第18話
文字数 3,234文字
いつものようにロッティはアリスとバニラについていき、アリスが鼻歌交じりにスキップしている様子をただただ見守っていた。
「はいはい押さないでね。ちゃんと皆の分焼いてあるから」
アリスが困ったような笑顔で皆にエッグタルトを一つずつ丁寧に配っていた。時折グランと似たようなことを考え、欲張って二つ目をいただこうとする者がいてアリスは笑いながら厳しく叱っていた。その光景に、ロッティはふと、孤児院を営んでいたピリスもこんな風に皆と遊んでいたのかなと、その姿をアリスに重ねていた。
配り終わったらしく、アリスはまたいつものように下町の人たちの話に耳を傾けていた。ときどき、ロッティの方を指差しながら話している人もいた気がして、アリスもそのときには優しい顔になって話を聞いていた。ロッティたちが訪れたときには沈んでいた下町の人たちの表情も次第に明るくなっていった。ロッティは、改めてアリスのことを尊敬し、アリスの強さと力を再認識していた。
いつものように小屋へ戻っている途中であった。いつもは静かな貴族街の方が騒がしいなと感じていたとき、アリスがそっと呟いた。
「ねえロッティ……もし私がいなくなっても、下町の人たちのことは……グランのことは、見捨てないであげてね」
「……急にそんな縁起でもないこと言うと、バニラやグランが怒るぞ」
ロッティはちらりとバニラの方を見てみるが、流石は召使いと言ったところなのか、取り乱した素振り一つ見せずに静かにアリスのことを見守り続けていた。その態度に不気味な予感がして、ロッティはもう一度アリスの方を見る。
「分かってる。グランの前じゃ言えないから、ここで言ってるのよ」
アリスは真剣な表情で、ロッティのことを振り向いた。覚悟と強い意志の宿ったその仕草はつい先日にも見たことのあるもので、ロッティは切ない予感に胸が苦しくなった。
「私、知ってるの。ガーネットとバニラが協力して、私が毒で死なないようにしてくれていたこと。それと、ロッティが私の下町に行くときについて来て欲しいって言うお願いにすんなり頷いてくれた理由も、全部知ってる」
アリスは静かに胸に手を当てた。ロッティは、そんなこともあったなと記憶を辿っていた。
どんな事情かまでは分からないが、帝都の意向に反する理想を持つアリスのことを、やはり城の人間の中には良く思わない者もいるのだろう。城の中でアリスが毒で危篤状態になる未来を予知したガーネットが毒を打ち消すための中和する薬草をバニラに渡していた。それにもかかわらずアリスの具合が悪くなったときに取り乱していたグランを思い出し、ますます胸の内が切なく締め付けられていた。
「私が死なないように……そのために、皆私のために動いてくれていたんだよね?」
「……そうだよ」
ロッティが素直にそれを認めると、アリスも静かに頷いた。
「でもね……それでも、私は死ぬかもしれないんでしょ? なら、万一のために、そうなる前に私から、一つだけお願いがあるの」
アリスは、そっとロッティに近づき、ロッティの手を取った。アリスの両手は小さく、ロッティの手を覆い切れていなかったが、手全体が温もりに包まれたような感覚が確かにあった。
「私が死んだときは……ロッティが、私の想いを受け継いで欲しい。クロエお姉様にも話しているけど……それでも、私の想いを多分一番持ってくれているのは、ロッティだから。だから、お願い。下町の人たちを……この間仲良くなれたステファニーやレオン……ガーネットと貴方自身を、そして、私の一番のお友達のグランを、皆を救ってあげて。今のロッティになら、きっと任せられるから」
アリスの決意もまた、相当に固そうであった。揺らがぬ瞳と、言葉に込められたアリスの熱意が伝わってきて、ロッティの心にも響いた。
「ああ、約束する。俺はそのためにここにいる。そんな未来があると信じてるから今ここにいるんだ。任せてくれ」
ロッティの返事に、アリスは心から安心したように綻ばせた。そのアリスの笑顔に、ロッティの胸はずきずきと痛くなって仕方がなかった。
それから軽快な足取りで進むアリスについていき小屋に帰ると、グランが珍しくテーブルに着いて真っ直ぐに姿勢を伸ばしてアリスたちを出迎えてくれた。壁に寄りかかっているガーネットはアリスたちを一瞥し、簡単に言葉を交わすとすぐに手元の本に視線を落とした。アリスは飛びつくようにグランの向かいに座り、下町であったことや、今日初めて来たときにも話した城であったことの続きなどを嬉々として話していた。
「なあ、今日は俺が紅茶入れてやるよ」
「グランが……? 出来るの?」
「何回もアリスやこいつが淹れてるの見てきてるんだ、出来るさ。まあ待ってろって」
不思議そうに首を傾けるアリスに対して、グランが意気揚々と立ち上がり、台所へと向かった。こいつと呼ばれたガーネットは特に何か気に障った様子もなく、アリスを観察するように見守っていた。アリスは未だにグランのことを訝しんでいるようで、首を傾げたままグランの方をじっと見つめていたが、案外てきぱきと手を動かすグランを見て、その表情も崩した。
「随分と嬉しそうね、アリス」
「そりゃあ、グランがこんなこと言い出すなんて今までなかったんだもん。グランってば、前も窯の火で火事を起こしそうになったほど不器用だったし、急に言い出すからびっくりしたけど、でも見た感じ大丈夫そうだから嬉しくなったの」
アリスはガーネットに視線を向け、朗らかに微笑みながら嬉しそうにグランのことを話した。ガーネットが相槌を打つと、それから調子を取り戻してきたアリスはさらにグランの過去話を楽しそうに掘り下げていった。淹れ終えたグランが顰め面を浮かべながらお盆に二つのカップを乗せて運んできた。
「お前、言わせておけば」
何度も見慣れたように、グランがアリスの頭をくしゃくしゃにし、アリスが悲鳴をあげながらも、運ばれてきたカップを見て「わあ、すごい!」と称賛していた。ロッティも思いの外良い香りを漂わせるカップに驚いていた。
グランが差し出したカップにアリスは嬉々として口をつけた。少しおっかなびっくりだった表情も和らぎ、混じりけのない純粋な笑顔をグランに向けた。
「ねえグラン。美味しいよこれ」
「そいつは良かったよ。いやあ、上手くいって良かった」
グランはなおもアリスの頭を乱暴に撫で回しながら、ゆっくりとアリスの向かいに座った。椅子の上で踏ん反り返るように天井を仰ぎ、煙草でも吹かすように大きく息を吐いた。
直後、静かな沈黙が訪れた。
「……何かあった? グラン」
「何がだよ……」
アリスの、棘もなく、責めるでも咎めるでもないが、それなのに確かに厳しさの感じられる低い声にロッティは驚いていたが、グランは怯むことなく飄々と受け流していた。しかし、その答え方は曖昧で、アリスも当然のようにさらに言葉を重ねてきた。
「とぼけないでよ。私相手にごまかせると思ったら大間違いだよ」
「……別に、何も隠してないけどな」
「良いから話して。私が何年間グランのことを見てきてると思ってるの」
アリスの詰問には気位が感じられる、気高い雰囲気を纏っていた。グランは依然として天井を見上げていたが、やがて降参したように肩を竦めながらテーブルに倒れこむように前を向いた。ロッティとバニラ、そしてガーネットも、二人の行く末を気の毒そうに見守っていた。