第6話
文字数 3,349文字
ロッティは翌日もガーネットと一緒に下町に訪れた。グランは連日のロッティの散歩に、つまらなそうにしながらも安心したように微笑もうとして、結果複雑な顔つきになりながらもロッティのことを見送ってくれた。下町へ向かう前に花屋に寄り、そこで買った花を持って、真っ先に少年の元へお供えしに行った。ガーネットもロッティに付き合ってくれ、一緒に花を買って少年のことを偲んでくれた。
その後、ロッティは先日と同じように下町を何となく練り歩いていた。いつもアリスが人を集めていた広いところに出ると、何人かが寂しそうにばらばらになって佇んでいた。
「こんにちは」
ロッティが何となく、ベンチに座りぼーっと空を見上げている中年男性に挨拶すると、その男性はロッティに振り向き、「おっ」と少し驚いた顔になった。
「あんた、憶えてるぜ。ちょっと前までアリスお嬢さんに付き添ってくれてた人だろ」
愉しそうにそのことを話す男性に対して、憶えられていた事実に戸惑ったロッティは何て返せば良いのかと言葉を詰まらせた。そのロッティの様子を愉快そうに笑いながらも「まあまあ落ち着いてくれ」と宥めるように言った。
「あんたがどこまで知ってるかは分からないけど、アリスお嬢さん、今は何か試験?みたいので忙しいんだろう? 今頃そのために一生懸命になっているのかなあって、ぼうっと考えていたところなんだ」
「……アリスは貴方たちにとって、そんなに大きい存在なんですね」
横からガーネットが無機質な声で尋ねた。コンタクトはしてても癖になっているのだろう、ガーネットは瞳を赤くさせないためにわずかに男性から視線を逸らしていた。そんなガーネットを男性は不思議そうに見つめたが、すぐに気を取り直したかのように再び空を見上げた。
「そうさ。アリスお嬢さんは今や下町の人たちにとってなくてはならない存在なんだよ。希望の星みたいなものさ。あの子がいるだけで、俺含めた、ここでふさぎ込んでいる連中の心が温かくなる」
男性がそう話すと、どこからか「俺はふさぎこんでねーよ!」と叫ぶ声が聞こえてきた。男性はその声の方へ振り向き「じゃあ何だって言うんだおめえはよ」と怒鳴り返して、にこやかに微笑みながらロッティたちの方に視線を戻した。
「なあ、あんたら、アリスお嬢さんの知り合いなんだろ? 色々話を聞かせてくれよ」
そう促され、ロッティたちはぽつぽつとアリスのことについて話をした。とても大事にしているグランとの普段のやり取りや、焼き菓子やその他の料理や読み聞かせの本などについてよく相談している話などをした。ロッティがいくらか話すと、男性の方も「アリスお嬢さんも昔はへったくそだったなあ、お菓子」と楽しそうに思い出話に花を咲かせていた。そうして盛り上がってくると、徐々に人が集まってきて、いつの間にか多くの人がアリスという一人の女性で話を弾ませていた。
「でも……俺たちもいつまでも甘えているわけにはいかねえんだよなあ」
「そうだな……」
その発言に、集まってきた人たちのテンションは冷や水を浴びせられたように落ち込んでいった。
「アリスお嬢さんは……こんなゴミだめみたいなところにいる俺たちのために、膝をついて話を聞いてくれるんだ」
「ああ、誰に対しても一緒に笑ったり、泣いたりしてくれる……でも、俺たちも皆分かってるんだ。アリスお嬢さんが俺たちに望んでいるのは……こんなとこにいつまでもいることじゃねんだってことは」
「アリスお嬢さんは、俺たちに生きる希望を与えてくれた。だから、それを受け取った俺たちは応えなきゃならねえ。アリスお嬢さんの願っているように、俺たちもここから出て、きちんと生きていかなきゃならねえ」
多くの人たちが互いに顔を見合わせながら頷き合っていた。それから、それでお開きとでもいうように、集まってきた人たちは徐々に散り散りになっていき、最終的には最初にロッティが話しかけた男性含め数人だけになった。男性は肩を竦めながら澄ました顔で散っていく皆を目で追っていた。
「ここもすっかり変わったな。それもこれも全部アリスお嬢さんのおかげだってことも、皆分かってる。だからこそ、そろそろ俺たちもどうにかしなきゃと思っているのさ」
男性はそのまま空をもう一度見上げた。空の半分は赤く染まっており、夕暮れの気配が近づいていた。
「アリスがいなくて……皆は大丈夫なのか」
ロッティの発言に男性は鼻の下を掻きながら深く息を吐いた。それから短く「さあな」と答えたきり、男性はさっきまでとは打って変わって寂しそうな顔を浮かべながら空を見上げ続けていた。その視線の先ではアリスのいない生活を思い描いているのかもしれない。ロッティはその男性からしばらく目を離せないでいたが、男性がふとロッティの方を見て、気まずそうに笑うと「じゃあ、あんたもまたな」とぎこちなく手を振ってくれた。ロッティもそれに軽く会釈して、小屋に帰ることにした。
帰り道、ロッティは下町の人たちの話を思い返していた。アリスのおかげで変わったという人たち、アリスに勇気をもらったという人たち、そして、だからこそアリスの想いに応えるために自分たちも変わらなければならないと答えた人たち、ロッティはそんな下町の人たちの話を一つずつ、噛みしめるように振り返っていた。
「なあ、ガーネット……アリスは、どうして下町の人たちを救おうと思ったんだろうな」
「……私は、貴方があの子を救おうとしたのと同じ理由だったのだと信じているけど」
「俺と同じ……そうなのかな」
ロッティには正直そうだとは信じられなかった。否定したい気持ちに駆られたが、ガーネットが潤んだ瞳でじっと見つめてくるので、ロッティは曖昧にぼかした。それきり互いに無言のまま小屋まで戻ってきた。小屋に帰ると、グランが退屈そうな顔で机の上にべったり張り付いていた。眠っているのかとも思ったが、そっぽを向いていた顔がぐるりとこちらを向いてロッティたちを睨みつけて来た。無言ではあったが、帰ってくるのが遅いと目が訴えかけており、ロッティはグランを適当に宥めた。
散歩して落ち着かせようとした心はますますくすみ、ぼんやりとした頭でテーブルに着き、何となく居間を見渡していると、ふと台所の上に置かれた冊子が気になった。再び立ち上がるのも面倒くさがったロッティは、能力を用いてその冊子をふわふわと浮かせた後、ロッティの目の前にまで運ばせた。
「おお……久しぶりに見たぜその能力、見てて面白いからもう一度やってくれ」
向かいに座るグランが感心した素振りで話しかけてくるが、ロッティはその声も上の空で聞きながら、運んできた冊子をじっと見つめた。表紙の中央には料理ノートと達筆な手書きの字が書かれており、右下に小さくアリスという名前が銀色で刻まれていた。ロッティは何となくそれをぱらぱらと捲ってみる。内容はアリスの焼き菓子やちょっとした料理のレシピとなっており、見開き二ページ分で料理一つのレシピが、アリスが描いたと思われる出来上がった料理の絵と共に記載されていた。そして見開き二ページ分の内空いたスペース、一番端っこなどには、細かい字で下町の人たちの感想などがびっしりと書き込まれていた。ロッティは、気づけばその料理ノートを夢中で捲っていた。料理ノートは一番最後のページまで使われていた。ロッティは跳ね上がるように立ち上がり、自分の部屋へ戻り、アリスが整理するからと片付けた箱の中の本を漁った。すると、先程と同じようなレイアウトの表紙をした料理ノートが二冊見つかり、さらにそれ以外にもメモ帳と記されたノートが何冊か見つかった。ロッティは何かに憑りつかれたようにその中身を捲っていった。どのページにもアリスの字が細かく記されており、無駄なくページが使われていた。