第8話
文字数 3,294文字
「休みなのに俺の分まで用意してもらって悪いな」
「別に。一人分作るのも二人分用意するのも変わらないから」
ガーネットはやはり素っ気ないが、口にした料理は店で買ってくるパンよりも美味しく、おまけに紅茶の匂いもふんわりと香って食卓の雰囲気を穏やかなものにしており、ロッティは複雑な気持ちになった。
しかし、そんなことは些細なことで、ロッティはこれを機に、気になっていたことを訊くことにした。
「なあ、俺たちはわざわざこのシリウスって街が栄えるのを手伝いに来たわけじゃないんだろ? 今度は俺たちは何をすればいいんだ」
ロッティの言葉に真剣さを感じ取ったのか、ガーネットは赤い瞳をロッティに向けたまま、ゆっくりと紅茶のカップを下ろした。
「そうね……貴方もこの生活に気が緩んでいるみたいだし、少しだけその気を引き締めてもらいましょうか」
ガーネットは最後の一口を口にして朝食を完食すると、再び紅茶を口に含んだ。丁寧な所作で手を合わせ「ご馳走様」と小さく呟いてから、気を落ち着けるためか深く息を吸って吐いた。
「貴方の言う通り、私もただこの街の委員会に従事するためだけに来たわけではないし、貴方にもただ街の手伝いをしてもらうために連れてきたわけではない。この街では、私にも、貴方にも、それぞれ別々にやるべきことがあるの」
出会った当初と比べると、ガーネットは随分と、丁寧に、そしてすらすらと話し始めるようになったとロッティは思った。ガーネットの声は、淡々と抑揚がなく、無感情に響いているが、どこか柔らかくなったような気がした。
「……ごめんなさい、今の段階では詳しい話は出来ないのだけれど……とりあえず今言える範囲だと、今回もリュウセイ鳥の伝説のときに出会った輩に注意して欲しいの」
「奴らか……この街にも、奴らは来るんだな」
「ええ」
煮え切らない説明ではあったが、少なくともすべてを隠し事されることはないようであった。ガーネットの顔も決して嘘を言っているようには見えない。しかし、それでも説明不足に感じたロッティは、ガーネットからもう少しだけ話を引き出そうとした。
「奴らは今度は何しにここに来るんだ。ここにも何かすると願いが叶うような言い伝えでもあるのか?」
「それは……ええと、どこから話せば良いのかしら……うん、そうね……」
そんな風に言い淀む様子から、ロッティは自分には想像もつかないような事態まで考慮に入れているのだと何となく直感した。ガーネットは紅茶の液面を見つめながら難しい顔をして、自分を納得させるように何度か頷いていた。
「言い伝えのようなものは、ない……で良いと思う。判断に迷うけれど。とにかく今は、貴方にはフルールを見守っていてもらいたいの」
「フルールを? まあ……それぐらいなら、多分大丈夫だけど……」
意外な名前が出てきたことに驚き、同時にやはりあいまいな説明と指示にいまいち腑に落ちなかったロッティだったが、ガーネットは歯痒そうに顔を顰めているので、ロッティもそれ以上追及しないことにした。
「ごめんなさい、詳しいことは言えない……まだ言っちゃいけないときなの。本当にごめんなさい、でも、私の言葉を信じて欲しい」
ガーネットが申し訳なさそうな顔で頭を下げようとするものだからロッティは慌ててそれを制止する。その後、ガーネットからはもう話せることはないようで、食卓は静寂に包まれた。気まずそうに紅茶の残り香が漂う。
確かに、具体的に何が起ころうとしているのかや、ガーネットの目的が何であるのかなど、真相に触れるようなことは何も聞かされていない。不満や問い詰めたい気持ちがないと言えば嘘であり、謎だらけの話で不安に駆られそうにもなるが、しかし、そんな胡散臭さもひっくるめてロッティはガーネットについていくと出会った日に決めていたのだ。むしろ、今回もやることがはっきりしている分まだマシであった。
「ガーネット、話してくれてありがとう」
自分でもどういう感情からそう言ったのかは、よく分からなかった。それでも、難しい表情のまま気まずそうにするガーネットを、そのままにしておくことは出来ないと感じたのは確かだった。しかし、ガーネットは一向に複雑そうに顔を歪めて申し訳なさそうにするままであった。互いの間を流れる微妙な空気を打ち破るように、フルールが扉をノックする音が聞こえてきた。
今日もいつもと同じようにフルールの後をついていきながらフルールの手伝いに協力する。老人とたわいもない話をして、老人が満面の笑みを浮かべてフルールも慎ましく微笑む。しかし、ガーネットの口振りからして、おそらくフルールの身に何か危険が迫っているはずである。分け隔てなく人と接し、どの人に対しても穏やかな顔を向けるフルールの表情が、何者かの手によって苦痛に歪んでしまう光景を想像すると、ますますリュウセイ鳥の街で襲ってきたヨハンたちのことを許せなく思った。
「……? じっと私の顔を見て、どうかなさいましたか? 何か変なものでも付いていますでしょうか?」
「いや、何でもない。ささっ、さっさと次のところへ向かおう」
それでもきょとんと首を傾げ続けるフルールに、「大丈夫だから、ほら次行こうぜ」とロッティは先を促そうとする。フルールは納得していないように首を傾げたままであったが、ひとまず足を進めてくれた。
その後も、多くの人の手伝いをして日も暮れかける頃となった。夕陽が街を赤く染め上げ、疲れを顔に滲ませた人たちがまばらに帰路に着いている。そんな顔ぶれが、何となく、今朝のガーネットの申し訳なさそうにする姿と重なった。
「あいつに……何か買ってみようかな」
小さく漏れ出た呟きであったが、耳聡くフルールがその声を拾い上げていたようで、ゆっくりとロッティの方を振り向いた。
「それは、ガーネット様に、ですか?」
「……聞こえてたのか」
「はい、それはもうばっちりと」
意気揚々と返事されるものだからロッティは少し恥ずかしくなったのだが、フルールはわずかに期待に目を光らせてこちらをじっと見つめてくる。その圧に負けてロッティは観念した。
「ガーネット、頑張ってるみたいで、今日久し振りに顔色とか見てたらちょっと疲れてたみたいだからさ。労おうと何か買ってやろうかと考えてたんだ」
「まあ」
フルールは上品に手を合わせて嬉しそうに声を弾ませた。小さい声で控えめに盛り上がる姿は可愛らしいが、フルールのテンションについていけそうにないとロッティは感じた。しかし、フルールはあくまでも冷静で、頭をゆっくりゆらゆら揺らしながら明後日の方向を見上げ考えるような素振りを見せた。
「それでしたら……早速店を巡っていきましょうか。ちょうど私たちの今日のお勤めも終わったことですし、こちらに着いて来てください」
フルールにしては珍しく、少々強引にロッティの手を引いて行こうとする。
「ちょ、ちょっと急すぎないか。落ち着けって」
「善は急げです。ロッティ様の想いを込めた品を是非送って差し上げてください」
ロッティの抗議も聞かずフルールは声と同じように足も弾ませる勢いでロッティを引っ張っていく。ロッティには、何故フルールがこんなに嬉しそうにしているのかが分からなかったが、フルールに見繕ってもらえるのは何だかんだ助かるような気がするので、おとなしくフルールに従うことにした。跳ねるようにステップしていくフルールの背中を見つめていると、とても危険が迫っているようには思えないほど、長閑な平和を感じさせた。