第21話
文字数 3,628文字
落ち着いたロッティの話し方にセリアも呆気に取られていたが、やがて嬉しさと悲しさが混じったような複雑な表情で頷いた。そこには幼き子供の面影はどこにもなかった。
一体シリウスから離れてロッティに何が起きたのだろうか。ハルトが思わずそう感じるほど、ロッティの声は落ち着いていた。以前までももちろん、元々大人しく、あまり目立とうとはしない性格ではあったが、どこか不安定で自信のなさが滲み出ているような節があった。しかし、今のロッティはその不安定な部分がほとんどなくなり、落ち着きように磨きがかかっていた。
「……って、ロッティは一緒に話を聞かないのか?」
「俺はもう聞く必要がない、と思う……俺の知らない話もあるかもしれないけど、『ルミエール』に戻っていない俺が聞いて良い話じゃないと思う」
ルイの質問に、ロッティは少しだけ悲しそうに答えた。そのロッティを見て、ハルトも心が決まった。
「分かった。じゃあ、待っててくれ。積もりに積もった話、そこでさせてもらうからな」
「……もちろん」
ハルトが掲げてみせた拳に、ロッティは静かに拳を付き合わせた。静かに浮かべるその笑みは、紛れもなく『ルミエール』にいた頃と変わらないロッティで、ハルトは懐かしさと切なさが蘇ってきて胸をきゅっと締め付けられた。
ロッティたちは泊まる場所を確保しているらしく、セリアも一度カルラのところに寄ると言い、二人とそれぞれ別れて細やかな祝いの会は終わった。ハルトたちはそのまま『ルミエール』の借家に戻り、メンバーにセリアが話していたエルフ族の知り合いがやって来たこと、明日にでも伺いに行こうということを話した。図書館で籠りっきりになっていたのか疲弊した様子のクレールとジルも、何故か酒場を出たところで会えたブラウとアベルも二つ返事で了承した。
そして翌日、一通の手紙が『ルミエール』の下に届いた。中身はカルラからのもので、『セリアやロッティたちから話を聞いています。皆さまでいらっしゃってください』という文章が綴られ、カルラの住まいまでの地図が記されていた。ブラウたちは迷わずその家へと向かった。
カルラの家までの道中、アベルとクレール、それとハルトとで周囲を警戒しながら進むも何事もなく無事に辿り着いた。扉の前にはセリアが立っていた。
「私も聞いて良いってカルラお婆さんは言ってくれた。『ルミエール』の皆が良ければ、私も一緒に良い?」
『ルミエール』の面々と違い、何が起こるか知らないセリアは些か緊張感に欠けたような面持ちだったが、ブラウは当然のように頷いた。ブラウがその扉をノックし、「『ルミエール』のブラウです」と呼びかけた。中から「どうぞ」としゃがれた声が届き、ブラウたちはその扉をゆっくりと開けた。
☆
「無事に入っていったよ」
ガーネットが静かにそう告げて、耳に添えた手をそっと離した。そのままロッティに見向きもせずにそのまま「それじゃ」と言い残してさっさとどこかへ行こうとする。
「ちょ、ちょっと待てって。昨日から微妙に素っ気ないけど、どうしたんだよ」
「……別に」
「……もしかして、セリアか?って、何かこう訊くのも自惚れみたいで嫌だな……」
「そうね、自惚れね」
ガーネットは冷たく切り捨てるようにそう言うとそのまま再び歩き始めた。戸惑っていたロッティはその背中を止める言葉が思いつかず、「気をつけろよ」とだけ声を掛けた。一瞬ガーネットの足は止まったが、それにリアクションすることもなくすぐに歩き出して、階段を登っていった。ロッティは頭を掻きながら、カルラの家の近くまで向かうことにした。
カルラの家が見えるところまで来て、ロッティはもう誰にも使われていないような建物の壁に寄りかかった。下町との境界辺りにあるこの周辺の建物は、持ち主のいない建物も少ないながらあり、寂れた雰囲気が漂っていた。
やがてしばらくすると、前方からシルヴァンと、シャルロッテがロッティの方に向かって歩いてきた。シャルロッテは以前見せたような不気味な笑みを浮かべながらロッティの方をじっと見つめていた。シルヴァンがいることに少し戸惑ったロッティだったが、ガーネットとの約束通り、シャルロッテを通すわけにはいかなかったロッティは二人を視界にきっちり入れて警戒した。
「何しにこんなところまで来たんですか、シルヴァンさん。シャルロッテさんも一緒に」
「俺はこいつを見張っているだけだ。こいつ、急にあっちへふらふらこっちへふらふらしやがって」
シルヴァンはシャルロッテの脇腹を肘で小突いた。シャルロッテはシルヴァンに拗ねたような顔を向けながらも、ロッティの方に向き直り挑戦的な笑みを浮かべた。
「そういうロッティ君こそ、こんなところで何黄昏てんのー?」
「俺はシャルロッテ……さんをあっちに近づけさせないように見張っているだけですよ」
ロッティは雪原での出来事を思い出し、威嚇する意味も込めてシャルロッテを睨みつけていたが、当のシャルロッテから思っていたよりも敵意を感じず、シリウスで出会ったときの雰囲気に近く、思わず「さん」を付けてしまっていた。シャルロッテは喜び半分困惑半分といった様子で複雑そうにしていた。
「うえー……何でそんなこと言うのかねえ。ロッティ君冷たいー」
シャルロッテは腕を組んで、腕の上で指をトントンと上下させながら悩ましそうにしていた。そのロッティとシャルロッテのやり取りをシルヴァンが、無表情だが、何か言いたげに目を伏せがちにじっと見つめていた。その視線に気がついて、ロッティは何か言おうとするが、ニコラスのことを知っていたロッティは掛ける言葉が思いつかなかった。シャルロッテがうーんうーん唸っている間に、やがてシルヴァンの方から口を開いた。
「ロッティ君……一つ、君に訊きたいことがあるんだが良いか?」
「……はい、大丈夫ですけど……」
しかし、ロッティがそう答えてもシルヴァンは唇を舐め、躊躇うように目を左右に揺らして中々話そうとしなかった。ロッティがじっと待っていると、横からシャルロッテが不思議そうにシルヴァンの顔を覗き込もうとしてきて、それにシルヴァンが気づくと仰け反りながらも意を決したように口を再び開いた。
「……ルイ君を……君の友達をあんな目に遭うのを阻止できなかった俺を恨んでいるか?」
シルヴァンの質問に、ロッティもすぐには言葉が出てこなかった。ロッティは素直に恨んでいないと答えるつもりだったが、そのシルヴァンの問いかけ方があまりにも寂しく、そう答えると却って自分自身を責めてしまいそうな危うさがあった。ロッティはその悲しみの底にニコラスの死が絡みついているのを察し、シルヴァンを想って言葉を選んだ。
「ルイはきっと、これからどうするかってことしか考えていないと思います」
ロッティはルイの姿を思い浮かべる。痛々しそうに車椅子で移動するも、悲壮感の欠片もない様子でロッティと『琥珀園』で話していたルイは、ロッティの目から見ても決して弱々しくはなかった。
「ルイは、自分の選んだことでああなってもくよくよするような奴じゃないです。昨日ルイに会って、ああなってるのを見たときには流石にショックでしたけど……でも、ルイが何も後悔していないのなら、ルイが自分で選んでああなっても前を向こうとしているのなら、俺はそれを尊重したいです」
ゆっくりと視線を動かし、シルヴァンの方をまっすぐに見る。シルヴァンは静かにロッティの話に耳を傾けてくれていた。
「ですから……俺は何も気にしていません。シルヴァンさんが気にする必要なんてないですよ。だからシルヴァンさんも……俺たちのことは気にせずに、その人のことを想ってあげてください」
最後の言葉は、言おうか言うまいか迷ったロッティだったが、じっと見つめるシルヴァンのその視線の先に、亡きニコラスの姿が映っているような気がして、その想いを慰めたくて口にしていた。シルヴァンはロッティの話を最後まで静かに聞き入っていた。それから、深呼吸しながら深く瞬きした。再び開いた目には、深い悲しみはもう佇んでおらず、静かな決意が宿っていた。
「はて、その人とはどの人のことかな……まあいい。というわけだ、行くぞシャルロッテ。ちょっかいかけるんじゃないぞ」
優しい目でロッティと目を合わせた後、シルヴァンはシャルロッテの首根っこを捕まえてロッティに背を向け去ろうとした。シャルロッテは依然として面白がるような笑みを浮かべていたが、不気味に黙ったままシルヴァンに引きずられていた。
「ありがとう、ロッティ君。それと、うちのシャルロッテが迷惑をかけて済まなかった」
去り際、シルヴァンはこちらを振り向くことなくそう言い残した。ロッティはその言葉の意味について考えながら、静かに去るシルヴァンの背中を黙って見送った。