第19話
文字数 3,516文字
起床したハルトはベッドに視線を向けてセリアがまだ眠っていることを確認した。ハルトは皆を起こして事情を説明しようかどうか迷ったが、ひとまず皆も疲れて眠っているだろうと考えて、セリアが起きるのを待つことにした。ハルトはその間、ぼんやり窓の外を眺めた。
街はいつも通りに人が行き交い、何事もなかったように生活を営んでいる。ハルト自身も、ブラウたちの話を聞いただけで、その場に居合わせたときの恐怖や息も詰まるような焦燥感を実感できていなかったが、それでも街の人の中に今の自分と同じように疲れ切った人はいるのだろうかと考えていた。街の人並みの中にシルヴァンとニコラスの姿は見えなかった。今もどこかの酒場で飲んで語っているのだろうか。何でもないように行き交う人の顔を眺めていると、この街の中にシルヴァンとニコラスがいるのが信じられないような気持ちになった。
「んんー……ふう」
やがて無防備な寝起きの声が聞こえてきてハルトはベッドの上に視線を戻した。先ほどまで自分のベッドの上で心地よさそうに眠っていたセリアは、うつらうつらとしながら辺りをぼんやり見渡していた。そして、ぱっとハルトと目が合うと、不思議そうに首を傾げたが、やがて悪戯を思いついたような笑みを浮かべてハルトに近づいてきた。
「出てけー!」
次の瞬間、ハルトは盛大にセリアに部屋の外に投げ飛ばされた。思いっきり背中から落ちて、ハルトがのたうち回り、その騒ぎに『ルミエール』の他のメンバーも起きてきた。
「ごめんなさい。私、助けてもらった相手になんてことを……」
『ルミエール』のメンバーも集まって、未だに寝惚けた様子のセリアに一通りの話をしたところで、セリアは開口一番にそう言った。ヨハンという男に誘拐されていた女性がセリアだと判明したときも『ルミエール』の皆は一様に驚いた反応を示して、それでセリアも再び驚いた。初めて会ったときと比べて、明るく話し無防備なリアクションを繰り返すセリアに対して、ハルトの中でのイメージは変わっていった。それはルイとジルも少なからず同じなようで、ルイはジルが朝一番に買ってきた車いすに乗せられていたが、足の怪我をものともしない勢いでセリアに迫ろうとしては、流石にクレールに「時と場合を弁えろ」と叱られていた。
その後状況を把握して落ち着いたセリアから聞いた話によると、セリア自身もエルフ族を追っていること、そして一人エルフ族の知り合いを知っていて、その人ならブラウの持つ本の文字も読めそうだが今は帝都にはいないということ、そしてミスティカ族たちについては自分もあまり知らないが、帝都を含めた全世界にてその者たちに関するある法が定められていること、を教えてくれた。
「私がここまで一般の人に話して良いか、分からないけど……でも、命の恩人にそんな無碍なことは出来ないよ」
セリアは一呼吸置いて、そして、それまで見せていた朗らかな表情を引っ込めて、初めて会ったときのような冷たい瞳に戻り、ゆっくりと話してくれた。
「この世界では、ミスティカ族、それと……確か、幻獣族と、アインザーム族は、生きることを許されていないの。彼らを捕らえ、帝都に引き渡し者には謝礼金を渡し、同時に彼の者を刑に処する……
セリアは心底うんざりしたように「くだらない」と吐き捨てた。クレールが悔しそうな顰め面でメモした紙を睨みながら、「だから資料にも全然載っていなかったんだな……」とぼやいた。
「でも、何だそのげんじゅー族と、アインなんちゃら族ってのは? 初めて聞くな」
「幻獣族はイグナーツのことだ、忘れたのか? それに、その法があったから……世界の方針を決める帝都が生きることを認めなかったからこそ、俺たちはその存在を耳にしなかったんだろうな。ミスティカ族だって、幻獣族のイグナーツから聞いて初めて知ったんだしな」
クレールが冷静に分析している横で、ハルトは背筋に嫌な汗が流れるのを止められなかった。もしやと思ってルイの方を見てみると、ルイもハルトの方を見ており、目が合うと曖昧に笑ってみせた。その笑みに、ハルトは自分の感じた予感を少なくともルイも感じていることに気がついた。ハルトは今、ルイと同じ人物を思い描いているに違いないと確信した。
そんなハルトたちの心境も知らずに、クレールたちは話を進めていった。
「エルフ族はその法の対象に含まれていないのは何故なんだ?」
「そんなこと知らないよ。でも……そんな法がなくても、エルフ族は虐げられている……」
クレールに問われセリアも困惑するが、やがて悲しそうに目を伏せた。
「私の……一番の友達もそうだった。ただ耳がとがってて、肌が白くて……たったそれだけで、虐められていた……何も悪いことをしていない、ただ生きていただけなのに」
悔しそうに歯を食いしばり、震える握り拳が、セリアのその言葉に込められた想いの深さを物語っていた。そのセリアに声を掛けられる者はいなかった。
「……俺たちは、そのセリアの知り合いが戻ってくるまではしばらく帝都で待っていよう」
クレールが気を取り直すように言った提案に異論を唱える者はいなかった。
セリアの話を一通り聞き終えた後、『ルミエール』は再び当てのない情報収集に赴くこととなり、ハルトは車椅子で移動するルイと一緒に帝都を適当に歩いていた。いつどこでまた連中が襲ってくるか分からない状況ではあったが、ハルトは何となく、帝都ではもうこれ以上襲ってこないのではないかと予想していた。
「それにしても……俺たちの知らないことだらけだったなあ」
ルイが感慨深げにしみじみと呟いた。皆の前ではいつも通りに振る舞っていたルイだったが、今はその声に元気がないような気がした。
「ミスティカ族に幻獣族、それとアインザーム族は、生きることすら許されない、か……昔何かやらかしたのかねえ」
「さあな。けど、俺たちが会ってきたミスティカ族……とかは、別に悪い人たちじゃなかったよな」
ハルトは曖昧にごまかして、そんな感想を漏らした。先ほどルイと恐らくイメージを共有したことについて言及するのが怖くて、ハルトはそれについて触れようとしなかったが、ルイもそれには触れずに「ああ」と返してきた。
「ブルーメルさんが死んだのは……そのどれかの種族だったからなのかねえ」
再び沈黙が訪れ、ハルトたちはそのまま静かに帝都の街並みを巡っていた。情報収集をする、ということになっており、実際にクレールはジルを連れて再び図書館に向かっていた。体調が万全ではないブラウは、アベルを誘ってなまった身体を鍛え直すと言って帝都の橋を出たところで稽古していた。ハルトも何か街の人に話を聞くためにと外に出てきたのだが、何も訊く気になれず、ぼうっと街の人たちのことを眺めていた。
この中に、自分の種族を偽ってまで生きている人もいるのだろうか。ハルトがそんなことをぼんやりと考えていると、向かいからセリアが向かってきているのに気がついた。ハルトが手を振り返すとセリアも気さくに手を振り返してきた。
セリアがハルトたちの前まで来ると、よほど急いできたのか、膝をついて息をぜえぜえと切らしていた。
「おいおいセリアちゃん、騎士サマの仕事は大丈夫なのかよ」
ルイが陽気に尋ねるが、セリアは切迫した表情で浮かべたままこう言った。
「そんなことはどうでも良い! それより……ニコラスさんが、亡くなったって……それを、貴方たちに知らせようと思って……」
息も絶え絶えに話してくれたその言葉は、すんなりと頭に入ってきた。心のどこかで覚悟していたことだったのだと気づくが、そんな自分にハルトはうんざりしていた。
『よく臆せず自分の気持ちを話してくれた。ハルト、お前の意志を全力で汲んでやる』
ふいにハルトは、自分がそれでもセリアを探したいと言ったときに掛けてくれたニコラスの言葉を思い出していた。