第1話
文字数 3,084文字
「ロッティ。急いで皆を地下へ誘導してあげて」
この状況に不釣り合いなほどに冷静に話すガーネットに、ロッティと、事前に事情を説明していたハルトはその言葉の意味をすぐに理解し、さっと態勢を整えた。しかし、かつてないほどの帝都中での混乱した気配に加え、頭上を覆いつくす圧倒的な存在感を放つグランに、ハルトは気が散ったように動作が覚束なく、セリアに至っては呆然と口を開けたまま目を見開いてそのグランの姿を凝視していた。ロッティは多少強い力でセリアの肩を掴んで揺らした。
「セリア、聞いてくれ。今から帝都は火の海になる。『ルミエール』か『シャイン』の建物、そしてこの小屋にある地下への入り口に街の人を誘導するのを手伝ってほしい」
心臓の焦って早くなる鼓動につられないように、ロッティはゆっくりと一音一音はっきりさせながら説明するも、セリアは依然としてグランを見上げたまま固まっていた。ロッティが声を張り上げてセリアの名をもう一度叫ぶと、セリアもようやくはっと息を呑んだ。しかし、予想に反して、案外セリアは落ち着いた様子でロッティのことをじっと見てきた。セリアの瞳は、塗りつぶされたように不気味に黒々と照っていた。
「セリア、騎士団の人に頼んで、皆を地下に集めるように言って欲しい。地下への入り口は、『ルミエール』と『シャイン』の建物、そしてこの小屋にあるから」
「ロッティ……何、あれは……あれ、ロッティの知り合いなの?」
「ああ知り合いだ。だから早く、セリアも協力してくれ」
セリアの反応一つ一つがじれったく、ロッティは声を荒げそうになるのを必死に堪えた。セリアは何かを考えこんでいるのか、じっとロッティのことを見つめたまま何も言わなかったが、やがて何かを悟ったように、ゆっくりと頷き、確かな足取りで貴族街の方へと向かって行った。それを確認してひとまず安心したロッティは、ハルトをもう一度見やる。ハルトはとっくに正気に戻った様子で、今にも駆けだしたそうにしていた。
「俺は『ルミエール』の皆と『シャイン』の皆を探してくるぜ。皆にも協力してもらう」
「ああ……ハルトたちも、無事に地下に行くんだぞ」
「任せろって」
ハルトは力強く返して、拳を突き出す。ロッティもその拳にこつんと合わせる。ハルトが絶えず鳴り響く悲鳴の方へと駆け足で向かって行った。その背中を、ロッティは頼もしく感じた。
「ロッティ、分かってるよね」
ガーネットの、柔らかくも冷えた声に、ロッティは胸をざわつかせながらも振り向く。
ガーネットは、もう覚悟が決まっていた。混乱する世界から独立したようにガーネットを取り巻く空気には緊張が張り巡らされていた。ロッティは、ガーネットの姿を目に焼き付けようとした。
「ああ。俺は全力でアイツらを止めてくる」
ガーネットは、ほんの少しだけその赤い瞳を潤ませながらも、無理やり笑顔を作って頷いた。そのまま、ロッティを振り切るようにさっさと顔を背け、背に抱える弓と弓矢をしっかり手に持って、セリアやハルトと同じように街の中へと消えていった。ロッティは後ろ髪を引かれながらも、足に力を込め、何とか下町の方へと向かって行った。
向かっている最中に、横目でグランの姿を確認すると、城の間近まで迫っていた。それを見てロッティは足を速めるも、その直後、突然ガラガラと金属音や樹の音やらが混ざった今までに聞いたことのない崩壊音がきんと響いて、思わず耳を押さえた。その音の方を無意識に振り向くと、グランがただ空を泳いでいた光景は、息も詰まるようなショッキングな光景に変貌していた。
巨大な鯱となったグランは、その大きな体で城へと体当たりして城を問答無用で崩壊させていた。城の破片のような物が、グランの身体に恨みがましく纏わりつくもするすると滑っていき、地上へと降り注いでいく。帝都という都市の力強さや揺るがなさ、そして絶対さを象徴する城がおもちゃのように儚くも呆気なく崩れていく様は、現実味の無い光景だった。その後、グランは徐々にその身体を小さくしていき、城へと舞い降りていった。
「な、なんなんだありゃ……」
グランの咆哮は下町の人たちにも例外なく届いていたようで、アリスがやって来る時間帯以外では外に出ることのない人たちがぞろぞろと出てきて、呆然とグランと城の様子を眺めていた。我に返って、ロッティはすぐさま下町の人たちに呼びかけた。
「皆さん、よく聞いてください」
ロッティの張り上げる声に、何人かが反応し「おお、あんたか」と言った様子でどこか安心したように肩の力を抜いていた。しかしグランがもう城を壊していたことで、ロッティの心は焦燥感に駆られていた。
「皆さんにはこれから、地下通路へと向かってもらいます。ついて来てください」
ロッティの大雑把な説明は反応が悪く、何人かが難しい顔を示し、その場から動こうとしなかった。気が急いて、ロッティも丁寧に説明するのも焦った頭で言葉をまとめるのも時間がかかりそうで、その手間が惜しく感じられ、どう訴えかければ良いかと悩んだ。険しい顔つきで、不安そうに見つめてくる視線に囲まれたロッティだったが、その下町の人たちの顔を見渡しているうちに、ふとアリスの言葉が頭に舞い降りた。
「……アリスが、先日亡くなりました」
ロッティのその発言に、下町の人たちが一気にどよめいた。ぼそぼそと近くの人と話し合いながらロッティの様子を窺う、暗く重たい雰囲気を感じ取って、ロッティは何とか姿勢を正して堂々としてみせた。
「あの鯱のような生き物は、アリスの一番の親友です。彼は、アリスが亡くなったことに怒り、あのようなことをしています。その余波が、もうすぐ街全体に広がります」
ロッティの説明に下町の人たちはますます不安の色を濃くさせ、中にはロッティの話を疑うような視線を向ける者もいたが、アリスの言葉を思い出しながらロッティは説明を続けた。
「アリスは言っていました。下町で生きている人たちにも、アリスのことを苦手としている人たちにも、そして、あの鯱のような生き物にも生きていて欲しいと……自分たちはどこも変わらない、同じように生きている人間であることに変わりはないと……最後までそう信じて、願って、生きていました」
ロッティが説明を続けていくうちに、下町の人たちも顔色を変えていった。心当たりがもちろんあるようで、はっとしながらも切なそうに顔を歪めていた。ロッティも説明をしているうちに、アリスが死んだのだという実感がようやく湧いてきて、胸が苦しくなった。それでも、アリスの想いを受け継ぐためにも自身が崩れるわけにはいかないと、ロッティはアリスと交わした約束を思い出すことで萎えそうになる自分を奮い立たせた。
「だから、お願いです。ここはもうすぐ火の海になります。ですので、アリスが願ったように、皆に生きてもらうために、俺について来てください。アリスの最期の願いをどうか聞いてあげてください」