第12話
文字数 3,549文字
ハルトの頭の中に何故かその言葉がぱっと浮かんできて、気がつけばそれを口に出していた。クレールも立ち止まってハルトの顔を確認するように振り返る。
「本気か? 正直、彼女の情報は一旦捨ておいた方が良い。何も知らない相手を探すなんて、今俺たちが探してるものだけで十分だ。時間が惜しい」
クレールの言葉にははっきりとした否定が込められていた。暗に、何も知らない相手を探すのはエルフ族とミスティカ族だけで十分だということだった。しかし、ハルトは言い知れないもやもやとした嫌な予感が胸の中でくすぶり続けていた。それをどう説明していいか分からず途方に暮れていた。
ふと、背中を叩かれその方を振り向くと、ニコラスが頭の後ろで手を組んで、試すような目でハルトのことを見つめていた。何も言ってはこなかったが、目は口程に物を言う、という言葉が実感できるほど、ニコラスのその赤い瞳には期待と不思議な優しさが宿っていた。ニコラスの不思議な瞳を見ているうちに落ち着いてきたハルトは、自然に頭に浮かんできた言葉をクレールに伝えた。
「セリアは何か事件に巻き込まれたかもしれないんだろ? だったら、俺は助けたい。何か危険な目に遭っているかもしれない人間を黙って見過ごすなんて、俺には出来ない」
クレールは深くため息を吐き、やれやれといった感じで肩を竦めた。
「……相変わらずハルトはお人好しだな。人を疑うということをしないというか。おまけにこうと決めたらてこでも動かない……あーもうしょうがねえな」
「それじゃあ良いのかクレール。サンキュー!」
「今から団長の方に合流しようにもそれも時間がかかるからな。人数も割いてるし、『シャイン』の協力も得られたし、俺たちは下手に動かずに帝都でじっとしてても良いだろう。それにセリアの件についても、昨日の今日で何か起こったのなら騒ぎになってるかもしれない、比較的情報は手に入れやすいだろう」
クレールは何故かニコラスの方を睨みながらそう言った。
「あんたらがそういうなら、俺もついていくぜ」
ニコラスはクレールの睨みなど気にしないかのようにお気楽な様子でそう答え、ハルトの肩を組んだ。
ハルトたちは早速、セリアの行方を捜すことになった。
自分でああ啖呵を切ったはいいものの、どこをどう探せば良いのかハルトは全く見当ついてなかったが、クレールが呆れながらももう一度『琥珀園』に戻ることを提案してくれたので、早速来た道を戻ることにした。
「お前さんはどうして団長の方じゃなくて、帝都に残ったんだ?」
道中、ニコラスがハルトにそう訊いてきた。
「俺か? 俺は……無事でいなきゃいけないんだとさ」
「ほほう、面白い言い方するなあ」
ニコラスが感心したように顎を撫でる。そんなに面白かったのか、その目はどこか輝いていたが、ハルトは気にせず話を続けた。
「面白いかどうかは分かんないけど……俺、もう一度話を聞かなくちゃいけない奴を待ってるんだ。だけどもしそいつを待っている間に俺に何かあれば、そいつは悲しむだろうって友達に言われて、俺も気がついた。だから俺は帝都に残ることにした」
「ほうほう……そいつには、どうしても会わなくちゃいけないんだな」
「ああ、どうしても、だ」
ハルトがそう言い切ると、ニコラスは感心するを通り越してもはや嬉しそうにうんうん頷いてニヤついていた。随分変わった人だなという印象を受けたハルトは、ふとニコラスとシルヴァンのやり取りを思い出し、その関係が気になった。
「そういえばニコラスさんは、シルヴァンさんとどんな関係なんだ?」
「おいおい、さんは付けなくて良いって。んーアイツとか? アイツは何つーか……腐れ縁だな」
ニコラスは何気なくそう言うが、ハルトは少なからず衝撃を受けた。仮にも一組織を率いるシルヴァンと腐れ縁と言うニコラスが途端に大きく見え、ハルトは無礼なことを言ってしまっていないか急に胸の辺りがそわそわして落ち着かなくなった。ニコラスはそんなハルトを優しい眼差しで見つめた。
「そうだな、大体お前さんと、お前さんがさっき言ってくれたそいつとの関係性……みたいなものだ。それが長く続いてる感じだと思ってもらえれば、想像しやすいと思うぜ」
ニコラスは得意げにニヤついて、ぐっと親指を立てたが、ハルトは少なからず動揺した。ハルトにはニコラスがどういうつもりでそう言ったかは分からなかったが、ロッティは普通の人間ではない。それ故に今はロッティと自分との間では奇妙な関係になっていたので、それがシルヴァンとニコラスにも当てはまると言われても、違和感しかなかった。しかし、自信満々そうなニコラスの表情に、当たっているか否かはともかく本気でそうだと信じているのだとハルトも理解した。
その後も、ニコラスはハルトに何かと話しかけてきて、ハルトも気さくに話しているうちに『琥珀園』に辿り着いた。クレールを先頭にもう一度入っていくが、やはりセリアらしき女性は店内にはいなかった。クレールが目で問いかけてきて、ハルトも首を横に振ると、クレールは一度頷き、店主にもう一度話を聞きに行った。中々クレールと店主の話が終わらなかったので、再び何か注文しようとするニコラスを止めながらハルトは店内の客の話に耳を傾けていた。しかし、特に目ぼしい情報も聞こえてこず、やがてクレールが店主と話を終えてくると、さっさと『琥珀園』を出て、向かいの建物の塀に寄りかかった。
「やはりセリアという女性は来ていないようだし、伝言なども特に預かっていないようだ。そして、何か事件があったという話も特に聞いてないらしい」
「客の方も、世間話みたいなよく分かんない話しかしてなかったぜ」
収穫のなさにハルトが落胆していると、ニコラスがハルトの肩を数回叩いた。
「おいおいしっかりしろって。誘拐事件があったって話してる人いたじゃねえか」
「え、なんだそれ。ほんとかよ」
ハルトが驚きと動揺を隠せず声を上ずらせながらニコラスに詰め寄る。クレールも不審そうにニコラスのことを睨んでいた。
「手前側の客がそう話してたぜ。昨晩、騎士団の方が何か騒がしいと思ったら今朝誘拐事件があったみたいだって話しているのを、俺はばっちり聞いたぜ」
ニコラスは自信たっぷりに胸をどんと叩いた。ハルトもそれなりに、それこそ何か注文しようとしていたニコラス以上に客の話に意識を集中させていた自信があったのだが、そんな話は聞こえてこなかった。しかし、あまりにニコラスが自信ありげに堂々としているので、ハルトも次第に自分が聞き逃しただけなのかと思い始めた。
「ニコラス、あんたが何者なのかそろそろ話してもらおうか」
クレールがニコラスとハルトの間に割って入って低い声で牽制した。急なクレールの態度にどうしたのかとハルトはきょとんとその背中を見ることしか出来なかった。訊かれている当の本人はというと、変わらない様子で面白そうにクレールのことを見つめていた。
「あんたは『シャイン』の人間でもないのに、どうして俺たちに協力しようとする? 俺たちは『シャイン』に依頼したのであってあんたには依頼していない、無関係のはずだ」
クレールの刺々しい質問とその内容に、ハルトはようやくクレールは今までニコラスのことを警戒していたのだと気がついた。すっかり警戒を緩めニコラスに気を許していたハルトは、やっぱり『ルミエール』にはクレールみたいな人が必要だなと呑気なことを考えていた。
ニコラスはにわかにニヤつき始め、塀に手を当てて寄りかかった。
「別に、ただ面白そうだと思ったからついて来ただけだ。特にそいつがな」
ニコラスは顎でくいっとハルトの方を示した。
「でも、何だ急に。俺をスパイか何かと疑っているのか」
「いや、それは違う。あんたはスパイじゃない。組織に潜り込ませるスパイは一人が基本だからな。それに、その誘拐事件の話。騎士団がどうだの誘拐事件が今朝にはもう起きていただの、情報が具体的すぎる。そんな調べたり時間が経てばすぐに本当かどうか分かるような具体的な情報を、嘘で言うわけがない。だからこそ、あんたがますます何者なのかが分からない」
「なるほど、随分頭がキレるみたいだな……シャルロッテのことはシルヴァンから聞いたのか」
クレールを認めたからなのか、ニコラスは幾分低い声に切り替えてそう答えると、感心したように息を吐きながら塀に背中を預けた。ニコラスはもうニヤついておらず、初めて見る真剣な表情が浮かんでいた。その横顔をぼうっと見つめながらも、ハルトは唐突に出てきたシャルロッテの名前に、改めてショックを受けていた。しかし、話はハルトを待ってくれず、クレールはさっさと話を続けた。