第16話
文字数 3,004文字
「あーあ……ロッティ君、行っちゃったかあ」
目の前の男が心底残念そうに呟くのを、ガーネットはひどく冷たい目で見つめていた。自身に背を向けて余裕そうにロッティの走って行った方を眺める姿は、ガーネットの癪に障った。
そこでもう一度、ガーネットは指先に力を込めた。直後に轟音が響き渡り、その男はよろめいて傍らにあった樹に手を着く。
「怖いからもうその銃を降ろしてくれないかな、ガーネット。本当に死んでしまうかもしれないんじゃないかって怖いんだよ、意外にも」
「意外でもなんでもないから、黙って、ヨハン」
「そうは言ってもねえ……銃口を向けられるって、良い気分しないよ、本当に」
ヨハンと呼ばれた男は、先ほどロッティと対峙したとき以上に殺意を込めてガーネットのことを睨んでいた。それでも口調だけは飄々としているヨハンにペースを握られないように、ガーネットは銃口をヨハンに向けたまま距離を取る。互いに睨み合ったままじっとしていると、じわりとヨハンの足に赤黒い血が伝った。その血を見て、ガーネットの身体は僅かに震え、追い詰められているはずのヨハンはそれを見て嘲笑った。赤い瞳が悪魔のように輝いている。
「覚悟を決めていたはずなのに、怖くなったかな。よっぽどロッティ君の方が肝座ってたよ」
「黙りなさい」
「甘ちゃんの君に振り回されるロッティ君が可哀想だ。やっぱり彼のいるべきところは僕たちの……」
「黙りなって!」
ガーネットは再度指先に力を加え、銃弾を放つ。しばらくしてもよろめく素振りのないことから、今度の銃弾はヨハンには当たらなかったようで、背後の樹の枝にでも当たったのか、ヨハンの頭上からわずかばかりの葉が舞い落ちてくる。
「……血を見て怖くなった君は、僕にその銃弾を当てられない。かといって僕も何発か君からもらってしまったから近づこうとすれば返り討ちに遭う。だからここではお互い相手を殺せない。さあ、もうここには用はないんじゃないの? さっさと行ってきたらどうだい?」
ヨハンはあくまでガーネットから意識を外しはしないが、すでに交戦する意欲はなくなってしまったらしく、突き放すような冷たい目つきでガーネットを睨む。
ガーネットは、ヨハンのそんな冷めた態度を無視して、その奥底にある感情を読み取ろうとした。これまで、広大な暗闇の中から隠されたように存在している、小さな砂粒の輝きを探り当てるような作業に気が滅入りそうなこともあったが、それは無駄ではなかったのだと、今こうしてヨハンと対峙してガーネットは確信していた。
「貴方が……ヨハン・ジルベールが望んでいることは、こんなことをしていて叶うのかしら」
その言葉にヨハンと呼ばれた男の淡い金髪がわずかに揺れた。
「……貴方がそちら側にいても何も良いことはない、そうじゃない? 貴方こそ、こちら側に来るべきじゃないの」
ガーネットの銃を握る指先に力が入り、カチリと冷たい金属音が小さく鳴る。お互いの間にしばらく沈黙が流れたが、やがてヨハンは観念したように首を振りながらガーネットに向けていた身体を逸らした。ガーネットは銃口をまっすぐにヨハンを狙い定め、ますます険しい目つきで睨み付けるが、目線だけガーネットに寄越しているヨハンは、それを意にも介さずに首を傾げながら可笑しいものでも見たようにクックック、と喉奥を鳴らしていた。
「君はあくまで僕を殺したくないらしい。でも……それなら、なおさらその銃口を降ろしてくれないかな。勧誘してる態度じゃないよ、それ」
「それが出来ないことは、貴方にも分かっているはずよ」
「そうかい、それじゃあ質問を変えよう。君が僕に訊いたように、ロッティ君諸共君たちがこちら側に来るということはないのかい」
「それも貴方にはとっくに分かっているはずよ。私たちは、貴方と一緒にいる人たちとは違う。私たちがそちら側に着くことは、決してないわ」
ガーネットが再び指先に力が込めると、何度も流れた銃声が再び響き渡る。銃弾はヨハンの頬をかすめ背後の樹にめり込んだ。ヨハンの頬から幾筋もの血が流れ出たが、ヨハンはそれを拭おうともせずガーネットの赤い瞳を睨み付けていた。そこに先程までの余裕な雰囲気はなく、ガーネットとヨハンの視線と視線が激しくぶつかり合った。
お互いに身じろぎ一つせず硬直したまま時間だけが流れ、息するのも忘れ瞬きすら許されない錯覚さえ覚えるほど空気が硬く張り詰めると、ヨハンは深く息を吐き出してよろよろと後退し、樹に身体を預けた。その拍子に頬から流れていた血が辺りに飛び散った。手で顔を仰ぎ、再びクックック、と喉奥を鳴らしてガーネットにからかうような視線を送る。
「もう十分分かっただろう? 僕は、君たちと馴れ合うつもりはない。僕がこの世界に対して抱いている感情はそう単純じゃないんだ」
「…………貴方は、それで良いというのね」
虫の音のようなかすれた声で、ガーネットは独りごちた。
「ふふふっ……これも運命、というやつなんだろうね。まったく、生きにくいったらありゃしないよ」
ヨハンのその言葉は、ガーネットに向けてというより自分に投げかけているようであった。ヨハンはすでにガーネットを見てはおらず、空をぼんやりと見つめながら自嘲気味に低く笑っていた。ガーネットは銃口をようやく下ろし銃を腰に差すと、いつの間にか汗ばんでいた手を服の裾で拭った。そして、銃に手を添えいつでも構えられる状態のままヨハンを名残惜しそうに睨み付けて、そっとその場を立ち去っていった。ゆっくりとガーネットの姿が小さくなっていき、やがて暗闇の中に消えていくのを確認すると、ヨハンは全身の力が抜けたようにずるっとその場にへたり込み、星空を見上げた。
ガーネットの草根を踏みしめる音がヨハンの耳にも届かなくなった頃に、夜空に一筋の光がようやく流れた。
☆
ロッティは二人を追いかけようにも、先程の男の相手をしている間にすっかり見失ってしまっていたため、二人が目指してたと思しき、そして当初のガーネットに近寄らせないようにと指示されていた丘の方へ向かうことにした。鉱山の辺りから丘の方までは見た目よりもかなり距離があったようで、簡単に着きそうにはない。そうこうしている間にも、先程ロッティを襲ったのと同じ種の魔物が度々襲い掛かってきて、ロッティは能力を用いて一瞬で片づけるも、その度に時間を稼がれる。
今は何時だろうか。時間を確認できない状況に、ロッティの中の焦りが大きくなっていった。先ほどの男のところでどれほど時間を稼がれただろうか。その時間を計算しようとして、冷や汗が背中を伝う。ロッティは初めの見通しが甘かったのを反省する。能力を使うことも厭わないつもりだったロッティを手こずらせるほどの手練れが、わざわざ『時間稼ぎ』するためだけに出向いてくるほど人材に余裕のある謎の集団が今回の件に動いていることに、ロッティは大きな災害に一人無防備に晒されているような心細さと恐怖を今更になって感じていた。
丘の方を目指しながら目を凝らして暗闇の中を探っていると、遠くの方で騒がしい気配を微かに感じた。丘の方向からはさほどズレておらず、ロッティは急いでその方向へと切り返し向かった。
走って行くにつれて少しずつ声が聞こえるようになってきて、その声に、ロッティは足が地にしっかり着いたような安心感が蘇ってきた。