第4話
文字数 3,311文字
ノアは心から感心したようにアリスを称賛した。しかし、その瞳はアリスを憂うように暗かった。
「でも、あの子も死ぬ運命にある」
ロッティが静かに、口に出すまいと思っていた言葉をとうとう吐いた。言ったと同時に後悔にも似た罪悪感が襲ってきたが、それでもどうにもならないという無気力感が勝り、自身の発言を正当化しようとする自分の心の動きがくっきりと分かった。
「それをどうにかするために、お前とガーネットはあの子の傍にいるんじゃないのか?」
そう尋ねてくるノアの表情には驚きの色が滲み出ていた。ロッティはそのことにも気づかずに、アリスの姿を目で追い続けた。少年を失った痛みはアリスにもあるはずであったのにいつもと変わらないように振る舞っている姿に、自分とは違う人間なのだということをひしひしと感じていた。しかし、そんなアリスも運命に抗えないという絶望感に、ロッティは今更ながらに打ちひしがれていた。
「あの子がどんなに強くても、どんなに良い子でも、あの子は死んでしまう。そう、ミスティカ族の予知夢で決まっている」
「……お前はこれまで、運命を変えて来たんじゃないのか?」
リベルハイトであるはずのノアは、まるでロッティのこれまでのリベルハイトの妨害を褒め称えるかのように優しく問いかける。しかし、ロッティはそれらの功績も自分自身の物ではないのだというのを苦しくも認めなければならなかった。
「リュウセイ鳥のときも、シャルルという男を何十年間も封印するように頼んだミスティカ族が偶然いたからだ。賢者の石の多くをノアたちに渡さないようにできたのも、ブルーメルが命を張ってまで、俺を巻き添えにしてまで海に葬り去ったからだ。俺自身に運命を変える力なんてない。その証拠に、俺は救いたいと思った少年を死なせてしまった」
この三年以上にも上る旅の中で、変わりたいと願いながら行動してきたのにもかかわらず自分は何も変われていなかったのだと、ロッティは自分のことが忌々しくなった。過去の思い出も自惚れも泡沫のように消えていき、虚しい自分の姿が丸裸にされていた。
アリスが羨ましく思えた。その背後にあるアリス自身の苦しみを想像できなかったが、今はそれらを経て強いアリスがいるという目の前の事実にロッティは意識が向いていた。そのことには何の意味もないと頭では分かっていながらも、ロッティはアリスの強さが羨ましくて仕方なかった。
ふと、隣で深いため息が聞こえてきた。ノアは帝都を超えた向こう側をぼんやりと眺めていた。
「俺はこの世界が憎い。俺たちを勝手に呼んでおいて勝手に憎んで敵視し、差別してくるこの世界に、俺や、俺の仲間たちはずっと苦しめられてきた。俺は世界を壊すつもりでいる。が……同時に、俺はお前の味方でもあると思っている。だから、これだけは言っておく」
ノアはそこで深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐いた。
「もうすぐそこまで迫っている運命の日。その結末は、お前自身の選択にすべてがかかっている」
その話を今までに何回か言われてきたことを、ロッティは朧気ながらに憶えていた。シリウスでのブルーメルの最期のときや、孤島でのエフ、そして、ガーネットが、似たようなことを言っていた。しかし、ノアの話には続きがあった。
「俺も詳しくは知らない。しかし、お前がその選択のときに、躊躇えば躊躇うほど世界はより長い地獄を味わうことになるとされているらしい。何に迷うのかも、どういう選択なのかも俺には分からないし、エルマたちですら詳しくは見えなかったようだが……一つ、俺と約束してくれ」
ノアはそっと、ロッティに向けて手を差し出した。その手の平には裏表のない、混じりけ一つない純粋なノアの気持ちが込められているように感じられた。
「もしお前がどんな選択をすることになろうとも、俺はお前を尊重する。そして、お前の選んだ結果がたとえ何でなろうと……たとえ俺が死ぬことになろうとも、俺はお前の選んだ未来を尊重しよう。もちろん、俺たちの味方になってくれれば嬉しいことに変わりはないがな。だから、そのときが来たら、お前は迷わずに選べ。俺は自分が大切だと思うもののために戦う。だからお前も、自分の大切だと思ったものに従って迷わずに選べ」
そう宣言するノアの瞳は、どこまでも澄んでいて、アリスと同じような力強さを宿していた。同時に、その瞳の揺るがなさに、差し出されたノアの手が恐ろしくも感じられた。それでもロッティは、ゆっくりとだが、その手をしっかりと取った。力強く握るノアの手は、少しばかりごつごつしているだけで、自身と何ら変わりのない人間の手だった。
ノアも同じなのだと、ロッティは唐突に悟った。決意を固め約束を交わそうとする行為や、ロッティに向けられた想い、そして何よりもこの先を生きたいという願いに、ノアも他の人と何ら変わらない同じ人間であるのだと感じずにはいられなかった。言葉でその気づきを表現することはできなかったが、それでも理屈を超えてそれを心で理解した。
「ありがとう、ノア」
ロッティはその手を力強く握り返した。そして、運命を変えられないと嘆き打ちひしがれていた敵対するロッティを励まそうとし、ロッティのために見せつけるように目の前で世界を揺るがすことを決意したノアの覚悟と、その手を、ロッティは決して忘れまいと誓った。
それから、帝都でノアに出会うことはなかった。
ロッティはすっかり小屋に引き篭もるようになった。何かに集中しようと思っても頭が靄がかかったようになってしまい、買い出しも買うものを間違えてくることが増えた。それを見かねたグランが「そんな体たらくでアリスを任せられねえよ、大人しくしてろ」とカード遊びしていた手札をテーブルに叩きつけつまらなそうに吐き捨てると、ロッティの代わりにアリスの下町訪問について行った。口は悪いもののグランなりの優しさであると分かっていたロッティだったが、同時にアリスを見なくてはいけない焦燥感とそれが出来ないでいる自分を責める気持ちがせめぎ合い、余計に自分自身を苦しめそうになっていた。そんなロッティをガーネットが横で見ていてくれ、ときに紅茶を差し出してくれたり、ときにアリスに手伝わされてきた影響で作れるようになった焼き菓子を振る舞ってくれたり、面白いという本を紹介してくれたりした。黙々と静かに甲斐甲斐しく世話するガーネットに、ロッティは気恥ずかしさを覚えながらも、そんな仕草が一々愛しく感じられ、感謝してもしきれなかった。しかし、どんなに目の前の出来事に意識を向けようとも、頭の片隅で少年の自殺したという事実が亡霊のようにロッティのことを見つめ佇んでいた。
まるで自分のせいで関わる人が不幸な目に遭う、それが何よりも辛い、そう思ってしまい自分を責めてしまう少年の気持ちは、よく分かっているつもりであった。しかし結果としてその分かっているつもりの少年にすら寄り添えず、少年は自分に課した重責に耐えきれなくなってしまった。その事実に、三年前にあの孤島で決意した日からこれまでの日々が無意味だったような気がして、ロッティは心はすっかり沈み切っていた。
引き篭もったロッティの部屋にアリスとグランも訪れては、居間にいたときと変わらず二人でいつの間にか痴話喧嘩のようなことを始めたり下町訪問にてあったことを話したりと、いつも通りの日常を演じてくれていた。アリスはついぞ少年の死について触れてくることはなかったが、その瞳は確かにロッティのことを真っ直ぐ見抜いて、何かを待っているように力強かった。
「私、明日から少し忙しくなるから、ここにしばらく来られなくなるね」
ある日、アリスがそんなことを何でもないように話したが、過保護なグランは慌てふためいていた。アリス曰く、近いうちに皇女争いの一環として大きな課題を控えているようで、そのために城から出られないほど忙しく、集中して取り組む必要があるそうだ。その説明を受けてグランはバニラをちらりと見るが、バニラがそれを受けて頷くとグランも納得したようにほっと一息をついた。