第4話
文字数 3,599文字
支度もほどほどに済ませ、かまくらを崩した雪を名残惜しく眺めている子供たちを連れてロッティたちは早々に発った。歩いてるとすぐに雪の積もり方が控えめになっていき、陽光に照らされてぬかるんだ道に入っていき、やがて荒地へと出た。自然もへったくれもない、殺風景な岩場が目立つ地形を進んでいくと、やがて苔が生え、逞しい雑草が育つ湿地帯、乾燥した土地から青々しい草花が展開する草原地帯を経て背の高い森林に辿り着いた。幾年か冒険してきたロッティだったが、その森林からは嗅いだこともない匂いが香ってきて、未知と神聖さを思わせる雰囲気が濃く漂っていた。
「この森は、迷いの森……と呼ばれているらしいよ。私から離れないでね」
朝から一言も話していなかったガーネットが、そんなことを言って先日雪原を突っ切って子供を探したときと同じようにロッティの手を握ってきた。唐突な柔らかい温もりにロッティは思わずその手を二度見した。背後でぴゅうと口笛を吹く音と共に、好奇心の混じった冷やかしの気配がして、ガーネットはそれに気づいたように手をさっと放した。
「ロッティは、子供たちの手を繋いであげて。あと、私から離れないでよ」
ガーネットはロッティの方も見ずに早口にそう捲し立てると、さっさと森の中に入っていった。ロッティが呆気に取られてその背中を眺めているうちにその背中は遠慮なく小さくなっていき、「ちょっと待てって」と慌てながら子供たちに手を繋ぐように言い、先頭になったレベッカと手を繋いで、ガーネットの後を追いかけた。その手は、先程感じた手よりも小さかった。
森の中はガーネットの忠告から受けた印象とは異なり、鬱蒼とした雰囲気はなく、樹々の間から光が神秘的に差し込んできて、辺りも普通の森のではない不思議な匂いが包んでいたため、むしろ神聖な森にお邪魔しているような気分だった。この森を構成している樹々の根はどれも地上にも露出するほど発達しており、地面を草花と競い合うように覆いつくして部外者が足を踏み入れるのを許していないかのような一面緑の世界が繰り広げられているが、そのおかげで足場が悪く、慎重な足取りで進む必要があった。ロッティはガーネットなら心配要らないと思い、ガーネットを見失わない程度に気にかけながら、主に子供たちに注意を払うようにした。
転びそうになる子供を時折能力を上手く使って怪我をしないようにさせながら進むと、雰囲気には合っているが森という場所には場違いな、大きな泉が現れた。自然に出来たようなものではなく、石造りの泉で、綺麗な円を描いてその中央で水が噴き出していた。囲いの細かな所からちょろちょろと水が流れ出ており、それが川のようになって森の中を進んでいた。
「ここで少し休憩しましょう。それと……」
ガーネットはロッティの方を振り返ると、おもむろに近づいてきてロッティの目をじっと見つめた。赤く変わる瞳にロッティは少し緊張した。
「この泉の水は飲んでも大丈夫だけど、間違っても底に沈んでる石には触らないでね」
ガーネットが強い口調でそう言い切った。子供たちから「何で―?」という疑問が上がり、それに対するガーネットの答えは、この泉は精神を潤す泉と言われており、底に沈む様々な種類の石によってその効果が現れるらしいのだが、その石の中には、記憶に影響を及ぼす宝石も含まれている、という不気味なのだかありがたいのかよく分からないものだった。ロッティはおっかない気持ちになりその泉から離れて、樹の下で身体を休めることにした。
子供たちが無邪気そうに泉の水ではしゃいでいるのを眺めていると、樹々の合間から一匹の青い蝶がひらひらと舞い飛んできた。子供たちもそれに気がつき、捕まえようとするがするすると蝶はすり抜けていき、やがてロッティと同じように樹の下で座っていたガーネットの手に止まった。ガーネットがその蝶を愛おしそうに見つめていると、蝶は再び舞い上がり、そのまま奥の方へと向かい、そのまま泉を挟んで向かいにある樹の幹に不自然に止まった。その幹にピタッと止まったまま動こうとしない蝶をロッティが訝しんでいると、ガーネットがすっと立ち上がり、ぱっぱっと女の子らしくもない野暮ったいズボンに着いた土汚れを払っていた。
「そろそろ行きましょうか、皆」
ガーネットはおもむろにそう言うと、早足でその蝶の方へと向かった。急に立ち上がってそう宣言するガーネットに戸惑いながらも、ロッティは子供たちを呼び集めてガーネットに続いた。ガーネットは蝶の止まった樹の前でじっとしていた。すると蝶は、まるでガーネットがそうやって来るのを待っていたかのように、ひらひらと森の奥の方へと進んでいった。ガーネットはその蝶についていき、ロッティたちもそのガーネットの後をついていった。
この森に入ってから泉に辿り着くまでに見たのと大して変わらない風景が続いているばかりで、ロッティには一体どこに向かっているのかすら把握できていなかった。不意にレベッカがロッティの手を強く握ってきて、ロッティもその手を優しく握り返した。子供たちの囁き合いも樹々の間で乱反射して、青い蝶についていくガーネットの姿に童話のような穏やかで優しい雰囲気が感じられ、心なしか地上を張り巡っていた樹の根も大人しくなっていたような気がした。
木漏れ日が優しく森を照らす道を、蝶に従うガーネットについて歩いていくと、しばらくして森の様子が変わり、次第に樹の本数が減ってきて、開けた場所に出ることが多くなっていった。そして、それをさらに突き進んでいくと、細い樹々が並ぶ所に出て、そこ真っ直ぐに進んだところで、細い川の上を覆う橋が現れた。その橋の先にはぽつぽつと家のような建物が並んでおり、さらにその先にはこれまで見てきたものとは段違いの太さの樹がどっしりと構えていた。家の造りは、シリウスやリュウセイ鳥の伝説のあった街のもの、そしてかつて自分が生まれ育った街のものとは明らかに異なり、クリーム色をした壁が滑らかな曲線を描きうねっており、それぞれ個性ある特徴的な形をとっていた。大樹には、どこから流れているのか滝のようなものがはるか上の彼方から流れてきており、大樹の周りを階段が取り巻いていた。
そんな、のどかで幻想的な村落の突然の登場に、子供たちは歳相応にはしゃいだ。橋の向こうに門番のように立っていた人もロッティたちの存在に気がついたようで、そっと手を挙げた。すると、その村落の神秘さに違わず、不思議なことに、ガーネットが追っていた青い蝶がその手に止まり、羽の方から青い光の粒となって宙へと霧散していった。
堂々と橋を渡ってくるガーネットに対して、その門番らしき人は控えめに制止させた。
「一応、貴方のお名前をお聞かせください」
「ガーネットと言います。連れは、ロッティという者と、イグナーツが匿っていたエルフやミスティカの子供たちです」
「ありがとうございます。お待ちしておりました。どうぞご自由にお過ごしください」
門番らしき人はガーネットに頭を下げると、そのまま村落の方へと引きさがっていた。ガーネットはロッティを振り向き目配せしてきた。ロッティも、おそるおそる門番の人の横を通り過ぎながらその村落へと足を踏み入れた。
「うわーすっげーでけえ樹だあ」
子供たちは大きな樹にすっかり夢中となっており、興奮したようにペタペタと触ったり抱き着いていたりしていた。大樹から流れ出る滝は、麓の方で小さな泉を作りながら、細い川となって村の中から深い森の方へとたおやかに流れ出ていた。
ロッティが子供たちを微笑ましく思っていると、ある家にて子供が扉からそっと顔を覗かせて、ロッティたちが連れてきた子供たちがはしゃぐ様子をじっと見つめていた。その視線に気がついたレベッカが同じように村の子供たちのことを見つめていたが、やがて覗き見ていた子供たちがそぞろに出てきて、レベッカたちのところへ向かっていた。
「あの子たちは大丈夫でしょう。ロッティ、村長に会いに行きましょう」
レベッカたちがこの村の子供たちと対面して話をしているのを確認すると、ガーネットはロッティの袖を引っ張った。もう少し子供たちの成り行きを見届けたかったような気もするロッティだったが、返事も待たずにガーネットがロッティの裾を引っ張ってきたので、大人しく大樹を取り囲む階段を登っていった。