第9話
文字数 2,919文字
学び舎は校舎が街を襲った生物による攻撃によって倒壊しており、しばらく修復のために立ち入り禁止となった。その間、ロッティたちの授業が行われることはなく、開始についても未定のままであった。風の噂では、教員の何名かが犠牲になったそうであった。
ロッティたちの家庭では、会話が明らかに少なくなった。ご飯を食べている間の雑談もなく、事務的な確認のための会話しか為されない居間での雰囲気に耐えられず、ロッティは部屋に引き篭もるようになった。それでも両親がただ単にロッティを疎んじているわけではなく、本当に何を話せば良いのかが分からないという風であったのが、ロッティにとってはせめてもの慰めだった。たとえロッティの能力を恐れているのだとしても、相変わらずご飯を用意してくれ、一緒に暮らしてくれる両親が、ロッティは泣きたくなるほど嬉しかった。
買い物に出かけることもなく、本を読む気にもなれず、ただ窓の外を眺めるだけの日々が続いていた。ロッティは、セリアとブルーノに会いたくなった。声を聞きたくなった。どこか、自分の能力のことを知らない所へ行きたい気分だった。ブルーノに借りた本もしばらく返せなくなったなと、ロッティはその本を見つめると途端に寂しくなった。
ある日のこと、家の郵便ポストに小動物の死骸が手紙と共に入れられていた。手紙には『お前の子供がこの子を殺した』と書かれていた。ロッティにはその動物を殺した覚えはなかったが、胸を抉られたような感覚に襲われ、三日間物を食べることが出来なかった。
ある日のこと、父親がひどい怪我をして帰ってくることがあった。父親は母親にもロッティにも「階段で転んでしまったんだ」と言って穏やかに、けれど力なく笑ってみせた。ロッティは父親に何か小言を言われたりぶたれたりするかもしれないと身を縮こまらせていたが、父親は頭を撫でてくるだけであった。その傷が見える手を、ロッティは握ろうとしても握れなかった。
風の噂だった。あの生物たちはロッティの能力によってこの街まで運ばれてきたのではないかという話が街の人たちの間で持て囃されているようである。あの生物は、この街周辺に現れる魔物ではないからという理由だった。もちろんロッティは自分がそんなことをしていないことを十分に知っていたが、それを信じる人たちは少なからずいること、その者たちによって家に悪戯されたり父親にまで危害が及んでいることも、十分に理解してしまった。ロッティは何か弁明するべきなのかと悩ませたが、もしそれが聞き入れてもらえず、さらに嫌がらせや父親への被害がエスカレートしてしまうのではないかと恐れ、息をするのも辛くなりながら自分の部屋に引き篭もることしか出来なかった。
ある日のこと、学び舎が再開したという噂が流れたが、ロッティは行く気になれなかった。両親も十分に理解してくれ、ロッティは学び舎を休んだ。セリアとブルーノに会いたい気持ちはあったが、もし自分が二人に近づいたせいで傷つけるようなことがあれば、ロッティはいよいよ自分のことを許せなくなると思い、二人に会いたい気持ちよりも二人に迷惑を掛けたくない気持ちを強く持って、ベッドの上で蹲っていた。
学び舎が再開してしばらくした日の昼過ぎのことであった。玄関の外で母親が誰かと言い合っているのが聞こえた。自分の部屋のベッドで横になっていたロッティは、恐る恐る窓を開けて話を盗み聞いた。
「ロッティのせいで、ブルーノが! それに、セリアちゃんもどこかいなくなっちゃって……! ロッティの野郎を出せよ!」
ロッティの頭の中は、真っ白になった。両親への申し訳なさや、部屋に引き篭もって寂しいといった想いすべてが頭の中から吹き飛び、唯一頭の片隅に残ったのが、自分の能力を恨み呪う気持ちと、どうして自分は普通の人間として生まれなかったのだろうかという失意だけだった。
夜も大分更けり、街の喧騒も一切聞こえなくなった頃、ロッティは数か月ぶりに外に出る恰好に着替えた。お気に入りの着替えの服と借りたまま返せなくなったブルーノの本を、学び舎のための鞄に詰め込み、自分の部屋を出る。
靴を履き、玄関に手を掛けたときだった。背後で足音がした。
「こんな時間に、どこに行くの?」
母親の毅然とした声には、街が魔物に襲われる以前と同じような優しさが込められていた。ロッティは必死に歯を食いしばるも、引きずられるようにして後ろを振り返ってしまう。母親の横には、父親も立っていた。
その二人の姿が、ピリスの孤児院で初めて会ったときの姿に重なった。しかし、あのときと特に見た目に変化したところがないにもかかわらず、あのときには抱きもしなかった想いが胸を満たしていることに、ロッティは驚きつつも苦しくなった。しかし、この想いを抱けるようになっただけでも、この二人の元に引き取られたことに意味があったのだと思うことが出来た。
二人は何も言わない。ロッティのしようとしていることに気がついていながらも、掛ける言葉が見つからないように困惑した表情のまま、ロッティのことを不安げに見つめている。その不安そうな顔が、忌々しい魔物によって激しく歪んでしまう映像を想像してしまい、何としてもそれだけは避けなければならないと切実に思った。ロッティは、この二人の平穏を奪ってはいけないと確信していた。
「もう、この家には帰らないから」
自分でも驚くほど、するりと言葉が出てきた。その言葉は想定していたのか、両親は不安そうな表情を変えなかった。
やがてロッティが家を出るまで、二人は何も言葉を発しなかった。
夜風は思っていた以上に寒かった。もっと厚着をして行けば良かったと思いながらも、ロッティはとぼとぼと歩き始めた。周囲に視線がないことを確かめながら、ロッティは淡々と歩いていき、やがて街の外が見え始めてきた。吐き出される白い息をぼんやりと見つめた。
「何もしてあげられなくて、ごめんね」
空耳だと、信じたかった。
「私たち、ロッティのこと忘れないからね」
空耳だと信じていても、我慢していたものを堪えるのはもう無理であった。それでも、振り返るべきではないと確信していた。振り返ってしまえば、ロッティは自分で自分のことを許せなくなると確信していた。
ロッティは、空耳を振り切るように走った。何も聞こえないどこか遠い所へ走り去るつもりで、とにかく全力で走った。しかし、それでも、後ろから声が聞こえてくる。
「ごめんね! 本当に、ごめんね!」
ロッティは、この街で育ったこと、二人に引き取られたこと、二人との日々を絶対に忘れないと誓った。溢れ出す涙は街の道に染みを作っていった。夜風を浴びながら、独りの道をどこまでも進んでいった。
ロッティは、サバイバル生活を強いられた。その最中で、街から出て行くことになったロッティの能力は、皮肉なことに今まで一番役立つこととなった。
それからまもなくして、ある団体に拾われた。十一歳のことであった。