第8話
文字数 3,501文字
やがてその人物は現れた。ロッティは皆の前に立ち、その人物と対峙した。
「レオン、こんなところでどうしたんだ」
「どうしたもこうしたも……ここは俺たちリベルハイトの拠点だぜ? まあ、一年ぐらい前にきたばっかりだけどな」
レオンはロッティたちの訪問に驚いているのかどうか、いまいち感情の掴めない表情で両手を広げてみせた。リベルハイトという単語にバニラが警戒を示すが、レオンは気にする素振りを見せずロッティに近づいてくる。
「一応言っておくが、俺たちは戦いに来たわけじゃないからな」
「分かってるさそんなことぐらい。安心しろ」
レオンは舐めまわすようにロッティたちをじろりと見てきたが、やがて満足したのか、「ふうん」と深く息を漏らした。
「ステファンの言ってた通りだな。来いよ、そこのお嬢様に良い景色見せたくて来たんだろ? 案内するぜ」
レオンはそっと背を向け、自分が来た道を戻っていった。ロッティは何の躊躇いもなくその後をついて行った。ロッティの背後でもしばし間が空いた後に着いてくる気配があるのをしっかりと確認した。歩けど歩けど樹々が多く立ち並び、光が差し込みにくくなっているからかどことなく鬱蒼とした雰囲気が立ち込めていた。レオンの背中について行くと、先方で一人の女の子が樹の後ろからそっとこちらを覗き見るように顔を出しているのが見えた。
「ステファン、もう身体は大丈夫なのか」
「ええ大丈夫よ……っと、うわ!」
レオンの声にステファンと呼ばれた女の子がおずおずと樹の後ろから出て来たかと思うと、何に躓いたのか早々に転びそうになっており、レオンは颯爽とステファンに駆け付けその身体を支えた。先ほどまでレオンがいたところの地面が大きく抉れていた。
レオンに身体を支えられたステファンが顔を上げ、レオンと目が合うと、照れたように笑った。それからステファンは、ゆっくりと足元を確認しながら慎重にロッティたちの方に歩いてきて、やがてアリスに近づいた。ステファンはウェーブのかかったブロンズ色の髪を腰のあたりまで伸ばしており、垂れた瞳と優しそうな顔つきがアリスにも負けないお嬢様を彷彿とさせるが、足首にまで届きそうなデニムのワンピースと肩から覗かせるシンプルな白い服が、農地にいるような野暮ったい女の子を醸し出していた。
ステファンの接近にバニラが警戒するようにアリスの前に出ようとするが、アリスがそれを制止し、アリスの方からもステファンの方へ近寄った。互いにすぐ手を伸ばせば相手に触れられる距離になり、二人は互いにどういう人物かを確かめ合うように見つめ返していた。
「貴方が、ステファニーさん?」
アリスがそう尋ねると、ステファニーと呼ばれたステファンは、はっと口元を押さえ、瞳を潤ませて微笑んだ。その動作が一々丁寧で、本当のお嬢様のようだった。
「私、貴方と色々お話がしてみたかったの。グランとの生活とか、お城でどういうことを学んでいるのとか聞かせてくれるかしら? アリスさん」
ステファニーの言葉に、今度はアリスが嬉しそうな表情でステファニーの手を取った。
それからアリスは驚くほど速くステファニーと打ち解け、並んで歩きながら会話を楽しんでいた。アリスはガーネットの手を引っ張って歩いており、バニラはまだ警戒しているのか三人の後ろを歩いていた。ステファニーもその微笑みを絶やすことはなかった。ときおりガーネットにも話しかけているみたいだったが、ガーネットは困惑したように口籠っていた。
ロッティはレオンと並んで、その光景を眩しそうに眺めながら一番後ろを歩いていた。
「ステファンは、めちゃくちゃ身体が弱いんだ」
レオンが独り言のように話し始めた。ステファニーはアリスと仲睦まじげに話している横顔を見せている。
「それこそ、本来身体の丈夫さで劣ることのないここの人間たちと比べてもなお、アイツの身体は弱い。でも、元々はそうじゃなかった」
レオンが一瞬だけ、悔しそうに歯を食いしばった。そこから漏れ出ている息が、レオンの根底に横たわる憎しみを物語っていた。
「ステファンの親父がある日、いち早く未曽有の大災害を予知したらしくてな。そいつは赤子のステファンと一緒にこの大陸に越してきて、転生する前の俺と出会った。俺はその頃、もう自棄になっててな。何もかもどうでも良くて、来るもの皆殺してやるつもりでいたんだが、何故かそいつのことは殺せなかった」
レオンは愛しそうにステファニーを見つめた。遠くを懐かしむようで、それでいて、もう戻らない何かを求めるようなその瞳に、ロッティは静かに話の続きを待った。
「赤子がいたからなのかもしれねえ。でも俺はとにかく、その親父を殺せなかった。気がつけば、そいつと一緒に三人で暮らしていた。そいつとは口を開けば喧嘩してたし、どうして一緒に暮らせてたか謎なほど互いを罵り合った。でも……不思議と、悪い気はしてなかった」
やがてレオンは、その瞳を悲しそうに伏せた。
「そうして三人で暮らしていくうちに、俺も警戒心が薄れていたんだろうな。俺を標的とした幻獣族掃討戦争がいきなり始まった。アイツも色々工夫してくれてたみたいだが……それでもバレる運命にあったらしい。俺はな、初めは一人でそのまま死のうかと思っていたんだ。でも……アイツと、その頃にはもう三十歳ぐらいにはなってたステファンが、一緒に生き延びようって言ってくれた。俺はその言葉で揺らいじまった……生きたくなっちまった。それに甘えちまった。その結果、俺はアイツを失い、ステファンもその影響で身体が弱くなった。そしてアイツの仇を討とうとした俺は、死にそうになりながら、みじめにも転生した」
レオンは苦しそうに息を吐き出しながら、じろっとステファニーのことを見上げた。その瞳には、憎悪と覚悟と愛情が固く宿っていた。
「守ろうとしたものも守れず、ステファンのことも守り切れないまま転生しちまって……だが、目覚めたときに出迎えてくれたのは、大きくなったけど、ぼろぼろな姿のステファンだった。泣き出しそうなステファンを見て、すぐに思い出して抱きしめたさ。そして誓った。俺はもう失いたくないと」
「レオン……」
「俺自身の恨みも、もう捨てる。その代わり、やっと出会えた、長い間孤独だった俺の心を救ってくれたアイツのためにも、同じように俺を孤独の恐怖から救ってくれて、アイツが死んでも守ろうとしたステファンのことだけは絶対に守ってやる。たとえそれを阻むものが世界だろうと、俺は世界を壊してでも守ってやるってな。だからノアの作戦に乗った」
レオンは決意を瞳に宿したまま、ロッティにその瞳を向けた。
「ロッティ。お前はどうしてこっちに来ない。お前にだって、失いたくない存在や……お前を失いたくないと思っている存在だっているんだぞ。なのにどうして俺たちの邪魔をしようとする」
レオンの切実な声に、ロッティは心を動かされそうになった。頭の中では知っていたつもりだったが、こうして話を聞くと自分の理解がまだまだ追いついていないということを痛感させられた。ロッティはガーネットたちを見やる。ガーネットも戸惑いながら、それでもこの大陸の人間たちと比べるとはるかに話しやすそうにしていた。その間に挟まれたアリスが、まるで二人の仲を取り持っているようだった。
帝都の街並みが一望できる開けた場所に辿り着いた。帝都は赤い夕陽に真っ赤に染まっており、帝都の城の背後で浮かぶ赤い光がとても幻想的だった。ステファニーに連れられ見せてくれた景色に、アリスはキラキラと子供のように瞳を輝かせながら言葉を失っていた。ガーネットも珍しく言葉を失ったまま、その景色に目を奪われているようであった。
「……俺は、相手を受け入れるところから始められる人間だから」
ロッティが話し始めると、レオンは目の前の景色に目もくれずに横目でじっとロッティのことを見てきた。
「自分を認めてもらう前に、まず自分が相手を受け入れるところから始められる人間……そんな人間こそが、レオンたちとここの人たちみたいに、皆がばらばらになった世界には必要だって言ってくれた人がいる。だから俺は、俺を信じてくれたその人のためにも、俺自身のためにも、俺はそれを実現させたい。俺も、皆も、互いの違いなんて関係なく普通に生きられる世界が、まだこの世界のどこかにあるかもしれない」