第10話
文字数 3,143文字
「よく働くね」
背後からぼそっとそんな風にハルトに話しかけてきたのはジルだった。小さくても不思議と綺麗に透き通る声で、雪の降る中でもよく聞こえてきた。
建物から出て来たばかりなのか、階段の途中で腰掛けながらハルトのことをじっと見つめていた。伸びた前髪の隙間からちらつかせるその瞳には、何かしらの思惑が隠れていそうな気配がした。
「そういうジルも、珍しく色々訊いて回ってるみたいじゃないか。どういう風の吹き回しなんだ?」
「……僕は、別に。個人的に気になることがあったから」
「個人的に? 何か気づいたことがあるのか」
「いや、そうじゃないんだ。本当に個人的な話ってこと」
ジルは一瞬だけ物悲しそうな表情を覗かせたかと思うと、静かに首を横に振って否定した。そのままするりと立ち上がって、座ったことで付着した雪を丁寧な所作で払いながらハルトの方に近寄ってきた。
「そういえば、さっき『シュヴァルツ』の人たち見かけたよ。もしかしてあの人たちも噂の魔物を狙ってるのかなあ」
急な話題の振り方に、先程の話はあれでお終いであると告げているのだとハルトは察した。しかし、ハルトの方もジルが話したくないならそれを無理に詮索したくはないと思い、それよりも雑に振られた話題に素直に興味を惹かれた。
「えー。俺たちそんなに頼りにならないのかよー」
「……そうじゃないといいね」
ジルはおかしそうにくすっと小さく笑った。その笑い方がくすぐったく、ハルトも耳がこそばゆく感じたが、ジルがハルトを置いてさっさとどこかへ行こうとしてるのに気がつき、ハルトは急いでジルを追いかけた。
それから数日間、ハルトはもはやこの街の住人全員に一度ずつ話しかけたのではないかと思うほど話を訊いて回ったが、それでも特に新しい情報は出てこないまま、ルイたちがようやく罠を完成させた。一見するとただの灰色の鉄板にしか見えなかったが、ルイ曰く、これを魔物が踏むとその衝撃によってこの鉄板のようなものが折り畳まれ、この鉄板のようなものに仕込んである、野草の麻痺毒を塗った針が踏み足に突き刺さる、という寸法らしい。
「よっしゃ、もういっちょ洞窟に行ってみるぞ!」
罠が完成したことでテンションが高くなったアベルが高らかに宣言する。罠を作っている二人を置いて残りの者で洞窟に向かうという話も出ていたのだが、それをルイたちに待ってくれよと泣きにかかられながら止められ、仕方なく待っていたため、正確には「やっと洞窟に行ける」だったのだが、そのことを突っ込む者は誰もいなかった。当の罠を作り上げたアベルとルイは達成感からか自信満々そうな表情を浮かべているが、ハルトは何となくその罠に期待できなかった。アランは調査に出たきりまだ帰ってきていなかったため、ジルがいそいそとのんびりとした動作で置手紙を書き上げていた。
景気よく出発しようとして宿を出て行く間際、クレールが深刻な顔でブラウに話を聞いていたがその会話内容はハルトの位置からではよく聞き取れなかった。
例の洞窟までの道中、またもや不思議なことに魔物に出会うこともなく難なく入り口まで再び辿り着くと、初めて洞窟を探索して帰ってくるときに出くわした大柄の男、イグナーツが先日と同じように腕を組んで立っていた。『ルミエール』の皆はすぐさま警戒姿勢を取った。イグナーツは身じろぎ一つせず、顔色一つ変えずに、険しい表情でブラウを真っ直ぐに見つめている。
「おい、あんた、そこで何をしている」
「『ルミエール』の皆が来るのを待っていた」
イグナーツが、まだブラウたちは名乗ってもいない『ルミエール』の名を口にしたことで、ブラウ以外のメンバーはたちまち自身の武器に手を伸ばすが、イグナーツはそれを鼻で笑った。
「丸腰の人間相手に剣を抜くつもりか?」
「あんたが怖くてつい警戒しちまうみたいだ。悪かった。それにしてもあんた、得物なんかなくてもすんごく強そうだな」
ブラウが渇いた笑いを交えながら、メンバーに武器を降ろすように手で制する。クレールやアベルは警戒心をまだ解かずに、武器に伸ばした手を収めなかったが、ハルトとジルは素直にその手を引っ込めた。ルイもハルトを見て呆れたように首を振りながらも同じように手を引っ込めた。
イグナーツは『ルミエール』の面々を見渡してから鼻を鳴らした。
「まあいい。それより、お前たち『ルミエール』は、またここにやって来て、何をしに来たんだ」
イグナーツは洞窟の壁にもたれかかって、ブラウを品定めするようにじろっと睨みつけながら返事を待っていた。無駄のない身体運びからはやはりただものではない雰囲気が感じられ、じっとしていても発せられる圧にハルトは身体が竦みそうになるほどだったが、ブラウは怯むことなくイグナーツに向かい合った。
「先日も答えたが、守秘義務があって言えない。あんた、フラネージュの人じゃなさそうだしな」
「ほう……どうして俺が街の人間じゃないと思う」
「守秘義務だって言いながら、街でめちゃくちゃ聞き込みしてるからな。街の人間なら、依頼主とかまでは分からなくとも何しに来たかはわざわざ質問するまでもなく分かると思ってな」
ブラウの答えに、イグナーツは感心したように鼻を鳴らした。
「なるほど。聞いていた通り、ただの能無しじゃないらしい。良いだろう」
イグナーツは壁から離れて、洞窟の入り口から違う方向を指差した。
「洞窟の最奥にあった洞穴に行きたいんだろう。何もないところだが、良ければ案内しよう」
イグナーツは分かり切ったようにそう言うと、そのまま『ルミエール』の返事も待たずにさっさと歩きだしてしまった。雪の降る中見失わないようにするために、『ルミエール』は断ることも許されず、その誘いが罠かどうかも疑う暇もなく同行することを余儀なくされた。ハルトはついルイたちの持つ罠を盗み見てしまう。このイグナーツの誘いが罠だったとしたら、まるで雲泥の差だと思った。
この雪原の中、雪の勢いが増していきながらもイグナーツは迷いなく進んでいき、それを先頭にブラウたちは、アランはいないものの、以前と同じように並んで歩いていた。雪のせいで先の道も見えにくく、イグナーツがいなければ洞窟の最奥の洞穴の探索は遥かに時間がかかるものになっただろうということは容易に想像がついた。そう考えると、イグナーツの誘いはこれ以上ない申し出だったように思える。初めて対峙したときは調査を止めるよう忠告してきたのと一転して今度はこちらに協力しようとしてくれるイグナーツの思惑が読めず、一体どういう風の吹き回しなのかとハルトは訝しんでいた。
しばらく歩いていると、イグナーツが何か質問をしてブラウがそれに答えていることに気がついたが、本当に雑談でもするように話しているようで、先頭を歩くブラウたちの話は、最後尾を歩くハルトには内容を聞き取ることまでは出来なかった。ハルトがその内容を気にしている間に、イグナーツは雪山の中に小さく埋もれかけている洞穴のところまで案内してくれた。
「ここがお前たちが来たかった場所だ」