第15話
文字数 3,261文字
カミーユが短い悲鳴を上げると同時に、ブラウを含め、ルイたちは窓の外を警戒した。アベルは壁に張り付き、徐々に窓の方へ近づきそっと窓の外を盗み見たが、アベルの視線がきょろきょろと動いているのを見るに、窓の外に不審な人物は見当たらないらしい。
「扉の外も警戒しろ!」
咄嗟にブラウがそう叫ぶも、その叫びも遅く、その直後に扉が外れて部屋の中に飛び込んできた。ルミアたちやルイは飛びのき、ブラウたちを背にして扉のなくなった先を見据えた。
初めは誰もいなかった部屋の向こうから、やがてゆっくりと現れたのは、首元に剣を突き付けられ、目隠しと分厚い布切れによって目や髪を覆われ顔の分からない人がぐったりと気絶したように力の抜けている姿と、その女性を掴み剣を握っているマントの人物であった。そのマントは、ブラウの記憶にも新しかった。
「ごきげんよう『ルミエール』の皆さん……と、こちらはルミア君とカミーユさんかな」
不気味なほど透き通った声が、それまでの落ち着いた部屋の空気を切り裂いた。ブラウは服の中に隠している本の感触を意識する。
「おいあんた、女性の扱い方ってのが分かっちゃいねえみたいだな。こそこそマントなんか羽織りやがって、陰気臭い男だぜ」
さっとブラウのベッドの前まで退いたルイは語気を荒げてマントの男を睨みつける。ルイの発言にブラウもその人質の姿を確認すると、分厚い布切れが覆いきれず外に伸びている髪があったことから、確かに女性であろうと予想した。マントの男は不気味にふふっと笑い、ルイの言葉に応えてなのか、そっとフードを外した。
そのフードの中から現れたのは、中性的で、悪魔のように赤く光らせた瞳をした好青年そうな顔だった。淡い金色をした長い髪を鬱陶しそうに払いながら、一見女性と見間違えるほど目鼻立ちの整った顔を恐ろしく歪ませながらブラウたちを睨み返してきた。しかし、その男の視線はジルのところで止まり、その赤い瞳が一層見開かれた。ジルは不審そうに男の瞳を見つめ返すが、きっと目つきを再び険しくさせ睨み続けた。
「……くっくっく、運命というのは、本当にどこまでも恐ろしいね」
男は身体を揺すらせ、喉の奥で笑いながら、ジルのことを面白がるような目つきで見続けていた。
「……気味が悪いよ、君。それより何しに来たのかを言いなよ」
「いやあねえ、まさかここまで似ているとは思わなかったからね……」
見られ続けて流石に苛立ったのだろう、ジルは多少荒い口調で男に詰め寄るが、男はそんなのどこ吹く風と言った様子で相変わらず面白そうに身体を震わせていた。ジルも相当癪に障っているようで、男を見る目つきは一層険しくなり、腰に控えている剣に伸ばしている手が震えていた。男もこちらへの注意は忘れていないようで、隙の無い構えにブラウたちも様子を窺うことしか出来なかった。
「ジル、落ち着け」
アベルの諫める声にジルも深呼吸を繰り返して落ち着けようとしていた。しかしそれを遮るように男がわざとらしく笑った。
「ジル……かあ。滑稽だね、それだけしか憶えていなかったなんてね」
「!…………どういう、ことだ」
ジルはアベルの諫められた通りに平常心を保とうと必死に息を整えようとしているが、男のその発言にジルは声を震わせ、肩がわなないていた。普段見せないジルの異変にブラウは背筋の凍るような嫌な予感がしたが、ベッドの上で何をする間もなく、その男は言った。
「君って……君の両親にそっくりだ。姓はジルベール……僕が殺した人間のことだ」
その男の発言の直後、ジルは身体を弾けさせ、剣を引き抜き男に食って掛かった。しかし、その男は迫ってくるジルを冷たく見つめながらそっと男が掴んでいた女性の身体を前に出した。咄嗟に出されたその身体にジルは動きを止め、その一瞬の隙を狙って男がしゃがみ込みジルの膝目掛けて剣を振りかざしていた。
「くそがっ!」
ルイが叫びながらジルをどんと突き飛ばした。男の剣は無情にも勢いそのままに振られ、ルイの膝を斬り裂いた。ルイは「ぐっ」と苦しそうに呻きながら、そのまま膝から力が抜けていくようにその場に崩れ倒れた。ルイの足を伝いながら床に流れる血は、あっという間に赤い水たまりを作り、その大きさはどんどん増していった。
「カミーユにルミアはジルと一緒にルイを! アベル、俺についてくれるな?」
ブラウはベッドから飛び起き、脇に立てかけておいた剣をさっと取り出した。興奮しているからか、立ち上がってみて思った以上に身体を動かせそうだと感じブラウは安心した。アベルもブラウの傍らに張り付き、腰に携える剣に手を添えながら男の方を睨み続けていた。ブラウの言葉にカミーユとルミアは即座にルイの元へ駆け寄り、突き飛ばされた勢いで壁に頭をぶつけていたようであるジルの身体を支えた。カミーユに支えられたジルは大した傷は負っていなさそうだったが、顔はひどく青ざめており、口をわなわなと震わせながら暗い瞳でルイのことを一心に見ていた。
そんな様子を、マントの男は冷めた目で眺めていた。
「あーあ、つまらないことをする……まあいいや。ブラウ、僕はあくまで君に話があるからね」
「……話は何なんだ、早くしろ」
男の言葉に苛々して昂りそうになる心を、ルイとジルに目をやることで何とか落ち着かせながら、ブラウは努めて平静な声で答えた。男は先ほどと同じように女性を抱え直し喉元に剣を突き付けた。
「この事情も何も知らない一般女性の命が欲しければ、君が受け継いできた本を寄越すんだ」
「……どこまでも汚い連中だな」
「早く答えないと、この女性を殺すよ? 僕自身としてはこんな女性のことなんてどうでもいいし、本も手に入らなければ手に入らないで別に良いと思っているしね」
その男は剣をより女性の首元にあてがうと、つうっと女性の首から一筋の血が流れた。カミーユが小さく悲鳴をあげ、ルミアと共にちらちらとブラウの様子を窺っていた。そんないい加減な態度を示す男に、ブラウは内から沸々と湧き上がる怒りを確かに感じていた。
この男は言葉通り、躊躇いなくこの女性を殺すだろう。そう直感したブラウは、再びルイとジルに見やり、そしてフラネージュの洞窟で亡骸になっていたアランと、そのアランを必死の形相で抱えようとするジルの姿を思い出していた。
「許せねえ……」
「……君のそんな感想なんてどうでも良いんだ。良いから早くどっちにするか……」
「うるせえ。お前の好きにはさせねえよ」
男の言葉を遮るようにブラウは剣先を男に向けた。一瞬たりとも瞬きしない集中力で男を睨みつけ、出方を窺う。
「この本も、その女性もお前の好きにはさせねえ。覚悟しろ」
「…………ふうん、そうかい」
男は相変わらず冷たい視線をブラウたちに向けているが、ブラウの気迫に圧されたのか、じりじりと僅かに後退しているのにブラウは気がついていた。ブラウは距離を離されないように男が後退した分だけすり足で近づいた。
この距離ならば届く。距離から計算してブラウがそう予測を立てていたが、そう思う度にまるでそれを見透かすように男は後退していく。次第に男の身体が壁の向こうへと姿を徐々に隠していき、ブラウは内心焦る気持ちを抑えつつ次はどうしようかと考えていた。窓から飛び降りることもいざというときにはしよう、そんな覚悟で以て男に距離を離されないようにしていたときだった。
窓の外から高い轟音が聞こえてきたかと思うと、男が顔を顰めさせながら、女性を離しているのが見えた。女性を先ほどまで掴んでいた腕からわずかに赤い血飛沫が舞っていた。
「おら!」
いち早く反応したのはアベルだった。アベルはブラウの横から飛び出していくと、怯んでいる男をそのまま押しのける勢いで体当たりしていった。男は歯を食いしばりながらもひらりと躱すが、もう一度先ほどの高い轟音が鳴り響き、再び男が怯んだように身体を後退させていく。その隙に、アベルは捕らわれていた女性を腕の中に抱き寄せ確保していた。