第13話
文字数 3,259文字
「よし、分かった」
ハルトは二つ返事であっさりと了承してくれた。
酒場に入ると、仕事終わりなのか中年の男性たちが静かに飲んでいた。人数が多くてぱっと見でどこにブラウがいるのか分かり辛かったが、奥のカウンター席に団長のブラウが誰かもう二人と飲んでいるのが見えた。
「あ、あの人たちは……団長、皆どこに行ったんだ」
「おお、戻って来たかハルト……それと、ロッティ」
振り返ったブラウがロッティの存在を確認すると、それまで浮かべていた陽気さを潜め、険しい顔つきになった。一緒に飲んでいた二人に少し会釈をして、ブラウはロッティに向かい合った。
「んで、どうだロッティ。戻ってくるのか?」
「……え?」
厳しい言葉を覚悟していたロッティだったが、むしろ悲しそうな声音のブラウに戸惑った。しかし、ブラウは変わらず険しい顔をしたまま、ロッティの言葉を待っていた。
「……いいえ、俺はまだ、戻れません。本当にすみません」
「そうか……まだ、なんだな? 分かった、ロッティの意志を尊重しよう」
険しかった顔が少しだけ悲哀の色を帯びたかと思うと、後ろ手に持っていた酒を一気に呷った。ブラウはロッティから視線を逸らし、グラスを持ち上げながらやりきれなさそうな表情で酒の泡が消えていくのをじっと見つめていた。
「……勝手に抜けたことを許したわけじゃない。それでも、ロッティがどう思おうと、お前は俺があの日拾ったときからずっと、『ルミエール』の一員だからな。それだけは忘れるなよ」
「っ……ありがとうございま」
「あー! やっぱりロッティ君じゃん! やっほー!」
ロッティの言葉は甲高い声に遮られ、ロッティは面食らった。どこかで聞き覚えのある声だと動揺してふわふわした頭で考えていると、思考をシャットアウトするように、視界を遮る形で手が差し込まれた。その手の主を追うと、先日いきなり話しかけてきたシャルロッテがニコニコと興奮した様子で手を振っていた。座っている位置からして、ブラウと一緒に飲んでいた二人の内の一人のようだが、まさかシャルロッテだとは思っておらず、ロッティの心はシャルロッテの陽気さに完全に乱されていた。
「やっほー。ロッティ君、お酒飲むのは君にはまだ早いぞー。……って、あれれ、何か反応して欲しいなあ」
「お前が煩いから戸惑ってるんだ。少し落ち着け。何やら話を邪魔してしまってすまんな、ブラウ」
シャルロッテのさらに横にいた人が彼女の頭をガシガシと乱暴に撫で回しながら、申し訳なさそうにロッティたちに対して頭を下げる。シャルロッテはよほど出来上がっているのか、「きゃー!」と喜んでいるのか嫌がっているのか判別のつかない悲鳴を上げていた。
「ロッティ、シャルロッテさんと知り合いだったのか」
「いや、別に知り合いじゃない」
「あー薄情者ー!」
「お前が会話に交じるとややこしくなりそうだから黙っとけ」
それまで以上に乱暴に頭を押さえ込まれ、シャルロッテは、何かぶつぶつ言いながらもようやく静かになった。二人のやり取りに、ブラウは深くため息を吐いた。すっかり場の空気は変わり、とても話を続けられる雰囲気ではなかった。
「ロッティはどこに戻るのかは知らんが……二人とももう帰ってていいぞ。俺はシルヴァンたちと少し話があるんだ」
「だってさ。なら帰ろうぜ、ロッティ」
すっかり緊張感が抜けてしまったロッティは、ハルトの言葉に阿呆のように頷いた。シャルロッテが未だにぶつぶつと呟き続けているが、それが何だか呪詛のように思えてロッティは逃げるようにしてハルトと一緒に酒場を去った。
外に出ると、清々しい空気が胸を満たし、アルコールの匂いが体の中から追い出されていった。ハルトも興が削がれたようで、気の抜けた顔でロッティを見て微笑んだ。
「俺たちは一応依頼があってここに来たんだ。だからそれが済むまではここにいる予定だ」
「……そうか」
ハルトが言わんとしていることを頭では理解しているが、何を言うのが適切なのか分からなかったロッティはそれ以上のことを言えなかった。ハルトもそれ以上は何も言わず、静かにロッティに背を向けるとそのまま歩き出した。ロッティの目には、その背中が少しだけ寂しそうに映った。
ブルーメルがロッティの能力を知っていて依頼を出したこと。フルールと一緒に、やりすぎな方法で辺り一帯の鉱山を閉鎖しに回ったこと。そしてハルトたち『ルミエール』との再会。今日は多くの出来事が起こりすぎた。帰宅したと同時にどっと疲れが降りてきて、ロッティはへばりつくようにテーブルに着いて日記を書くことにした。
日記を書き始めて間もないうちにガーネットが帰ってくる音が聞こえてきた。疲れと日記の途中で立ち上がる気になれなかったロッティは「おかえり」とだけ言ったが、何も返事が返ってこない。何かあったかと気になったロッティがふと顔を上げると、見るからにげんなりしているガーネットの姿があった。
「ガーネット、どうしたんだその顔」
「……そんなにひどい顔してる?」
「ああ、してる。ちょっと待ってろ」
ガーネットの顔を見てロッティは疲労がたまっている身体を無理やり動かし、風呂の準備を済ませに行った。風呂が出来上がり、ロッティがそのことをガーネットに伝えると、よほど疲れていたのか、無言で頷いたまま風呂に入りに行った。
風呂も済ませ、ロッティが作った軽めの夕食を終えると、ガーネットは座ったままうとうとと頭を揺らしながら、何とか紅茶を飲もうとしていた。日記を書いていたロッティは、視界の端でガーネットが眠そうに揺れているのと、その揺れに伴って漂ってくるふわっとした甘い香りが気になってしまい、思わず「なあガーネット」と声を掛けてしまった。
「紅茶はいつでも飲めるだろ。疲れてそうだし、早めに寝とけって」
「…………そうするわ」
つい語気が荒くなってしまった気がして何か言い直そうと逡巡していたが、ガーネットは特に気にした様子もなくやけに素直に受け入れ、そのまま自分の部屋へ向かおうとしていた。寝惚けているのかどうしても飲みたいのか、紅茶を手にして部屋へ向かおうとしていたので、ロッティはそれを取り上げてからガーネットを部屋へと送っていった。
ロッティにとっても色々あって精神が擦り減った日ではあったのだが、ガーネットのあまりの生気の抜け具合に疲れているのも馬鹿バカしくなるようであった。その日は、日記を書き終えるのに一番時間がかかった。
出会えばやたらと高いテンションで突っかかってくるシャルロッテや、最低限言葉を交わしたもののそれでもまだ会うのが躊躇われる『ルミエール』の皆がやってきてからも、フルールの手伝いは続いた。街に彼らがいるという意識が若干のやり辛さを感じさせたが、それでも街の人は変わらずいつものようにロッティたちに感謝し、その間だけロッティも自分の胸の底に暗く沈んだ澱を忘れることが出来た。
そんなある日、再びブルーメルに同じように手紙で呼び出された。今度はいったいどんなことを言われるかと警戒しながらロッティが赴くと、部屋には書類の山に囲まれ忙しそうにそれらに目を通すブルーメルとブルーメルの側でそっと立っているフルールがいた。フルールがブルーメルの部屋にいたことで再び書き置きは無駄になり、ブルーメルもフルールも呼んでいるなど言ってくれれば良いのにとロッティは少しむしゃくしゃした。
「フルールも呼ばれてたのか」
「はい。今日は私に関するお話ですので、ロッティ様にも聞いてもらいたく」
「?……そう、なんだ」
「ロッティさん、来てくれてありがとうございます。申し訳ございません、もう少しだけ待っていてくださいますか」
書類の山の向こうからブルーメルの声が聞こえてきた。ブルーメルがたちどころに書類を片付けていく手捌きを何となく見つめていると、ふと、ガーネットも今もこの講堂のどこかで同じように働いているのだろうなと思った。