第1話
文字数 3,247文字
暗殺のあった日は、
疑問を抱いていたハルトは港へと足を運んでいた。すれ違う人々は混乱しながらも委員会の迅速かつ冷静で適切な政策にどこか安心しているような顔を浮かべていた。人間、やることがはっきりとしていれば迷わずに動けるものらしい。そんな風にほとんど以前と変わらないいつも通りを過ごしている人たちの姿を尻目に、ハルトは一人、心のどこかが引っかかったままでいた。
ハルトが爆発のあった港跡に着くと、ちょうど先約がいた。その先約以外には委員会の指示によるものなのか、思っていた通り人はなかった。たった一人先に来ていたフルールは、壊れかけの堤防の際に立って海の遥か遠くをじっと眺めていた。フルールの手には手紙のような物が握られていた。フルールのいる場所だけが別の空間かのように、先程まで聞こえていた街の喧騒が嘘のように消え、波の音だけが静かに聞こえていた。
半壊した堤防に穏やかな波が打ちつけられる。時折大きな波がやってくると飛沫が上がると、フルールの足にもかかりそうだった。
「フルール……」
ハルトはフルールの意識を邪魔しないようにそっと話しかけた。しかし、耳聡くハルトの呟きを拾ったフルールは、ハルトの方を振り向き「ハルト様……」と呟いた。ブルーメルの暗殺があり、その直後委員会の指示があったあの日から、フルールだけが暗い顔を浮かべ続けていたのを、ハルトは知っていた。
「ごめんな。あのとき、お前を助けるので精一杯で」
「ハルト様が気になさることではありません。あのときは本当にありがとうございます」
しかしお礼の言葉に反してフルールの表情は晴れなかった。浮かない顔のまま、手紙をそっと手元に引き寄せた。フルールがそんな風に大切に扱う手紙の送り主など、一人しか心当たりがなかった。
「その手紙……もしかして、ブルーメルさんからなのか」
フルールは無言のまま静かに頷いた。そのまま何かを思い返していたのか、フルールは再び海の方を振り返る。フルールの切ない瞳に、ハルトの知らない光景が映っていると感じた。
ハルトはあの日起きたことを結局何も知らなかった。建物が崩壊する音を聞いて駆けつけてみたら突然空からフルールが降りてきて、それを受け止めているうちに、港の方で爆発が起こり、駆けつけたときにはすっかり変わり果てた堤防があるだけだった。
「何度も……何度も読み返しています」
フルールは海の果てを眺めたまま胸に抱えた手紙を強く握りしめた。肌白い手が震えると、フルールのチャームポイントである胸に飾られた大きなリボンが小さく揺れた。
「何度読み返してもブルーメル様は帰ってこないと分かっているのに、読み返さずにはいられないのです。今すぐにでも街の復興を手伝わなくてはいけないと分かっているのに、私はいつまでも動けず、ここに訪れてはブルーメル様のことを考えてしまうのです。私は、壊れてしまったのでしょうか」
フルールは独り言のように淡々と話した。語った内容に反して抑揚のない口調は、ハルトの胸をざわつかせた。波が強まったのか、堤防に打ちつける波の飛沫がハルトたちの所にまで届き、髪をわずかに濡らした。
「そんなの全然問題ないさ。フルールにとってブルーメルは、とても大切な友達だったんだろ?」
「友達……だったのでしょうか」
励まそうとしたハルトであったが、フルールの返事が色よくなかったためハルトは言葉を詰まらせた。そのハルトの無言に対しての反応なのか、そこで初めてフルールの表情に翳が差した。俯いた拍子にフルールの髪から雫が滴り落ちた。
「私は、ブルーメル様の友達になれていたのでしょうか」
「……どうして、そんな風に考えるんだ?」
「手紙を読み返せば読み返すうちに、私はブルーメル様のことを分かってあげられてなかったような気がするのです」
「そんなこと……」
フルールの言葉にハルトはロッティのことを思いだし、再び言葉を詰まらせてしまった。ロッティも数ヶ月前に簡単な手紙だけを残してどこかへ去ってしまった。シリウスで再会したが、話をしてくれたものの『ルミエール』には戻らないと宣言され、その後何の変化もないまま、先日のブルーメルが暗殺された日を機にまた行方を眩ませてしまった。フルールを空から降ってくるのを受け止めた際、フルールが腕の中で暴れて、ブルーメルとロッティの名を叫びながら港の方へ向かおうとしていたことから、ロッティがあの日爆発に巻き込まれたことも何となく察していた。
フルールは自分と同じかもしれないと思った。自分の大切な人が本当に思っていたことを分かってやれなかったのではないかと不安に思う気持ちは、ハルトにも心当たりがあった。フルールの心情を想うと、胸が締め付けられた。
ロッティのことを確かに分かってやれなかったかもしれない。しかし、それでもロッティがハルトたちのことを疎ましく思っているわけではないことは、再会してすぐに伝わってきた。その背後にどんな感情を隠していたのかまでは分からなかったが、その事実は、ブルーメルにも当てはまるのではないかと考えた。
「そんなことないさ。少なくとも、ブルーメルさんはフルールを大切に思っていたはずだ。じゃなきゃ専属の従者になんてしなかったろうし、それに、あんな如何にも仕事人間ですみたいな雰囲気纏って俺たちには堅苦しいのに、フルールに対してだけはすっかり心を開いているように見えたしな」
フルールは静かにハルトの話に耳を傾けていた。しかしあまり納得していないのか、ゆっくりと手紙に視線を落とした。不思議そうに見つめる仕草が、ハルトにはまるで子供のように幼く映った。
「聞いて良いことじゃないかもしれないけど……その手紙にはあまり良いことは書いてなかったのか?」
「いえ……そんなことはないです。この手紙には……」
フルールはそこで一度言葉に詰まり、苦しそうに息を吐きながらゆっくりと話を再開した。
「この手紙には……私への最後のお願いが綴られていました。私のことを、本当に……私が知らないところでこんなにも私のことを考えていたのかと思うほど、ブルーメル様は私の今後について心配してくれていました。ですが、ブルーメル様の考えが深いばかりに、私は何かとても大きな罪を犯していたのではないかと、そういう想いがふと頭をよぎるのです。私はブルーメル様のことを何も知らなかったのではないかと。そして……」
そこで言葉は途切れフルールは再び海の方を向いた。ブルーメルは暗殺された後に爆発に巻き込まれ海に放り出されたという。そのまま今に至るまでブルーメルの遺体は上がってきていない。未だにこの海原のどこかを漂っているのだろうか。フルールはまるでその海原からブルーメルを探すかのように真剣な表情で眺めていた。そしてしばし逡巡する素振りを見せてから、ゆっくりと口を開いた。
「そんな私は、亡くなられる最期の日まで、ブルーメル様に尽くすことが本当に出来ていたのかが分からなくなっていたのです。一度そう考えてしまうと、頭に不快なものがこびりついて、途端に胸の辺りが苦しくなるのです。今までこんな風に苦しくなったことはありません。私は、おかしくなってしまったのでしょうか」