第4話
文字数 3,067文字
ハルトたち面々が揃い、アベルも腕を負傷しながらも腰かけて安静にしているのを確認出来てロッティは一気に胸が軽くなった。久し振りに出会うルイ以外の『ルミエール』の面々は、急激に老け込んだように疲れ切った顔をしていた。
「ロッティこそ、よく無事だったじゃないか! 良かった!」
ハルトが抱き着かんばかりの勢いで飛びついてきて、手を挙げる。ロッティも何となく手を挙げると、ハルトはその手にハイタッチした。
「無事で良かった、ロッティ……」
ハルトの後ろでブラウがよろよろと身体をよろめかせながら胸に手を当ててほっとしたように息を吐いていた。それらの様子を見守っていた他の住人たちからも、安心したような吐息と穏やかにざわつくのが聞こえてきた。ロッティが連れた馬たちも『ルミエール』の面々と会うと嬉しそうな鳴き声を上げながら身体を擦りつけていった。『ルミエール』の皆も嬉しそうに馬たちの頭や鼻先を撫でていた。
「ロッティ、この人なんだけど」
ジルがそう言っておずおずと、抱えていた女性をロッティの方に近づけさせた。ロッティはてっきり、先ほどセリアたちがそうしていたように爆発後の街を巡って救出作業を行なっていて、そのうちの一人を抱えているのかと思っていたが、ジルの差し出した女性の顔を見て、ロッティは思考が止まった。死んだように瞳を閉じたガーネットが、力なくジルの腕に支えられていた。夜明けの光がちょうどガーネットの眠る顔をそっと撫でるように明るく照らしており、近づくのも憚れるほど神秘的な美しさがあった。
「この人、が……どうしたんだ」
ロッティは何とか声を絞り出して恐る恐るジルに尋ねた。その先を訊くのが怖かった。ガーネットとの思い出が一気に次々と駆け巡り、爆発しそうになる感情に胸が苦しくなった。
その眠る顔に触れて確かめたかった。
抱き寄せて、その名前を呼びたくてしょうがなかった。
しかし、身体は全くと言って良いほど動かなかった。覚悟していたはずなのに、いざガーネットの瞳を閉じたまま動かない姿を目の前にして、息が浅くなり、動悸が早まり、頭が急速に真っ白に染められようとしていた。一夜に、こんなにも苦しい想いを重ねるとは思いもせず、自分という人間がどうにかなってしまいそうだった。
しかし、そんなロッティの胸中を宥めるように、ハルトがそっとロッティの肩に手を置いた。
「大丈夫。その人、生きているみたいだぜ」
「……え?」
「そう。僕にもよく分からないんだけどね。僕……ヨハンって言う人と対峙して、呆気なく負けて、そのときは殺されたかと思ったんだけど、目が覚めたら僕以外にはその人とクレールしかいない地下にいてさ。慌ててクレールを起こしてみたけど、それでもこの女性に見覚えがないみたいで、どうしようかと思って、それでここまで連れて来たんだ」
ロッティは、ジルの説明に出てきたヨハンの存在を不思議に思う余裕もなく、錆が入ったようにすっかり働かなくなった頭をフル稼働させて説明をかみ砕いていった。しかし、その説明が意味するところを理解するよりも先に、ガーネットの身体に飛びついていた。ジルからそっとガーネットの身体を授かり、優しく抱擁した。血と煙の臭いが混じっていたが、確かに先日抱きしめたときに感じた温もりと香りを感じられ、腕の中で小さく繰り返される鼓動にロッティはぎゅっと抱きしめられずにはいられなかった。しかし、身体は確かにそうやってガーネットの感触を確かめているのに、頭が現実に追いついてこず、ロッティの心臓は不安そうに五月蠅く鳴り続けていた。
「ガーネット……生きてる、んだな……」
確かめるように声に出してみたそのとき、不意に視界が青白い光に包まれた。周囲のハルトたちの声も聞こえなくなり、やがてロッティも何が何だか分からないうちに意識が朦朧とし始めた————
気がつけば、ロッティは見たこともない森の中に立っていた。荒廃しきった帝都でハルトたち『ルミエール』やガーネットと再会したはずであったロッティは、少なからず動揺し辺りを見渡した。
周辺には、身の丈をも超える草や、その何倍も高さがありてっぺんがとても見えない樹の連なる森が広がっていた。広大で、雄々しくて凶暴さをも思わせるほどの自然の広がりにロッティは怯むも、訪れた覚えも見た覚えすらないはずであるその風景に、ロッティはどこか懐かしさを感じていた。気を取り戻し、慌てて他の皆を探そうとしたその時だった。
『いいかいダリア。これから先、何があっても目を開けちゃいけないよ』
背後からふと女性の声が聞こえ、その方に振り向くと、決して若いとは言えなさそうな婦人が、見覚えのある花の飾りがふんだんに施された服を着た少女を大切そうに抱いていた。二人の傍らには、同じような花の飾りがいくつも施された真四角の木造の箱のようなものが置かれており、傍にある樹と縄で結びつけられていた。箱の中にも柱と結びついた縄があった。
『船がどんなに揺れても、ガーネットの花が枯れても……私の声が聞こえなくなろうとも、決してこの縄を放さずにいるのよ』
婦人は船と呼んだ箱の中にある縄を少女に握らせた。少女はぶるぶると震えながら婦人の言いつけ通りに、目をきつく閉じ、縄を強く握った。婦人の瞳が純粋な黒色から赤い色に変わり、そこで初めてロッティはこの婦人がミスティカ族であることに気がついた。状況を飲め込めないでいるロッティは、その二人に話を聞こうとしたのだが、何故か声が出せなかった。まるで声そのものを奪われてしまったかのように、いくら二人に呼びかけてみようとしても声が出せず、二人も当然のようにロッティの存在に気づくことはなかった。
『私の可愛いダリア……どうか幸せに生きてね。始めは寂しい時期が続くだろうけど、そんなときはこの歌を思い出して』
婦人は少女や荷物を木造の箱に乗せながら、鼻歌を歌った。その歌は、機嫌の良いときのアリスがよくする鼻歌と確かに似ていた。
二人が出ようとしている海は、絶え間なく雷が鳴り響き、波が荒れ狂っていた。あまり航海したことのないロッティは海に関する知識がそこまでなかったが、そんなロッティの目から見てもこの海で航海するのは無謀なことのように思えた。ロッティはその二人の航海を止めようとする。しかし、何故か二人に触れることが出来ずそのまますり抜けてしまう。そのロッティに二人が驚く様子もなかった。ここでは自身は無力で、何も干渉することは出来ないのだと理解したロッティは、せめて二人の航海が上手くいくようにと、ひたすら祈った。
直後、視界が再び青白い光に包まれた。しかし、驚く間もなく視界は明け、穏やかな海を背景にした浜辺へと切り替わった。その浜辺の上に、先ほど見た少女の倒れている姿があった。よく観察してみると、少女の服に飾られていたガーネットの花は一輪も残っていなかった。
心配で思わず見守っていると、少女はやがて覚醒し、状況を確認するように辺りをきょろきょろと見渡した。その後、手に残っていた縄の切れ端や、自分の服を見比べ、そうしてまた周囲を見渡し、それから少女はその場で仰向けに倒れこんだ。少女は頭上に広がる夜空を見つめながら、静かに涙を流した。星空は、ロッティがこれまで見てきたのと変わらず爛々と光り輝いていた。
ロッティは、見知らぬ少女の今後を想った。少女の涙を流す表情に、かつての幼き日の自分の面影を感じていた。