第4話

文字数 3,599文字

 ガーネットにしては珍しく、あれから翌朝になるまで目を覚まさなかった。覚醒して一番にロッティと目を合わせたガーネットは、恥ずかしそうに顔を伏せながら、寄り掛かる子供たちを静かにどけて、陽の光を浴びにかまくらの外に出て行った。雪原地帯をもうすぐ抜けられるというだけあり、その日はフラネージュに訪れた日から初めて、雪が降らず、朝陽を拝めることが出来る空模様だった。
 支度もほどほどに済ませ、かまくらを崩した雪を名残惜しく眺めている子供たちを連れてロッティたちは早々に発った。歩いてるとすぐに雪の積もり方が控えめになっていき、陽光に照らされてぬかるんだ道に入っていき、やがて荒地へと出た。自然もへったくれもない、殺風景な岩場が目立つ地形を進んでいくと、やがて苔が生え、逞しい雑草が育つ湿地帯、乾燥した土地から青々しい草花が展開する草原地帯を経て背の高い森林に辿り着いた。幾年か冒険してきたロッティだったが、その森林からは嗅いだこともない匂いが香ってきて、未知と神聖さを思わせる雰囲気が濃く漂っていた。
「この森は、迷いの森……と呼ばれているらしいよ。私から離れないでね」
 朝から一言も話していなかったガーネットが、そんなことを言って先日雪原を突っ切って子供を探したときと同じようにロッティの手を握ってきた。唐突な柔らかい温もりにロッティは思わずその手を二度見した。背後でぴゅうと口笛を吹く音と共に、好奇心の混じった冷やかしの気配がして、ガーネットはそれに気づいたように手をさっと放した。
「ロッティは、子供たちの手を繋いであげて。あと、私から離れないでよ」
 ガーネットはロッティの方も見ずに早口にそう捲し立てると、さっさと森の中に入っていった。ロッティが呆気に取られてその背中を眺めているうちにその背中は遠慮なく小さくなっていき、「ちょっと待てって」と慌てながら子供たちに手を繋ぐように言い、先頭になったレベッカと手を繋いで、ガーネットの後を追いかけた。その手は、先程感じた手よりも小さかった。
 森の中はガーネットの忠告から受けた印象とは異なり、鬱蒼とした雰囲気はなく、樹々の間から光が神秘的に差し込んできて、辺りも普通の森のではない不思議な匂いが包んでいたため、むしろ神聖な森にお邪魔しているような気分だった。この森を構成している樹々の根はどれも地上にも露出するほど発達しており、地面を草花と競い合うように覆いつくして部外者が足を踏み入れるのを許していないかのような一面緑の世界が繰り広げられているが、そのおかげで足場が悪く、慎重な足取りで進む必要があった。ロッティはガーネットなら心配要らないと思い、ガーネットを見失わない程度に気にかけながら、主に子供たちに注意を払うようにした。
 転びそうになる子供を時折能力を上手く使って怪我をしないようにさせながら進むと、雰囲気には合っているが森という場所には場違いな、大きな泉が現れた。自然に出来たようなものではなく、石造りの泉で、綺麗な円を描いてその中央で水が噴き出していた。囲いの細かな所からちょろちょろと水が流れ出ており、それが川のようになって森の中を進んでいた。
「ここで少し休憩しましょう。それと……」
 ガーネットはロッティの方を振り返ると、おもむろに近づいてきてロッティの目をじっと見つめた。赤く変わる瞳にロッティは少し緊張した。
「この泉の水は飲んでも大丈夫だけど、間違っても底に沈んでる石には触らないでね」
 ガーネットが強い口調でそう言い切った。子供たちから「何で―?」という疑問が上がり、それに対するガーネットの答えは、この泉は精神を潤す泉と言われており、底に沈む様々な種類の石によってその効果が現れるらしいのだが、その石の中には、記憶に影響を及ぼす宝石も含まれている、という不気味なのだかありがたいのかよく分からないものだった。ロッティはおっかない気持ちになりその泉から離れて、樹の下で身体を休めることにした。
 子供たちが無邪気そうに泉の水ではしゃいでいるのを眺めていると、樹々の合間から一匹の青い蝶がひらひらと舞い飛んできた。子供たちもそれに気がつき、捕まえようとするがするすると蝶はすり抜けていき、やがてロッティと同じように樹の下で座っていたガーネットの手に止まった。ガーネットがその蝶を愛おしそうに見つめていると、蝶は再び舞い上がり、そのまま奥の方へと向かい、そのまま泉を挟んで向かいにある樹の幹に不自然に止まった。その幹にピタッと止まったまま動こうとしない蝶をロッティが訝しんでいると、ガーネットがすっと立ち上がり、ぱっぱっと女の子らしくもない野暮ったいズボンに着いた土汚れを払っていた。
「そろそろ行きましょうか、皆」
 ガーネットはおもむろにそう言うと、早足でその蝶の方へと向かった。急に立ち上がってそう宣言するガーネットに戸惑いながらも、ロッティは子供たちを呼び集めてガーネットに続いた。ガーネットは蝶の止まった樹の前でじっとしていた。すると蝶は、まるでガーネットがそうやって来るのを待っていたかのように、ひらひらと森の奥の方へと進んでいった。ガーネットはその蝶についていき、ロッティたちもそのガーネットの後をついていった。
 この森に入ってから泉に辿り着くまでに見たのと大して変わらない風景が続いているばかりで、ロッティには一体どこに向かっているのかすら把握できていなかった。不意にレベッカがロッティの手を強く握ってきて、ロッティもその手を優しく握り返した。子供たちの囁き合いも樹々の間で乱反射して、青い蝶についていくガーネットの姿に童話のような穏やかで優しい雰囲気が感じられ、心なしか地上を張り巡っていた樹の根も大人しくなっていたような気がした。
 木漏れ日が優しく森を照らす道を、蝶に従うガーネットについて歩いていくと、しばらくして森の様子が変わり、次第に樹の本数が減ってきて、開けた場所に出ることが多くなっていった。そして、それをさらに突き進んでいくと、細い樹々が並ぶ所に出て、そこ真っ直ぐに進んだところで、細い川の上を覆う橋が現れた。その橋の先にはぽつぽつと家のような建物が並んでおり、さらにその先にはこれまで見てきたものとは段違いの太さの樹がどっしりと構えていた。家の造りは、シリウスやリュウセイ鳥の伝説のあった街のもの、そしてかつて自分が生まれ育った街のものとは明らかに異なり、クリーム色をした壁が滑らかな曲線を描きうねっており、それぞれ個性ある特徴的な形をとっていた。大樹には、どこから流れているのか滝のようなものがはるか上の彼方から流れてきており、大樹の周りを階段が取り巻いていた。
 そんな、のどかで幻想的な村落の突然の登場に、子供たちは歳相応にはしゃいだ。橋の向こうに門番のように立っていた人もロッティたちの存在に気がついたようで、そっと手を挙げた。すると、その村落の神秘さに違わず、不思議なことに、ガーネットが追っていた青い蝶がその手に止まり、羽の方から青い光の粒となって宙へと霧散していった。
 堂々と橋を渡ってくるガーネットに対して、その門番らしき人は控えめに制止させた。
「一応、貴方のお名前をお聞かせください」
「ガーネットと言います。連れは、ロッティという者と、イグナーツが匿っていたエルフやミスティカの子供たちです」
「ありがとうございます。お待ちしておりました。どうぞご自由にお過ごしください」
 門番らしき人はガーネットに頭を下げると、そのまま村落の方へと引きさがっていた。ガーネットはロッティを振り向き目配せしてきた。ロッティも、おそるおそる門番の人の横を通り過ぎながらその村落へと足を踏み入れた。
「うわーすっげーでけえ樹だあ」
 子供たちは大きな樹にすっかり夢中となっており、興奮したようにペタペタと触ったり抱き着いていたりしていた。大樹から流れ出る滝は、麓の方で小さな泉を作りながら、細い川となって村の中から深い森の方へとたおやかに流れ出ていた。
 ロッティが子供たちを微笑ましく思っていると、ある家にて子供が扉からそっと顔を覗かせて、ロッティたちが連れてきた子供たちがはしゃぐ様子をじっと見つめていた。その視線に気がついたレベッカが同じように村の子供たちのことを見つめていたが、やがて覗き見ていた子供たちがそぞろに出てきて、レベッカたちのところへ向かっていた。
「あの子たちは大丈夫でしょう。ロッティ、村長に会いに行きましょう」
 レベッカたちがこの村の子供たちと対面して話をしているのを確認すると、ガーネットはロッティの袖を引っ張った。もう少し子供たちの成り行きを見届けたかったような気もするロッティだったが、返事も待たずにガーネットがロッティの裾を引っ張ってきたので、大人しく大樹を取り囲む階段を登っていった。
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登場人物紹介

ロッティ

主人公。

孤児院→ある街の夫婦に引き取られる→街を出て冒険家団体『ルミエール』に拾われる→ガーネットと共に旅に出る。目で見たモノを、手も触れずに操る能力を持つ。

ガーネット

初対面であるロッティの名前と『ルミエール』の元メンバーであったことを知っていた不思議な女性。自称だが100歳を超えているという。

ハルト

ロッティとほぼ同じ時期に『ルミエール』に拾われる。ロッティの能力を知る。能天気で明るい性格。

ルイ

ロッティやハルトと同じように『ルミエール』に拾われる。女好きでお調子者な性格だが時折鋭い。

ブラウ・フォレッツ

『ルミエール』の団長。豪快で大胆な性格。

セリア

学び舎でロッティと仲良くしていた女の子。エルフ族であったブルーノと親友であった。

ピリス

ロッティを拾った孤児院の院長。ロッティが再び会いに行こうとしたら既に亡くなっていた。

シャルル

リュウセイ鳥の伝説のある街にて鉱山発掘に赴く記憶喪失の青年。

トム

リュウセイ鳥の伝説のある街にて鉱山発掘に熱心な少年。

フルール

機械都市シリウスのメイド的存在。委員会に所属するブルーメルの付き人。

ブルーメル

機械都市シリウスにおける委員会の一人。ガーネットに委員会に入るよう依頼する。

シャルロッテ

慈善団体『シャイン』の副団長。陽気な性格。

シルヴァン

慈善活動団体『シャイン』の団長。ぶっきらぼうな性格でブラウとは古くからの仲らしい。

クレール

冒険家団体『ルミエール』の頭脳担当にして、ブラウよりも古参のメンバー。

アベル

冒険家団体『ルミエール』の特攻隊。足りない頭脳は腕で補う、とのこと。

ジル

冒険家団体『ルミエール』のロッティよりも新参のメンバー。元々はアランと探偵稼業を行なっていた。

イグナーツ

フラネージュ近くの洞窟で『ルミエール』と出会った大柄な男。

ニコラス

シルヴァンと親しいという、軽い感じの男。ハルトを気に入る。

ヨハン・ジルベール

ロッティ、ガーネットたちと敵対する不思議な雰囲気の男。

アリス・ヴェイユ

帝都の次期皇女候補の第六娘。グランと心を通わせる。

グラン

幻獣族。アリスに与えられた家に住んでいる。

カイン・シャミナード

傭兵団体『シュヴァルツ』の団長。ブラウとシルヴァンとは小さい頃からの知り合い。

レオン

幻獣族。ステファニーと仲が良い。

ステファニー

レオンと仲が良いお淑やかな女性。アリスと仲良くなれて嬉しい。

バニラ

アリス・ヴェイユの付き人。物静かで目立とうとしない。

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