第10話
文字数 4,179文字
街を去ってからしばらく歩いたところで、ロッティは再び街を襲った魔物たちに遭遇した。初めて外の世界に出て、複数の魔物に遭遇したというのに不思議と冷静でいられたことに、ロッティは虚しさを覚えながら、魔物を順々に処理していった。街のときと同じようなやり方で能力を使って二、三体屠ると、残りの魔物は恐怖に慄きどこかへ行ってしまった。その晩は、屠った魔物たちの肉を焼いて食べた。火を焚く作業も、能力を駆使すればなんということはなかった。魔物の肉は癖があまりなく、淡白な味わいであったが、調理された料理の味を知っていたロッティは、自分が独りで生きていることを改めて実感させられた。
十月三十日
その日暮らしの生活が身体に馴染み始め、本来魔物が多くないという地域というだけありあの日以降しばらく魔物に遭遇していなかったロッティは、今後の食料をどうしようかと頭を悩ませていた。次第に生存本能に染まっていき、街で暮らしてたときにはあった心の広さのようなものが薄れてきていることをロッティは自覚していた。普通の人として生きることはやはり無理なのだろうと半ば悟りを開いたように諦めていた。先日屠った魔物の肉もすっかり腐ってしまい、野草に手を出してみようかと悩むも、毒があるものとの区別が出来ず、その日は結局川の水を飲むことしか出来ず、腹を鳴らしながら眠った。魔物には出会えなかったが、その代わり敵に襲われる心配もしなくて良いだろうと、少しだけ深く眠ることが出来た。
十一月二日
街からどれぐらい離れただろうか。ロッティは街の人間に万が一にも会わないようにとひたすら街から離れる方向に歩き続けてきたが、森林に入ったことで方向感覚を失ってしまった。何か見覚えのあるような食料が手に入るかもしれないという算段だったのだが、似たような風景ばかりが続くせいで却って方向感覚を失い、これでは川に戻ることすら危うく、本末転倒であった。ロッティはその森林から抜け出すことを考え、似た風景に違いを何とか見出しながら開けた場所を目指した。しかし、食料をまともに口に出来ていない日が数日続き、体力の衰えていたロッティにとっては、当てのない出口を求めて歩き回る行為は予想以上に困難なことであった。日が沈みかける頃、ロッティはやがて体力が尽き、地面を這う木の根に躓きそのまま起き上がれずにいた。
何とかそのまま地を這いつくばりながらでも前に進んでいるうちに辺りはすっかり暗くなり、自分もここまでかと、ロッティは観念して意識をゆっくりと手放した。
十一月三日
身を包む温もりと魔物ではない生き物の気配にロッティは飛び起きた。ロッティの辺りは、森林ではなく、小さな木造の建物の中のようであったが、一方向だけ外に通じていている見慣れない構造となっていた。傍らには唯一街から持ち出した鞄もきちんとあった。
「お、起きたか坊主」
渋い声に振り向くと、大剣を背後に携えてぶっきらぼうに座る大柄の男性がいた。頬の傷が印象的に外からの光に照らされ、大袈裟なほど口角を上げた男性は、ロッティの頭を乱暴に撫でた。
「うぅ……」
「よしよし、まだ生きてるな」
腹の虫を鳴らし、身体に力の入らないロッティはその男性に為すがままにされていた。
ひとしきり撫で終わると、その男性は外に向かって「おい、何か食い物持ってきてくれ」と叫び、ロッティの方を再び見てにやりとした。男性は堂々とした態度で自分の胸を叩いた。
「俺の名前はブラウ。ブラウ・フォレッツだ。俺たちは冒険して普通の人じゃ手に入れられないような珍しくて高価なものを売って稼いでる団体で、俺はその団長をやっている」
ブラウと名乗った男性は、手を今度はロッティの方に差し向けてきた。空腹感と寝起きでぼんやりしている頭では、それが名前を訊かれていることだと理解するのにしばらく時間がかかった。
「ロッティ……」
あまり話す気になれなかったロッティは、最低限聞こえる声でぼそっと喋っただけだったが、ブラウは「そうか、ロッティだな」と満足げに何度も頷いていた。そのうちに外から別の男性が木の容器を両手に持って入ってきた。その男性はロッティの姿を確認すると、ブラウに何か言われるまでもなくそっとロッティの目の前において、奥の方にもう片方の器を持っていった。
「この辺はどうなってるんだ。子供が二人も倒れてるなんてな」
奥の方から「まったくだ」と困ったような返事が返ってきた。その声の方に視線を向けると、ロッティと同じぐらいの背丈の少年が宙をぼうっと見つめながら蹲っていた。少年の身なりはお世辞にも綺麗とは言えず、そのみすぼらしさはいつの日かのブルーノと重なった。
「ロッティ。あの子と一緒に飯食っといてくれ。俺はちょっと外の様子を確認してくるからな」
ブラウはもう一度ロッティの頭をぽんぽんと撫でると、背中の壁に立てかけてあった大剣を手にして、木の器を持ってきた男性と共に外に出ていった。靄がかかったような思考回路は機能せず、ロッティは間抜けのようにブラウの言われた通り、目の前に置かれた木の器を持って、中身を零さないようにしながら部屋の隅で蹲る少年の元に向かった。
少年は放心しているのか、相変わらず宙を見つめているだけであったが、ロッティはその少年の視界に入るように木の器を持ち上げ、その器に入っているものを飲もうとするジェスチャーをしてみせた。本当に心が壊れたのかと思うほどぼうっとしている少年だったが、色の沈んだ瞳のままこちらにゆっくりと視線を寄越した。ロッティはその少年と目が合い、ロッティはもう一度飲む素振りをしてみせた。
するとその少年は無言のまま、自分の足元に置かれている木の器を手に取り、それを口元まで運んだ。ロッティもそれを確認してから自分の分を飲み始めた。
味は、正直よく分からなかった。無言のまま、スープを啜る音だけが部屋を満たし、賑やかな雰囲気とはとても呼べなかった。それでもお腹は正直なようで、食欲を刺激されてもっと腹を満たしたいという欲求を示すように腹が鳴った。少年のお腹からも似たような音が鳴り、それを聞いてロッティは少しだけ全身に張っていた気が緩んでいくのを感じた。
それがハルトとの出会いであった。
一月十日
ブラウたちは『ルミエール』という団体で、世界中を冒険しながら珍しい物や、それこそ普通の人が手に入れられないような貴重な物を採取、発掘、狩猟してきてはそれらを売って稼ぐことで生計を立てている団体だった。それまで比較的平和な世界に囲まれて育ってきたロッティにとっては、外の世界などぼんやりとしか把握していなかったが、ロッティは自分の思っていた以上に不思議と冒険心に満ち溢れている世界であるのだと認識を改めた。そんなグループがロッティとハルトを迎え入れたのは、団長であるブラウ自身も昔孤児だったところを『ルミエール』の前リーダーに助けてもらった経験があったかららしい。
他にも魔物が多い道を通る一般住人の護衛をしたりする傭兵のような仕事もするらしいが、『ルミエール』はまだまだ有名な団体ではないらしく、ブラウ以外にメンバーは二人しかおらず、基本的に依頼人の要望に合わせて世界を練り歩いていたらしい。ロッティとハルトは、魔物との戦闘や危ない場所での採取などは頼まれず、料理番や、移動手段でありパートナーでもある馬の世話、馬車の掃除など身の回りの手伝いをさせられながら身体の身のこなしと剣の指導を受けていた。身の回りの手伝いは、『ルミエール』で過ごしていくうちに明るくなっていったハルトが素直で器用だったのに対して、身のこなしや剣の腕に関してはロッティが上手であった。
「すっげーなあロッティ。今のどうやったんだ?」
ハルトはもうすっかり元気になり、人懐っこい笑顔でメンバーの皆だけでなく、ロッティに対してもそうやってよく話しかけてきた。流されるままここまでついてきてしまったロッティだったが、未だに街での出来事を思い返し、人とは一定以上距離を離すよう意識しており、ハルトに対しても必要以上に話さないようにしていた。それでもハルトは、まるでそれに気がついていないかのようにロッティに近づいてくる。ロッティは意地でも自分からハルトに話しかけようとはせず、いつ『ルミエール』から出て行こうかということだけを考えていた。
そんなある日、ブラウともう一人のメンバーが洞窟の奥へ入っていき、帰りを待ちながら野営と夕食の準備をハルトと残ったもう一人のメンバーと進めているときであった。ちょうど残ったメンバーが水を汲みに川まで足を運んだ隙に、魔よけの鈴も恐れずに羽を生やした小型の魔物が馬を襲ってきた。ハルトは目に涙を溜めながら剣を振り回すが、馬に当ててしまいそうな危なっかしい振り方だった。ロッティが薪を持って戻って来たとき、まさにハルトの剣先が馬に触れそうになり、ロッティは咄嗟に自身の能力を用いてその剣を『止めた』。不自然に止まった剣にハルトが動揺している間に状況を把握したロッティは、馬を襲おうとしている魔物の首を即座に『ねじ切った』。首が取れた魔物は絶命してそのまま地面に落ちた。突然止まった剣と、突然首がねじ切れて死んだ魔物を交互に見つめながら、やっとハルトがロッティの存在に気がついた。ロッティは思わず尻込みしてしまいそうで、腰を抜かして尻餅ついてもおかしくないほどどっと全身から力が抜けた。それでも、石のように固まってしまったロッティは、ハルトがこちらにやって来る間、全身から噴き出る嫌な汗を気持ち悪く思いながら、俯くことしか出来なかった。
「今の、ロッティが助けてくれたのか? すげーじゃんロッティ! ありがとう、本当にありがとう!」
その声に恐る恐る顔を上げると、そこには恐れていた顔はどこにもなかった。ハルトは、いつも以上にキラキラした瞳で、ロッティを見つめていた。その瞳には、純粋な光があり、どこにも街の人たちが向けてきたような色はなかった。そのハルトの瞳が意味するところを、ロッティは理解できなかった。しかし、自分の頬を伝う雫が何を意味しているのかは、なんとなく理解していた。涙を拭えず流しっぱなしにしながら、ハルトの顔を見返すことしか出来なかった。