第1話
文字数 3,144文字
残酷にも燃え盛って辺りを燃やし尽くす炎の気配も、その炎に囲まれ崩れかけている建物の悲鳴のような軋む音もすっかりなくなり、その違和感にハルトは目を覚ました。辺りは不気味なほど暗く、壁に簡易な明かりが頼りなく灯っているのを認識して、ハルトはようやく自身が地下通路にいることを把握した。しかし、それ以前までの出来事が思い出せなかった。起き上がろうとして、じんと背中に打ち付けられたような痛みが走った。
「だ、誰かいないのか!」
ハルトの声が気持ち悪いほど反響し、ハルトは耳を抑えながら大声を出したことを後悔した。そのハルトの呼びかけに、すぐそばで呻き声が聞こえてハルトはすぐさまその方に駆け寄った。そこには、ブラウが悪夢にうなされるように表情を苦痛に歪めていた。
「だ、団長、起きてくれって」
ハルトがゆっくり身体を揺すりながら呼びかけると、ブラウは辛そうにしながらもゆっくりと目を開けた。ブラウも不思議そうに土色した暗い天井や壁にかかっている明かりを眺めたかと思うと、その表情を再び大きく歪ませ舌打ちした。
「そうか、アベルが……命を張って俺たちをこの地下に……」
ブラウがそう呟いたきり押し黙り、眉根が歪んだ目元をさっと手で覆った。そのブラウのリアクションにハルトは息をするのも忘れかけたが、その直後に上の方で「勝手に殺すなあ」と頼りない声が降ってきた。
「俺はまだ生きてるっての。まあ、死んだかと思ったけどよ、団長たちも気がついたならちょっと来てくれねえか」
その声は確かにアベルの声で、ハルトは思わずブラウを見るが、ブラウはハルトを気にする余裕もなさそうに、アベルの声に弾けるように身体を起こし、梯子を駆け上がっていった。ハルトもブラウの後を追いかけて梯子に手を掛けた。背中の痛みが思いの外強く、油断すると梯子から滑り落ちそうになった。
何とか力を振り絞ってやっとのことで梯子を上り終えると、地上はハルトの思っていた以上に虚しく物寂しい光景に変わり果てていた。世界で一番栄えている都市の面影はどこにもなく、多くの建物がすっかり崩壊し、廃墟のように荒廃していた。あれだけ燃え盛っていた炎もすっかり鳴りを潜め、虚しさだけを残して街をめちゃくちゃにしていた。瓦礫がおもちゃのように現実味なく、でたらめに散らばっていた。その瓦礫の合間に埋もれるようなアベルの姿があった。ブラウは背中の痛みがないかのように颯爽と駆けつけ瓦礫を一つずつ丁寧にどかし始めた。ハルトもそれに協力しようと駆けつけた。
そのとき、脇から何かが飛び出てきたのを視界の端で捉えて、ハルトは咄嗟に身をかがめて前方に転がる。その際に再び背中に痛みが走った。
「ブラウ、それにお前もまだ生きていたか」
ハルトの頭上でカインの忌々しそうな声が聞こえてきた。その声に、ハルトはふつふつと怒りが煮え立つのを感じていた。しかし、その怒りを代弁するかのように、カインが出てきたところとは別の場所で、瓦礫を吹き飛ばしながら飛び出てくる者がいた。
「カインっ!」
シルヴァンの怒声が響き、そのままカインの方へ駆けつける足音が聞こえたかと思うと、激しい金属と金属のぶつかり合う音が空気を震わせた。シルヴァンの怒りにも似た感情の籠った気迫に、ハルトの身体もびりびりと震えた。それでもブラウが険しい顔をしながらもアベルの瓦礫をどかし続けているのを見て、ハルトもその瓦礫に手を掛けた。
剣と剣のぶつかり合う音を背後で聞きながら二人で協力して瓦礫をどかし終えると、アベルの右腕が潰され血で真っ黒に染められていた。それでもアベルは何でもないように「へへ」と笑って見せた。
「このくらい、大したことねえよ。それより、奴をどうにかする方が先決、だろ?」
アベルが残った左腕と口を使って器用に右肩の部分を縛りながらそう言って、ブラウも逡巡しながらも頷いたが、ハルトは強い違和感を覚えそれによって頷けないでいた。そのハルトの迷いが表情に現れていたのか、アベルはカインの方へ向かおうとしていた足を止めた。
「どうしたんだ、ハルト」
アベルが息を切らしながらそう尋ねてくるが、ハルトはそれには返事をせず、息を深く吸い込み、全身に力を込めて、静かにカインたちの方へと近づいた。カインの攻撃に、シルヴァンが大きく後退させられ体勢を崩しかけていたが、続くカインの攻撃をシルヴァンは身を翻しながら何とか捌いていった。
「少し、待ってくれよ」
ハルトはカインとシルヴァンに向けて話しかけるが、二人はそれを無視して交戦を続ける。ハルトは、携帯していた剣を捨て、羽織っていた防具も脱ぎ捨てて、二、三回深呼吸を繰り返した。
「こんな状況になっても、あんたたちはまだ戦うのかよ!」
深く息を吸いこんでハルトが叫ぶと、二人はようやく剣を持つ手を止め、ハルトの方を振り返った。戦いに必死だった二人は、心ここにあらずのような表情でハルトを見つめていた。ハルトは、自身の姿を見せつけるように大きく手を広げてみせた。
「街がこんなんになって、多くの人が瓦礫の下に埋もれてるかもしれない。そんな状況で、あんたたちはそれを無視してまだ戦い続けるのかよ! どっちも、人を助けるためにこれまで生きてきたんじゃなかったのかよ!」
「そうですよ、団長」
ハルトの叫びに呼応するように、地下へ通じる穴から『シュヴァルツ』のメンバーや『シャイン』のメンバーが出てきた。次々と地上へ出てくると、カミーユとルミアが並んでシルヴァンを労わるように見つめた。
「僕、ついこの間シャルロッテ様……に教えてもらいました。自分は本当はここにいてはいけない存在なのだと。それでも、ニコラスさんからそれを教わってもなお、束の間の幸せを与えようとしてくれる団長には感謝してもしきれないって。ニコラスさんも、そんな団長の気概に未来を託したって。シャルロッテ様だって……団長に感謝していたシャルロッテ様もきっと、団長がいつまでも人を憎く思うことを望んではいないはずです」
「お前、その話……」
ルミアが涙を流しながら話す内容に、シルヴァンは呆気に取られていた。その隙を狙うかのようにカインが詰め寄るが、すんでのところで我に返ったシルヴァンが、剣をカインに押し付けるようにぶつけながらも、しゃがんでカインの足を払おうとしていた。それに反応したカインがその足を躱そうと身を捩るがその際にぶつかり合っていた剣がバランスを崩して交錯し、シルヴァンもカインもその場に転ぶように倒れた。その拍子に二人の剣が瓦礫の海へと放り出された。
そのカインに、『シュヴァルツ』のメンバーの二人が寄り添うように近づいた。互いを握り合う手は何かに怯えるように震えていた。
「カインさん……もう、戦わないでください」
「お前たち……何言ってるんだ」
「カインさんが私たちに優しくしてくれる理由も、そして、私たちじゃ代わりになれないことも分かっています……そう分かってはいるんですけれども、お願いします。かつての大切な友人を傷つけたり、自分の命を危険に晒したりしないでください」
「僕たちは、貴方に傷ついて欲しくないんです。僕たちには、貴方が必要なんです」
カインはしばらく黙り込んだまま、険しい顔つきで二人を見上げていたが、やがてその視線を空へと移した。シルヴァンもカインも黙ると、虚しい静寂が訪れたが、耳を澄ませば誰かの呻き声があちこちから聞こえてきた。ハルトはその声の主を探すように辺りを見渡す。しかし、どこを見渡しても瓦礫が並ぶばかりで、人の影が見えなかった。ハルトは思わずブラウを振り返る。ブラウは頷くと、アベルをそっと地下への入り口に腰かけさせてから、カインとシルヴァンの傍らに寄り添った。