第3話
文字数 3,031文字
ひどくつまらなそうに老人は言った。
「この大陸に渡ってきたどの種族も、普通の人間にはない特徴があった。むしろそれ目当てに、遥か昔の人間は私たちの先祖を連れ帰って来たのだ。エルド族には、人知を超えた知恵があった。ミスティカ族には、未来を見通し、人の思考や感情を読み、遥か遠くの物音まで聞くことの出来る聴力があった。アインザーム族には、触れずに物を動かし、時には命を奪うことすら可能な強力な能力と驚異的な身体能力があった。そして幻獣族は……遥かに強力な魔物に変身する種族であった。当時の人間たちは驚き、同時に、歓喜に震えた。厄介な大陸から連れ帰り、自分たちの繁栄のために利用……いや、連れてきてしばらくは共存していたのだ。だが、人類は愚かで臆病な生き物だった」
老人は眼鏡を外すと、その眼鏡をつまらなそうに海へ投げ捨てた。海を眺めていた視線をロッティたちに向けた。その瞳は、まるで今老人が語った滅ぼされてきた種族の恨みが籠った炎のように、赤く光っていた。
「文明が発達する以前の人類は、ほとんど野生動物のような生き物だった。生存本能が強く、恐怖に敏感で、自分たちを脅かすものの存在を許すことはなかった。それは、私たちの先祖が来てからもほとんど変わらなかった。結果、すべての者が共栄し合う楽園が続くことはなかった。人類は最後にエルド族の知恵を散々利用するだけ利用してから、勝手に連れてきた私たちの先祖を殺戮し始めたのだ」
老人はそこで話を一度区切ると、立つことに疲れたのか再び大きな石の上に座った。
「人類はそこから妙な歴史を辿る。急激な速さで成長した文明は再び緩やかな成長に戻っていったが、それをじれったく思う人間が現れ始めた。当たり前だ、贅沢だった生活が急に再び窮屈になったのだから。それ故に、未踏の大陸の種族を庇う者も現れ始め、人間の間でも対立が起き始めた。このことに心を痛めたある者が、未踏の大陸からもう種族を連れてこられないように、その大陸へ渡ることを封印したのだ。リュウセイ鳥を使ってな。最後にその願い事を叶えた後に、悪用されないようにそのリュウセイ鳥を殺した。まあそれは、今もなお言い伝えの形でその力は残ってしまったが……だが、心痛めたその者がそうしたときにはほとんど手遅れだった。連れ帰ったエルド族とアインザーム族はすでに死に絶え、未来を見ることの出来るミスティカ族と、幻獣族しか生き残らなかった。ここまでが……私の知る人類史の始まりだ。これからのことは……そこのお嬢さんに聞きな」
老人は一息ついて再び海を眺めた。これから先のことはまるで自分には関係ないとでもいうように、老人はつまらなそうにロッティたちに背を向けていた。
それまで静観していたガーネットがロッティの手を握る。ふいに感じる体温に、ロッティは反応できずに、阿呆のように自分の手を掴むガーネットの手を見つめることしか出来なかった。
「大丈夫?」
「何がだ」
「ひどい顔を、しているから」
そんな心配をされて、つい、そんな風に訊かなくても分かるだろと言ってしまいそうになった。しかし、口に出していないのにガーネットの表情は少し曇った。
自分は、何がしたいのだろうか。一度に多くの情報を仕入れた頭はすっかりパンクしてしまい、正常に判断できずに誤作動を起こしているような疲労感と、現実味の無さを感じていた。
「私の話を、聞いて欲しい」
そのフレーズは、何回か聞いた、ガーネットの頼み方。何々してほしい、そんなガーネットの頼み事に応えていれば何とか上手くいくとぼんやり思っていたのだと、ロッティは今更ながらに自分の愚かしさに気づいた。今ではすっかりその先を聞くのが怖くなってしまっており、そんな自分が憎くて歯痒かった。
それでもガーネットは、ロッティの返事も聞かずにゆっくりと話し始めた。
「彼が話してくれた歴史は、その後も……それこそ今に至るまで繰り返されてきた。世界の裏側でね。そして、これは私には想像でしかないのだけれど……その歴史は、より悪い形へと変えながら、繰り返されてきたの。その根拠が、不運にも生き残ってきた幻獣族とミスティカ族」
ガーネットの声は、こちらの心境を考慮してなのか、とても優しく、すとんと胸に染み入っていくようであった。鈍った頭にも、自然と話の内容が流れてきて、それだけのことなのに、何故かとても目の奥が熱くなって仕方がなかった。
「この二つの種族には他にも普通ではない特徴があるの。幻獣族には転生する能力が、ミスティカ族には……恐ろしく長い寿命が。そんな彼らは、先程彼が言っていた、文明の急な発展を望む僅かな人たちと共に後世に恨みを伝え続けていったわ。特に幻獣族は、何度も殺されかけては転生して、再び人類に見つかっては転生して……リュウセイ鳥の願いによって未踏の大陸までの海路もめちゃくちゃにされて帰ることも出来なくなっていた幻獣族たちの恨みは計り知れない。人類の方もその度に必死に幻獣族を討とうとし、エルド族を利用して作り上げた対幻獣族用の兵器まで持ち出してきたり、特殊な能力を持つ人間を刑する法律まで作り出したの。この溝は、長い歴史の中で深まり続けていったわ。そして……」
途端にガーネットの声が途絶え、ロッティの手を握る手が震えていた。ロッティは無意識にその手を強く握り返した。
「……積み重ねられてきた恨みが、今から四年後に爆発する。人類は悲惨な未来を迎えるの」
悲惨な未来を迎える。その言葉は不思議と冷静に受け止められた。これまで老人とガーネットの語ってくれた内容をどこまで理解できているかは分からなかったが、その内容に潜んでいた感情を拾い集めていくと、最終的にそういう未来が待っているという結末にたどり着くのは筋の通る話のように思えた。それでも、ガーネットと始めた旅が自分の手に負えないような規模にまで膨れ上がったような気がして、そのスケールに途方に暮れていた。
「ロッティ……信じてくれるかは分からないけど、私は、そんな未来を変えるために貴方と旅をしてきたの。今まで……疑問に感じる貴方を無視してずっと黙っていて、本当にごめんなさい。ここまでのことを先に話して、貴方の行動を変えるわけにはいかなかったから……本当に、ごめんなさい」
ガーネットは震えた声で謝罪するが、ロッティには何故謝罪するのかが分からなかった。謝罪して欲しくないとさえ思った。ガーネットのどこに悪いところがあったのかと、ロッティは無意識に歯軋りする。腕の痛みも気にならないほど、拳を強く握りしめていた。
それを言わなければならないのは、自分の方だと思った。ガーネットと初めて会い、旅立ったあの日にガーネットのことを勝手に孤独な人だと決めつけ、それに寄り添えたら良いと思っていたのに、結局ガーネットの背負っている物さえ知らずにここまで来てしまったことの方が、よっぽどひどく、身勝手で、醜いことのように思えた。ここに来るまで、そんな運命を独りで背負ってきたガーネットの苦しみがどれほどのものであったかは、今も震える手が、震える声が、すべて証明していた。
しかし、それでも口は思うように動かなかった。口の中もすっかり渇ききっており、きちんと声を発せられそうにもなかった。