったその言葉だったが、突き放しているわけではなく優しさとも悲しさとも似つかない不思議な感情が籠っているように感じられた。
ガーネットとは対照的にフルールは何度もロッティの手荷物を確認してはやきもきしたようにロッティの周りを忙しく駆け回っていた。
「……フルールのことは任せて。そろそろ来ると思うよ」
「ああ、分かった……フルールのことは頼む」
それから少しして、玄関がノックされる音が聞こえてきた。扉を開けると、文字通り目の前に馬車の扉が開かれており、中もろくに見えなかった。
「ロッティさん、急いで乗ってください」
馬車の中からブルーメルの小さく呼びかけてきた。ロッティはガーネットとフルールに手を振り、さっと馬車に乗り込んだ。ロッティがガーネットたちの立ち姿を目に焼き付けながら扉を閉めると、すぐに馬車は走り出した。この馬車も以前鉱山閉鎖のときの馬車と同じように窓の外が見えないようになっており、薄暗い部屋の中ではブルーメルの姿を確認するので精一杯だった。
「こんな形になってしまいましたが、改めまして、フルールを今まで見てくださってありがとうございます」
ロッティが座るや否や、ブルーメルがおそらく頭を下げた。ブルーメルのその言葉と伝わる雰囲気から、ロッティにはやはりフルールを危険か何かから遠ざけたくてフルールを自分に仕えなくさせたようにしたのだと確信に至った。
「一昨日の約束通り、質問を受け付けます、ロッティ様。気の済むまで聞いてください」
馬車の密室で響くブルーメルの声は、些か緊張しているように堅かった。
「……あのとき聞きたかったことの疑問は解消できたかと思いますので、大丈夫です」
「……そうですか。また疑問に感じたことがありましたらいつでも言って下さい」
拍子抜けしたように声を落としたブルーメルは、それから外の見えない窓をじっと見つめていた。強いて訊くことがあるとすれば、自身の能力をどこで知ったのかについてだったが、ブルーメルからガーネットと同じ匂いを感じたロッティはどうせはぐらかされるだろうと考え、黙って馬車に揺られることにした。ブルーメルが最後に話して以降、目的地に着くまで互いに口を開くことはなかった。
随分と長い時間、馬車に揺られながらやがて到着したのは、リュウセイ鳥の伝説があった街を彷彿とさせる、海に瀕した小さな町だった。リュックを背負ってブルーメルに続いてロッティも降りると、ブルーメルは馭者に何やら話していた。かと思うと、馬車はロッティたちを置いてどこかへと言ってしまった。
「さ、行きましょうか。てきぱき効率よく行わないと間に合わなくなりますからね」
ブルーメルは言い聞かせるようにそう言うと、リュックをもう一度背負い直した。町でどんなことをするのだろうかと不安だったが、ロッティも頷き、どちらからともなく町へと向かった。
ブルーメルが向かったのは町の中でも一番大きそうな煉瓦造りの建物だった。ブルーメルはその建物の扉についているドアノックを叩く。
しばらくして中から出てきたのは白い髭を生やし、丸い黒縁眼鏡を掛けた老人だった。
「こんにちは。いつも贔屓にさせてもらっています。私、シリウスの皇族委員会のブルーメルという者です。こちらは今回の私の用事の助手に頼んだ者で、ロッティと言います」
ブルーメルに紹介され、ロッティも「初めまして」と頭を下げる。
「おお、ブルーメルさんお待ちしていました。さあどうぞ中へお入りください」
中は部屋の中央に向かい合わせに配置された豪華な長椅子があり、ロッティたちはその椅子へと通された。椅子は先ほどまでの馬車のときとほとんど変わらない座り心地であった。
向かいに座った老人とブルーメルが、軽い挨拶を交わした後に話し始めたのは、この町での機械人形についてだった。
「機械人形たちは、指示通り教会の奥の平野に集めさせました。今までありがとうございました」
「こちらこそ、ワガママともいえる要望を引き受けてくれてありがとうございます。お礼金は後日使いの者を通して渡しますので、何卒よろしくお願いします」
懇切丁寧なやり取りがその後もいくらか続き、最後に別れの挨拶を交わし、ようやく建物を後にした。横で黙って聞いているだけで何もしていなかったロッティは座り疲れていた。そのせいでブルーメルに今更何をするのかという質問をする気にもなれず、早く用を済ませたいと考えていた。
ブルーメルに連れられて、やがてシリウスの講堂に似てステンドグラスが散りばめられた大きな建物が現れた。ブルーメルは道に迷う素振りも見せずにそのまままっすぐに建物の脇を通っていき、ここがこの町の教会なのかと感心していたロッティは置いてかれそうになった。
建物を抜けた先に見えた光景に、ロッティは息をするのも忘れて呆然としてしまった。
大勢の人——おそらく先ほど話していた機械人形たち——が、寒気を覚えるほど綺麗に整列していた。そんな機械人形たちの前に立ちはだかったブルーメルは、まるで軍隊を率いる司令官のようだった。
「ロッティさん……お願いしたいことがあります」
ロッティに背を向け機械人形に向かい合うブルーメルの声は、どこかに感情を置いてきてしまったかのように冷え切っていたが、ロッティに背を向け機械人形たちと向かい合うブルーメルがどんな顔をしているのかは分からなかった。
「この……機械人形たちを、壊してください。それが今回の依頼です」