第20話
文字数 3,664文字
息を整えて真剣な顔でセリアが、思い出すときの癖なのか目を瞑って読み上げるようにその内容を語り始める。
「『ニコラスが命を張ったのは、ハルトのおかげだ。アイツはハルトのことを信じられたから、運命に抗おうとまでしてくれた……ありがとう』……て。でもこれ、きっとハルト君のせいだって言ってるわけじゃ……ハルト君?」
途端にセリアが困惑したようにあたふたし始めた。頬にルイの視線が向けられているのも分かったが、ハルトは、胸の内からこみあげてきて、気を許せばすぐに溢れ出てしまいそうなものを堪えるのに必死だった。いま自分は相当変な顔をしているなと自覚していた。
どれだけその場で立ち尽くしていただろうか。ハルトがようやく心を落ち着けられると、ハルトとルイはどちらからともなく街を巡るのを再開させた。ハルトたちが歩いて行くのを呆然と見送っていたセリアがハルトの背後で「あれ? ちょ、ちょっと待ってよ!」と慌ててハルトたちを追いかけた。追いついたセリアはハルトとルイの顔を交互に見比べるが、納得がいったのか安心したように一息ついて、黙ってハルトたちと並んで歩いていた。
「って、おいおいセリアちゃん。だから騎士サマの仕事の方は良いのかって」
「ん? 良いの良いの。私、仮にも誘拐されてた身だし。適当なこと言ったら簡単に休暇貰えたわ」
「……セリアちゃん、案外強かだなあ」
セリアのあっけらかんとした態度に、ルイはそれっきり何も言えなくなった。その様子にセリアは笑った。その笑顔に子供っぽい幼さが垣間見えたが、その幼さは、まるでその頃から時間が止まっているような、成熟した大人が垣間見せる子供っぽい部分というのではなく、本当に子供の頃の姿が一部セリアの中で今も留まり続けている、というような印象をハルトは抱いた。
ハルトたちはそれからセリアも含めた三人で適当にぶらついた。ハルトは、ルイがここぞとばかりにセリアにナンパを仕掛けるのかと思っていたのだが、案外そんなことはなく、セリアと楽し気に話しているだけであった。セリアも誘拐されていたのを助けられたことに恩を感じているからか、第一印象と違いよく笑いながら話す子であった。
適当に歩いているうちに段々と貴族街の方へと上っていたが、セリアが「何でこっち来るのよ。もっと街を見て回ろうよ」と嫌がったので、特にハルトたちも貴族街を行きたかったわけではなかったので、道を引き返して街の方へ下っていった。しかし、聞き込みも特にするわけでもなく、散々街を練り歩いていたハルトとルイは歩くのに飽き始めていた。次第に足が遅くなっていくのを見かねたセリアが「じゃあ、ブラウさんたちに会わせてよ。ニコラスさんのこと伝えないといけないし」と言ったので、ハルトたちは帝都の外へ通じる門と橋に向かうことにした。最近何故だか活気づいてきている下町の側を通っていき、橋が見えてくると、向かいから馬車がやって来ていた。ハルトが何となくその馬車を見ていると、帝都の中へ入ったところで止まり、中からいかにもルイの好きそうな女性が降りて、中から誰かの手を引いて降りるのを手伝っていた。
その女性の手に引かれて降りてきたのはだいぶ歳を取ったお婆さんだった。肌が白く耳がとがっている……とハルトがそのお婆さんを観察し、それらがエルフ族の特徴と合致していることに気がつくと同時に、隣に並んで歩いていたセリアが「あ!」と叫ぶのが聞こえた。
「カルラお婆ちゃん! 戻って来たんだ。ほら、私が言った知り合いよ。お婆ちゃん!」
セリアが端的にそう説明すると、ハルトたちの言葉も待たずに居ても立っても居られないという風に馬車の方へと駆けていった。あまりの勢いに呆気にとられたハルトたちはセリアがそのお婆さんに向かって走るのを黙って見送っていた。しかし、馬車からはもう一人降りてきて、その人物にハルトたちの視線は釘付けになった。
「ロッティ!」
ハルトとルイが同時に叫ぶと、ロッティもその声に気がついて顔を上げ、ハルトたちの存在を認識すると、驚いたようにハルトとルイを交互に見た。セリアも急に立ち止まってロッティのことをまじまじと見つめていた。その視線に気がついたロッティはセリアの方に今度は視線を向けると、しばらく黙々と見つめているだけだったがやがて何かに気づいたように、ぽかんと口を開けた。
「ロッティじゃない! 貴方、生きてたのね!」
セリアがそう叫ぶと、ロッティにいきなり抱き着いた。突然の衝撃にロッティも数歩後ろのよろめくが、倒れることなくセリアを受け止めきった。ハルトはただでさえロッティが現れたことに驚いていたのにさらにそのロッティにセリアが飛びついたことですっかり頭の中が混乱していた。ふいに思い出したようにハルトの横で悲鳴が上がった。ルイが怒りとも悲しみともつかない声でその光景を黙って見ていることしか出来ていないのが、何だかハルトには面白く、同時に懐かしさを感じて胸が熱くなっていた。
ガーネットという女性と一緒に旅をしていたロッティは、ある場所からカルラお婆さんを帝都に連れてきたという。セリアにくっつかれながらそう話してくれたロッティは、流石にセリアの扱いに困っていながらも注文していたオレンジジュースを静かに飲んでいた。ロッティが困ったようにすればするほど、ルイが嫉妬の炎を燃やして悔し涙を流していた。ロッティと一緒にいたガーネットにも当然のようにルイはアプローチしていたが、見ていて清々しくなるほど相手にされずに撃沈しており、それを笑っていたハルトはルイに一発殴られた。
ロッティと奇跡的な再会を果たしたと言うセリアは、「ちょっとしたお食事会しようよ、ね?」と提案してきた。セリアとロッティの関係に疑問が尽きないハルトだったが、ロッティが何故セリアの知り合いであるというカルラを連れてきたのかも気になっており、何よりシリウスで爆発に巻き込まれて行方不明になったロッティがピンピンしているのが嬉しくなったハルトは、セリアの提案に喜んで賛成した。ルイも同じ気持ちだったらしく、ロッティに訊いてみるが、ロッティはしばし旅を共にしていたというガーネットのことを見つめ、ガーネットが何も反応を示さないうちにロッティも「少しだけなら」と了承した。その際、ロッティはルイの方に視線をやり、泣き出しそうな表情を一瞬だけ見せるもすぐに頭を振って元の表情に戻った。
ロッティは連れてきたカルラを、帝都での家に送り届けてガーネットとセリアと一緒に戻ってきた。その後、言い始めのセリアが先だって皆を連れて行ったのは、ハルトとセリアが出会った『琥珀園』だった。
「ロッティは……昔、物静かなタイプだったし、ここなら落ち着けるかなって」
セリアが懐かしむようにしみじみとそう語った。ハルトはその言葉の選び方からセリアとロッティの関係の深さを感じ取っていた。
ロッティはハルトと同じくオレンジジュースを頼み、セリアに引っ付かれていた。ガーネットは何も頼まずに黙々と水を飲んでおり、ハルトたちには目を向けようともせずにテーブルに視線をじっと下ろしたままだった。そんなガーネットに猛然とアプローチを掛けられたルイをハルトは半ば感心半ば呆れていた。
「ロッティってば、すっかり、何て言うか、かっこよくなったね。というか、生きてて良かったよ、本当に」
「それは俺の台詞だよ」
セリアとロッティはかつて、それもロッティが『ルミエール』に入る前に街で暮らしていたときの関係らしい。その際に何があったのかまでは話に出なかったが、セリアも街を離れ、ロッティも街を出て行き、二人は互いに死んだものとばかり思って過ごしていたらしい。積もる話もあるようで、セリアが一方的に話を弾ませ、ロッティも静かに応じていた。そのときのセリアの顔つきは、まるでその日々に戻ったかのように、明るく子供っぽく、屈託ない笑顔を見せていた。
感動の再会で興奮していたセリアも落ち着いたようで、ふうっと一息ついて、頼んだ飲み物に手を伸ばしていた。その合間にハルトはロッティに話しかけた。
「なあロッティ。あーっと、ルイはな……いや、違うな、それよりもまず……あーもう、何から話せば良いんだ」
「ハルト」
思えばシリウスで衝撃的な別れ方をして以来、多くのことが起こり過ぎて、ハルトは話す内容で混乱していると、その混乱を打ち破るようにロッティが静かに呼びかけてきた。ロッティのその声は不思議なほど落ち着いていて、どこか達観したような落ち着きがありそのおかげでハルトもぐるぐる頭の中を複雑に行き交う出来事がぴしゃりと止んだ。
「それにルイ。話は……明日、ハルトたち『ルミエール』が、カルラさんに本を読んでもらってからにしよう」
ハルトは息が詰まるような思いになった。ルイもハルトと同じ気持ちらしく、ロッティの言葉に呆気に取られているようであった。